[1933_03_03_01]漁船六十余隻 行方不明となる 青森県東海岸の惨状(東京朝日新聞 号外1933年3月3日)
 
※以下は地震関連の見出しと重要と思われる部分をテキスト化したものである

○漁船六十余隻 行方不明となる 青森県東海岸の惨状
○牡鹿半島方面 浸水既に九百戸 大谷村で行方不明二名
○桟橋流出す 八戸付近県道洗わる
○石巻で三百戸 女川、鮎川の被害
○二十余戸倒壊
○一丈余の激浪襲来 小学校に避難 危険な志津川海岸
○蛟龍丸危し
○三陸の大津浪当時と情勢全く近似す 湾の中が危険 国富技師談 十年来の大もの
 震央地は東経一四三度、東南東約二百キロの地点、北緯三八度の地点で余震がまだ続いている、こうした地震後、即ち明治二十九年六月十五日に三陸の大津波が起りその時は流失家屋六千四十九戸、全壊家屋五百二十七戸、半壊家屋七百三十一戸その外合せて二千四百七十七棟、一万二百七十戸、死者二万一千九百五十三人を出した、今度の地震の模様はその三陸の大津浪のあった時と同じような状況である、地震の震央の地点も同じである、最もひどいのは湾の中である 十年来の大もの 国富技師談=今暁の地震の震央は塩屋崎と金華山の間で実に広範囲にわたり、北は北海道から西は近畿地方及び四国の方にまで及んでいるかも知れない、今まで活動を?けている 外側地震帯においては今度の如き震動はここ十年間のうちにはこんな大きいのは珍らしい、沿岸地方では???は??、納屋の破壊程度の被害は??ある見込である
○若し陸地だったら関東震災より大きい 岡田中央気象台長談
 今度の地震は震源地が海上であったため津浪は海上ではほとんど分からぬが、陸地で遠浅の場所、或いは湾入した場所は相当な被害がある見込である、中央気象台地震計もこういう地震になると地震計が共にゆれるので震源地をはっきり算定することは困難である、各地の情報をよって認定するより外ない、この地震の震央地が若し陸地であったならばあの関東大震災よりも余程惨害を見たものと思われる
 各地の情報【中央気象台着電】
 列車運転支障なし

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