[2016_05_17_07]気象防災知恵袋 今月のお題 日本海中部地震の教訓 大津波はいつか来る(東奥日報2016年5月17日)
 グラグラッときた。地震だ。とっさに弁当の箸を置き、職場の階段を駆け下りて駐車場の真ん中辺でしゃがみ込んだ。あまりの揺れでめまいがする。電線が大きく振れてビュンビュンと聞き慣れない昔を発している。とても長く感じられた。1階にいた気象台(青森市の青森地方気象台)の職員も次々と駐車場へ集まってきた。
 1983(陪和58)年5月26日の日本海中部地震である。事務所へ戻ってみると、スチール机の引き出しはほとんど机から飛び出し、キャスター付きのコピー機はとんでもなく遠いところへ走っていた。もちろん机上の本や書類は床に散らばっている。
 ふと、前年に新築した自宅と家族が気がかりになり、自転車を飛ばした。自宅に着くと、妻が食堂でぼうぜんと立ちすくんでいた。床は、熱帯魚の水槽から溢れ出た水で、水浸しになっていた。
 青森市の震度は4、最大震度は秋田市、深浦町、むつ市で5。震源地は能代市西方30キロ。震源に最も近い能代市には当時、まだ地震計が設置されておらず、震度は5以上と推測された。この地震によって発生した大津波で、遠足中の小学生13人を含む104人が犠牲となった。
 それまで日本海側は比較的内陸部での地震が多く。三陸のように地震と津波が結びつくことは多くなかった。このため、地震と津波を直接結びつける意識が行政および住民に弱かった、と言われている。先入観や安易な想定は非常に危ないという教訓である。
 この教訓が生かされないまま、10年後には北海道南西沖地震があり、大津波によって奥尻島で198人の犠牲者が出るなど、壊滅的な被害を受けた。にもかかわらず、陸奥湾で津波は起こらないと思っている人がいるようだ。地震の観測はここ10数年で著しく進化したが、地震予知に関してはほとんど進んでいない。確かなことは、大きな地震は比較的同じ場所で繰り返されているということぐらいである。
 では、日本海中部地震から得られた教訓とは何か。海底で起きた地震に津波はつきもの−と考えた方がいいということ。大津波はいつか必ず来るということを忘れないでほしい。陸奥湾でも、絶対津波が起こらない−という保障はないのである。そして、津波は皆さんが思っている以上にスピードが速く、砂浜での波とは大違いの破壊力を持っているということ。大人でも膝丈の津波で流されてしまう。
 熊本地震も他人事ではない。地震大国日本に住んでいる以上、みんなで防災を真剣に考え、そして、実践しよう。明日からではなく今から。
 (工藤淳、気象予報士・防災士、アップルウェザー社長、青森市在住)
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