[2014_09_27_03]元国会事故調査委員 添田孝史氏 連綿と続く「圧力」体質(東奥日報2014年9月27日)
 福島第1原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員を務めた科学ライター添田孝史氏に電力会社と原子力規制の関係などについて聞いた。

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 ー電力は事故で変わったか。
 「3・11の後も驚くほど変わっていない。福島事故の原因も津波や電源対策など、個別事象に矯小(わいしょう)化している。大津波の危険という新しい知見を、防潮提や重要設備の水密化といった対策に反映する仕組みが機能しなかった。新しい発見や知識を確実に反映させる仕組みを、どう築いていくかを突き詰めて考えない。民間では当たり前だが、東京電力など電力会社ではそうではないようだ」

 −昔から同じか。
 「1993年の北海道南西沖地震で奥尻島を中心に津波被害が出たのを受けて、国の関係省庁が97年ごろ、太平洋沿岸の津波規模想定をまとめようとした。原発への影響を恐れた電力側が国に圧力をかけようとした証拠文書を、福島地裁の裁判で国側が提出した。『原子力の津波評価は計算誤差が少ない』『事前に公表内容の調整を』など、すごい文言が並んでいる。電力のこういう体質は連綿と続いている」

 ー当時は原発推進の資源エネルギー庁が規制も担当していた。
 「『お願い』がベースで、後身の原子力安全・保安院が関与した2006年の耐震指針改定や、それを受けた耐震性確認でも基本は同じ。彼らが原子力規制委員会の実動部隊になった」

 −規制側は電力に反論できなかったのか。
 「例えば、電力業界が土木学会の枠組みで基準を策定し、パブリックコメントなどの手続きを経て日本電気協会の指針にする。国はそれをエンドース(承認)した上で審査基準に採用する。電力お手盛りのルールで審査される仕組みだった」

 −新聞記者OBとして福島事故に至るまでの原子力報道をどう見るか。
 「自分自身の反省でもあるが、フランスやインドでの原発の浸水事例など、事故前に警告するタイミングはいくつかあったのに、逃してしまった。事象を追いかける『出来事報道』ばかりで背景に迫り切れていない現実がある。報道側の自覚も求められている」
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