【記事12800】第一分科会_神戸からの声_地震と原発__生越忠さん講演(市民による環太平洋反原子力会議1996年10月20日)
 
参照元
第一分科会_神戸からの声_地震と原発__生越忠さん講演


※赤字部分は引用者(地震がよくわかる会)の加筆部分です。

(前略)

■地震と原発
                              生越忠

 紙面の都合上、資料がなくてもなんとか理解できるようなものにするために、生越氏が講演の内容を再編成してくださいました。その文章を掲載いたします。

一次設計と二次設計

 原子力開発推進派の人たちは、従来から一貫して、「原子力施設に限っては、どんなに強い地震に襲われても百パーセント安全」と主張しつづけてきました。しかし、そのように言えるものは、地球上のどこにもなく、私たちの住家も、強い地震に襲われた場合には、ある程度の損傷をこうむることは避けられないという前提に立って建築されているというのが実情なのです。

 すなわち、現行の建築基準法によると、建物の耐震設計には一次設計と二次設計とがあって、一次設計では、震度階がX程度の地震動によっては、建物の被害はほとんど発生せず、人命はもちろん、建物も機能をそこなわないことを目標に、また、二次設計では、震度階がYないしZの地震動によっては、建物にはある程度の損傷は生じても、建物の崩壊は生じないことを、かつ、人命もそこなわないことを目標に設計することになっています。

 現行の建築基準法は、1978年に宮城県沖地震(M=7.4)に際して、とくに鉄筋コンクリート造りの建物が予想外の大きな被害をこうむったことにかんがみて、1981年7月に改正されたものなんですが、兵庫県南部地震に際しては、現行の建築基準法に基づいて建築された新しい建物もかなり崩壊しました。ゆえに、現行の建築基準法に基づいて建築された建物ならば安全とは、決して言えないことになります。

震度階の区分の変遷

 ここで、震度階のことについて、若干の混乱が生じていますので、少々説明しておきます。

 どこかで地震が起こると、A地点では震度W、B地点では震度Xというように、各地の震度が気象庁から発表されますが、耐震工学には設計震度、略して震度という用語があって、これは、気象庁がWとかXとかいう震度とは、まったく別の意味のものです。そこで、WとかXとかいう震度に対しては、混乱をさけるため、「震度階」という用語を用いることにします。

 ところで、今からほぼ半世紀ほど前の1943年から1948年までの5年間、西南日本には、1943年9月10日の鳥取地震(M=7.2。1083人)、1944年12月7日の東南海地震(M=7.9。1251人)、1945年1月13日の三河地震(M=6.8。2306人)、1946年12月21日の南海地震(M=8.0。1443人)および1948年6月28日の福井地震(M=7.1。3769人)と、1回で1000人以上の死者が出た地震が5つも発生し、この5年間の死者数の合計は、1万人近くにも達しました。とくに、福井地震に際しては、死者数がきわめて多かっただけでなく、場所によっては家屋全壊率が100%にも達しました。

 そして、福井地震の発生当時は、震度階は0からYまでの7階級に分かれていましたので、この地震の震度階は、当然、最高のYと認定されました。

 しかし、福井地震による被害は、あまりにも大きかったことから、気象庁は、翌1949年に、Yの上に新しくZを設定し、震度階を0からZまでの8階級に区別しました。このとき、気象庁がYおよびZに対して与えた説明では、Yは「烈震。家屋の倒壊は30%以下で、山くずれが起き、地割れを生じ、多くの人が立っていることができない程度の地震」とされ、また、Zは「激震。家屋の倒壊が30%以上に及び、山くずれ、地割れ、断層などを生じる」とされていました。

 ここで、とくに指摘しておかなくてはならないことは、Zの説明のうちの「断層などを生じる」という箇所は、正しくは「地震断層の出現などが見られる」と言い換えるべきだということです。アメリカでは、いわゆる直下型地震の大部分は、すでに存在している活断層の再活動によって発生するという活断層地震説が以前から主流になっていましたが、日本では、最近まで、活断層地震説が主流の座を占めておらず、地震が発生して断層が生じるものと誤って考えられていました。

 さて、福井地震の発生後、日本列島は、全体として地震活動の静穏期に入ったため、兵庫県南部地震が発生するまでは、1回で1000人以上の死者が出た地震は1つもなく、死者数の最大は1993年7月12日の北海道南西沖地震(M=7.8。230人)、2番目は1960年5月23日のチリ地震(M=9.5。142人)、3番目は1983年5月26日の日本海中部地震(M=7.7。104人)でした。しかも、北海道南西沖地震の死者の多くは津波、チリ地震による死者は、いうまでもなく全部が津波、日本海中部地震による死者は、104人中の100人までが津波によるものでした。

 こういう次第で、気象庁地震観測所で震度階Zが観測された例は、Zが設定されてから兵庫県南部地震が発生するまで、1つもありませんでした。

 しかし、兵庫県南部地震に際しては、崩壊した建物の下敷きになったことなどによる死者が6300人以上に達し、また、淡路島の北部では、すでに活断層として知られていた野島断層にほぼ沿って、水平方向に最大約2.5m、上下方向に最大約1.2mの変位(ずれ)を伴った地震断層が出現したことなどにより、淡路島の一部および神戸市などの一部で、気象庁として初の震度階Zが記録されることになりました。

