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<原発事故>炉心溶融 認めるまで2カ月

 2011年3月11日の福島第1原発事故発生直後、1〜3号機で燃料が溶け落ちる「炉心溶融」(メルトダウン)が起きたかどうかをめぐり、東京電力や政府は曖昧な説明に終始した。放射性物質の放出状況などから、炉心溶融の可能性が高いとの報道が繰り返しなされ、専門家も同様に指摘したが、東電が公式に溶融を認めたのは事故から約2カ月後。「情報を隠した」「事故を矮小(わいしょう)化しようとした」などと厳しい批判を受けた。

 1〜3号機をめぐっては、3月12日、経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(当時)が記者会見で「炉心溶融がほぼ進んでいる」と言及。この発言に懸念を示した首相官邸の指示で、中村氏は会見担当を更迭された。その後、政府や東電の担当者からは、炉心溶融に慎重な発言が目立つようになった。
 当時、東電や保安院に、記者会見での説明について事前調整を徹底するよう官邸の指示があったことが、政府の事故調査委員会の聴取などで判明している。
 東電は核燃料の「損傷」が起きていることは間違いないとした上で、3月15日に炉心の損傷割合が1号機で70%、2号機で30%、3号機で25%などとする暫定的な試算結果を公表。4月27日に損傷割合をそれぞれ「55%」「35%」「30%」に訂正したが「炉心溶融は起きていない」との説明を続けた。
 さらに保安院も東電などとの議論の末、4月18日に「溶融の程度は燃料を取り出すまで確定しない」として、炉心溶融に否定的な見解を取りまとめた。
 東電は事故から約2カ月後の5月15日、1号機で地震発生から約5時間後の3月11日午後7時半には炉心損傷が始まり、翌12日早朝には、大部分の燃料が圧力容器の底に溶け落ちたとの試算を公表。初めて公式に炉心溶融を認めた。
 5月24日には、2号機も3月15日午後8時ごろ、3号機も3月14日午前3時ごろに大部分の燃料が溶け落ちたとの試算を公表し、溶融を認めた。



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