[1997_10_13_22]反原発運動マップ_三重県南島町・紀勢町_芦浜の三十四年_北村博司●『紀州ジャーナル』_p111(緑風出版1997年10月13日)
 
参照元
反原発運動マップ_三重県南島町・紀勢町_芦浜の三十四年_北村博司●『紀州ジャーナル』_p111

 芦浜は、三重県の南部、紀勢町と南島町にまたがる小さな砂浜である。背後に屏風のようにそびえる山、僅かな平地に深い碧をたたえる海跡湖、緑豊かな森、そして小さな神社がある。住民はいない。二つの町からは、細々とした山道をたどるか、船で乗り着けるしか途はない。砂浜に寝転んで目を閉じると、打ち寄せる波の昔と小島のさえずりだけが聞える海岸が、33年間にわたって、二つの町の政治を揺がせ、周辺の何万という人々の心を悩ませ、地域社会に紛糾の種をまいてきた。
 1963年11日30日、熊野灘沿岸地域の原子力発電所計画が公になった時、計画地点は、芦浜のほか、西隣の紀伊長島町(当時長島町)の城ノ浜、さらにその隣の海山町の大白池海岸の三カ所だった。中部電力と三重県が仕組んだ、前例のない「競り合せ方式」である。三地点が画する熊野灘は、日本三大漁場の一つともされる、豊かな漁場で、沿岸漁業、近海漁業の多種、多様な漁法が、高度に発達している。長島町漁協をはじめ、錦漁協(紀勢町)、南島町の各漁協など、年間数十億円の水揚げ高を誇る港が、いくつもある。他の原発立地地点とは、比較にならないほど豊かで、「漁業で食える」地域であった。(後略)

[紀勢町]
 面積68・12平方キロメートル、人口5157人(1996年3月末現在)。海岸部は漁業、山間部は農林業。芦浜の大半は紀勢町に属する。
KEY_WORD:芦浜_原発計画_: