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「地震は予知できない」という事実を直視せよ 国の地震予測地図はまったくアテにならない ロバート・ゲラー:東京大学 大学院理学系研究科 教授

 4月14日以降、幾度となく熊本を襲った大地震。現地の被災者は「この地域では大地震が起こると想定していなかった」と口をそろえる。筆者は、日本に住んで32年、この国の素晴らしさを日々実感し、そして、日本を第二の祖国として愛してもいる。しかし、地震予知ができないという自明の理について、いまさらながら本稿を書かなければならないことには、怒りを超えて深い悲しみを感じる。
 正直にいうと、「地震予知はできない」ということは、「太陽は毎朝、東から昇る」と同レベルの当然のことで、誰でも知っているはずのことなのだ。これは最新の事実でも何でもない。
 例えば、40年ぐらい前に地震学の当時の権威C.F.リヒター氏(当時、筆者の母校カリフォルニア工科大学名誉教授)は「地震予知ができると言うのは、嘘つき、いかさま師、愚か者だけ」と皮肉った。日本でも竹内均氏(筆者の3代前の教授)は、予知できるという人々を痛烈に批判した。

少なくとも現時点で正確な地震予知はできない

 まずここで明らかにしておきたいのは、「明日、東京にマグニチュード(M)7の大地震が起きる」と主張することは誰でもできるが、これは決して予知ではなく、単なる予言に過ぎない。なぜなら、「科学的根拠」がないからだ。
 そして、「正確な地震予知」とは科学的根拠に基づいて、地震発生の場所・時間・大きさとその許容範囲を前もって明らかにすることである。もちろん、社会的な意味を考えると、M7以上の内陸地震、M8以上の沖合の地震といった大きな地震の予知でなければ、予知情報は社会にとってほとんど意味がないだろう。
 また、時間・空間の許容範囲は、例えば3日以内、半径100 km以内といった具体的で明確なものでなければ、予知情報への対応ができない。当然のことながら、かなりの信憑性がないと、情報としての価値はゼロに等しい。100回発信して1回当たる程度では逆に、有り難迷惑になる。
 現時点では、残念ながら、上述のような正確な予知はできないというのもそのための理論はもとより、手法も皆無だからだ。国内外の多くの研究者が130年にわたって頑張ってきたことは事実だが、その努力は報われなかった。これは決して筆者単独の意見ではない。
 1999年にネイチャー誌が開催した予知についてのディベートでは、世界トップレベルの研究者のうち、現時点で正確な予知を述べた者は皆無だった。また、日本政府も1995年の阪神淡路大震災の発生後、予知できなかった批判をかわすためか、旧科技庁に設置されていた「地震予知推進本部」を廃止し、その代わり「地震調査研究推進本部」を設置した。

「予知」は「調査研究」に一括変換された

 ただ、この組織は、「予知」という言葉を「調査研究」に一括変換してできたようなもので、「東海地震」を予知しようとする気象庁下の体制を維持したまま現時点でも存続している。
 この東海地震予知体制は1978年に施行された大規模地震対策特別措置法(以下「大震法」と記す)によって設定されたシステムだ。建前上、気象庁は東海地方の観測網をモニターして、“異常現象”を観測すれば研究者6人(うち5人は東大地震研究所教授)からなる判定会を招集して、判定会の勧告を受けた上で気象庁長官は総理に警戒宣言を発令することを促し、閣議決定を経て発令する。なお、気象庁の実用的予知体制は東海地方に限定されている。
 大震法の科学的前提は、「東海地震」直前(3日以内)の顕著な「東海地震の前兆現象」として高い信憑性で識別できる地殻変動が起きるということだ。しかしながら、「東海地震」というもの自体、一つの想定された“シナリオ地震”にすぎず、想定通りの前兆現象が現れる科学的根拠は全くない。
 これまで国内外で地震発生後、多くの「こういう前兆現象をみた」との報告があったが、これまで科学的に有意性が確認された前兆現象の事例は皆無でこれらは地震予知ではなく、“地震後知”と呼ぶべきものだ。
 日本では世界の中でも最高性能の観測網が設置されているが、2011年の東日本大震災(M9)前にもそのような前兆現象が観測されなかったし、熊本地震においてもなかった。東海地震は他の地震と違うという主張も聞くが、地球はそのような特別扱いを都合良くしてくれるのだろうか。つまり、東海地方で巨大地震が起こる前に予知を可能とする現象が発生することを前提に国の法律を制定してしまうことは、トンデモナイ“前兆幻想”といわざるをえない。
 大震法に定めた警戒宣言は恐ろしい経済的破壊力を持つ。発令されると、東海地方で新幹線、高速道路、学校、工場などすべてが事実上、止まってしまう。警戒宣言を無視するのは法律違反だ。
 ただ、警戒宣言発令後の食料品などの物資輸送についてはほとんど誰も考えていないようであり、混乱を招くだろう。警戒宣言実施のコストは日本のGDPからざっと計算して、1日当たり数千億円単位に及ぶ。

(写真)倒壊した住宅のがれき処理はこれからだ(熊本県益城町)

 政府ははっきり示していないが、大震法を実施した時の社会経済への壊滅的な打撃は十分わかっているようであり、適用する見通しはなさそうだ。それでも、メンツと予算の獲得のために法律を廃止できないのだろう。なぜなら、東海地震を前提にしたインフラ整備及びその予算は、担当する政府部局、自治体、関係業界、政治家など多くの人々にとって大きなメリットがあるからだ。つまり、大震法はゾンビのようにいつまでも存続するだろう。
 上述を踏まえると、国は間接的に1995年に正確な予知はできないと認めたと言えるだろう。だが、いまだにそのことは一般に広く知られていないように思える。この件に関しては拙著『日本人は知らない「地震予知」の正体』(双葉社)でより詳しく解説しているので、関心のある方は参照されたい。

地震調査研究推進本部の「リニューアル・オープン」

 1995年に旧「地震予知推進本部」が「地震調査研究推進本部」に名称変更されたが、地震調査推進本部の主要メンバーは以前とほとんど変わらなかった。唯一の変更点は地震のハザード・マップ(確率的地震動予測地図)を作成・公表するということだった。
 そのハザード・マップを、実際に起きた大地震と重ね合わせてみると衝撃的な事実がわかる。今後30年のうちに震度6弱以上の地震に見舞われる確率が極めて高いとされている、南海・東南海・東海地方や首都圏では、1990年以降死者10人以上の地震は起こっていない。実際に起きた震災は、比較的安全とされた地域ばかりだった。この地図はハザード・マップではなく、“外れマップ”と呼ぶべきだ。
 1965年にスタートした国の予知計画の考え方は、地震発生の理論が十分解明されていないにもかかわらず、観測データさえ取れば“顕著な前兆現象”が見つかるだろう、という楽観論に立脚するものだった。予知計画以前にも80年以上にわたり予知研究を行っていたが、誰も前兆現象を見つけていなかったという事実にも関わらずだ。
物理の常識を忘れたことが敗因
 予知計画は物理学の常識から逸脱した発想だった。常識ある研究の進め方は、まず、現象(地震発生)を理解して(これが基礎研究である)、その上で応用(地震予知)へ進むことだ。なぜ国とその審議会委員が基礎研究を省略して、いきなり応用を目指そうとしたのかは本当に理解しがたい。ある種の群集心理的現象としかいえない。結局、この現象論的予知研究は科学的成果を何一つとして上げることなく半世紀もの時間を費やしてしまった。
 予知計画はフェードアウトしつつあるが、そもそも予知は不可能かどうかとの課題が残る。いうまでもなく、何か(タイム・マシーン、不老不死剤の開発など)が不可能と証明すること自体はほとんど不可能だ。筆者としては、地震発生というものは非常に複雑な非線型現象で、地球内部の詳細な応力分布などに敏感であり、予知することはできるはずがないと考えている。
 また、これまで130年以上にわたり研究、観測を行ってきたので、地震学の基礎研究や観測技術に飛躍的な進展があったのは事実だが、それにもかかわらず予知が今まで一度もできていないことは悲観論の根拠となるだろうが、これによって不可能との証明にならない。しかし、予知が不可能と完全に証明されていないことと、予知研究に予算を与えるべきことは全く別だ。
 予知研究をしたい研究者がいるとすれば、他分野と同様に、その研究者はこれまでの研究成果及び今後期待される成果をまとめて説得力を有する研究計画を申請して、審査を受けるべきだ。審査に合格した場合、筆者は採択には異存ないが、「予知研究」だからといって優遇は一切すべきではない。
 前述の“外れマップ”という失敗の原因も物理学の基礎中の基礎を無視したことにあるといえる。マップ作成の予測モデルは、固有地震説、すなわち地震が繰り返し、やや周期的に発生するという説だが、これは未だに科学的には検証されていない。
 一般にどの学問分野においても未検証の予測モデルが間違った予測値を与えることはよくあるし、特に驚くべきものではないが、驚くべきは、地震予知に関しては国と審議会委員がこのモデルの検証を全く行わないまま、いきなり国の地震対策の中核部分として採択したことである。
 結局、これまで50年にわたる国の地震対策(1965〜1995年の予知計画、1995年〜現在の調査研究)は、物理学の常識からかけ離れており、当然のことながら科学的根拠もなく、ハザード・マップが示す通り失敗である。予知幻想に依存する体制を白紙に戻し、ゼロベースから地震対策を見直すべきだ。
 同時に、政治とマスコミも反省すべき点は少なくない。結局政治は防災利権を食い物にしたとのそしりを免れないだろう。またマスコミも、御用地震学者から得た情報を十分な裏を取らずに垂れ流していることが多い。新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震などが示したように、日本は地震国であり、いつでもどこでも地震は起こりうる。日本に住む者ならば誰でも、当面の地震対策として「想定外」を想定しておくしかない。

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