[2011_11_15_03]世界発2011 「ツナミ村」反原発加速 インド南部 運転めど立たず 福島の事故 「恐ろしさ分かった」(朝日新聞2011年11月15日)
 2004年のインド洋津波が襲ったインド南部に新たな原発が完成したものの、東京電力福島第一原発の事故後に激しくなった住民の反対運動で、商業運転のめどが立たなくなっている。政府は経済発展に向けて原発の増設を急ぐが、住民の不安は強い。抗議の視線は原発輸出国にも向き始めている。

 インド亜大陸最南端のコモリン岬に近いタミルナド州クダンクラムの海岸沿いに、450棟の平屋住宅が整然と並ぶ。04年12月の津波で家を流された人たちが住むツナミナガル(ツナミ村)だ。家々の屋根からは2キロ先にある原発の巨大なドームが間近に見える。
 日本の記者が来たと知った村人たちが、続々と集まってきた。「福島のニュースを果て、原発がどんなに恐ろしいか分かった」「村にははとんど車はない。いざという時、歩いて逃げて大丈夫なのか」
 同原発はロシアの支援で01年に着工。04年の津波は高さ2・2メートルで、海面から7・5メートルにある原発施設は被害を免れた。建設中の2基のうち1号機(出力1000メガワット)はほぼ完成し、今年7月に燃料棒装着前の試運転を実施。12月に商業運転を始める予定だった。
 着工時からあった反対運動に一気に火がついたのは福島原発の事故後。試運転で蒸気を排出する時の音に村人は「家がブルブル揺れ、夜も眠れない」と恐怖心を募らせた。
 8月に入り、一部の住民が稼働中止を求めてハンガーストライキを開始。9月には約4万人が3日間、原発の入り口を封鎖した。その後も、約16キロ離れた職員宿舎と原発を結ぷ通勤バスが住民の妨害で運行できない状態が続いている。
 約3千人が働いていた原発内には保守要員約100人しか入れず、運転開始のめどは立たなくなった。同原発のカシナス・バラジ所長は「原発は嫌だと今さら言われ、驚き、本当に困っている」と話す。
 反対運動はフランスの支援で6基を建設予定の西部マハラシュトラ州ジャイタブールでも起き、4月には警官隊との衝突で住民1人が死亡した。与党・国民会議派が率いる州政府は中央政府の原発推進策に従い、反対派を力ずくで押さえ込んでいる。
 インドは福島原発事故後も、7月に西部ラジャスタン州で新たな原子炉に着工するなど開発ペースを緩めなかった。32年までに原発の発電能力を現在の13倍の6万3千メガワットに引き上げる計画で、稼働中の20基に加え、クダンクラム原発規模の原子炉ならさらに50基程度が必要になる。
 米ロ仏などの原発先進国は技術供与の前提となる原子力協定を結び、原発の売り込みに躍起だ。日本も昨年、協定の締結交渉を始めた。福島原発事故後に中断したが、今年10月末の日印外相会談で再開に合意。インド原子力庁のマルホトラ広報部長は「福島の事故は施設の配置が悪かっただけで、日本の原発技術が失敗したとは思わない」と期待感を示す。
 一方、クダンクラムの反対派住民は、米ロ仏に「インドに原発を売るな」と訴える公開書簡を出した。住民の先頭に立つ元大学教授ウダヤ・クマールさんは今夏、反原発NGOの招きで訪日し、福島も訪れた。
 クマールさんは「自国民が苦しんでいる時に、同じ原発を他国に売り込もうなんて、日本はそんな非人道的な国なのか」と問いかける。
 (クダンクラム=武石英史郎)

 東南アジア 揺れる導入計画

 東南アジアでも、福島原発事故が原発導入計画を揺さぶっている。
 30年までに国内8カ所に14基の建設を計画するベトナムでは、昨年10月に日本がうち2基を建設することで合意した。福島原発の事故後、科学者や地元メディアから安全性を懸念する声が上がったが、グエン・タン・ズン首相は「安全基準に特別な注意を払った」として計画を維持。10月の訪日時に野田佳彦首相と、日本企業による建設を明記した共同声明に署名した。
 地震大国インドネシアでは、06年の大統領令で原発建設に必要な条件などが整理され、建設へ向けた複数の計画があったが、福島原発事故以降、いずれも頓挫状態だ。特にユドヨノ大統領は建設に消極的で、地熱など再生可能エネルギーへの取り組みなどを優先させたい旨の発言をしている。
 21年に原発を稼働させる計画を打ち出したマレーシアのナジブ政権も、慎重に検討を進める考えを示している。シンガポールのリー・シュンロン政権は福島原発事故後も、原発導入をめぐる調査研究を継続する方針を示している。
 (バンコク、ジャカルタ、シンガポール)
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