 ところが、神戸新聞などの一部マスコミは、「気象庁初の震度階Z」というべきところを「史上初の・・・」というふうに誤って報道したことがありました。

 しかし、震度階Zが設定されたいきさつから考えると、福井地震の震度階は、発生当時はYとされていたものの、この地震による被害があまりにも大きかったためZが設定されたのですから、現在では当然、Zと読みかえなくてはならないものとなります。また、1949年以前の地震のなかにも、YをZと読みかえなくてはならないものが沢山あり、私が勘定したところでは、1891年10月28日の濃尾地震(M=8.0)以降の約100年間に、少なくとも20以上を数えることができます。

 いずれにしても、兵庫県南部地震が発生する以前にも、Z相当の地震は数多く起こっていたのですから、神戸新聞などが報道したような「史上初の・・・」という表現は、明らかに誤っていることになります。

 なお、本年(1996年)10月1日から、従来のXがXの弱およびXの強に、また、従来のYがYの弱およびYの強に分かれましたので、これまで0からZまでの8階級級に分かれていた気象庁の震度階は、10段階に分かれることになりました。また、各震度階の説明も、主として近年発生した被害地震の実例から、かなり変更されましたが、地盤・斜面にかかわる説明は、Yの弱およびYの強については、「地割れや山崩れなどが発生することがある」とされ、Zについては、「大きな地割れ、地滑りや山崩れが発生し、地形が変わることもある」とされています。

過小に見積もられていた 関東大地震の際の地震動による揺れの強さ

 兵庫県南部地震の地震規模(M)は、7.2でしたが、この地震に際して、1923年9月1日の関東大地震(M=7.9)クラスの巨大地震に襲われても十分に安全といわれていた新幹線・高速道路・高架鉄道や地下鉄などが、至る所で大きな被害をこうむりました。

 Mが0.2小さくなると、地震波として出されるエネルギーは半分になりますから、兵庫県南部地震は、地震波として出されたエネルギーの大きさという点では、関東大地震のおよそ1/11程度のものにすぎなかったことになります。

 このことから、地震による被害規模の大小と地震規模の大小とのあいだには密接な関係があるとは必ずしも限らないこと、また、従来、建設事業者側がしばしば口にしてきた「関東大地震クラスの巨大地震に襲われても十分に安全」という主張はまったく当てにならないことが明らかになりました。

 ところで、関東大地震が発生したのは、今から70年以上も昔のことで、そのころには、精度の高い地震計があったわけでもなかったことから、各地でどの程度に揺れたのかについては、実際にはよく分かっていません。

 しかし、関東大地震の際の揺れの強さは、東京の山の手台地で平均300〜400ガル程度であったとされてきたことから、この値が、関東大地震の際の揺れの強さを代表する加速度値として、長い間一人歩きをしてきました。とはいっても、関東大地震の最大の被災地となった南関東は、地質がきわめて複雑なため、この地震による揺れの強さは、地質の差異に対応して、場所ごとにかなり異なるものになったと想定されています。そして、この点を現在の東京都区内についてみても、第四紀洪積世の関東ローム層に被われている山の手台地は、被害状況などから、第四紀洪積世の主として粘性土層に被われている下町低地と較べて、揺れの強さがはるかに弱かったことが明らかになっています。

 また、関東大地震の震央位置については、学者によって見解が異なっていますが、いずれにしても、この地震は、相模湾内を北西−南東方向に走る相模トラフ沿いに起こったプレート境界型巨大地震であることから、川崎・横浜両市内の軟弱地盤地帯や相模湾沿岸の低地部などでは、東京の山の手台地よりもはるかに強く揺れたことが容易に推定され、もっとも強く揺れた場所の推定加速度は、おそらく900〜1000ガル内外にもなったものといわれています。したがって、関東大地震の際の揺れの強さを代表する加速度値とされてきた平均300〜400ガル程度という数値は、かなり過小に見積もられたものであったことになるわけです。

「原発の重要な施設は、関東大地震の3倍の地震にも耐えられる」という原発開発推進派の主張の誤り

 ところで、建築基準法では、関東大地震の際の山の手台地の平均加速度が300〜400ガル程度であったとされていることを根拠にして、400ガルの半分の200ガルを一般建築物の耐震設計に適用される標準水平加速度値とみなされています。ただし、現行の耐震設計では、200ガルを重力加速度の980ガルで割った0.2という数値を標準層剪断力系数という用語で表していますが、この用語は、1981年7月に改正される前の建築基準法で使用されていた水平震度とほぼ同義のものです。

 そして、原子力施設のうち、安全上重要なAクラスの施設(安全上とくに重要なAsクラスの施設を含む)については、一般建築物の3倍の地震力を考慮することになっていますが、これは、層剪断力係数を標準の0.2の3倍の0.6くらいに見ておけば、安全余裕は十分に確保できるであろうとの考え方に基づくものです。

 このことから、原子力開発推進派の人たちは、「原発の重要な施設は、関東大地震の3倍の地震にも耐えられる」と豪語していますが、前にも述べたように、関東大地震の際の地震動による揺れの強さは過小に見積もられていましたので、原子力施設のうちの安全上重要なAクラスの施設について、一般建築物の3倍の地震力を考慮したということだけでは、どんなに強い地震にも安全というわけにはいかないことになります。

「震度階Zの地震にも原発は安全」という電力会社筋の見解の大ウソ

 さて、兵庫県南部地震の際の最高震度階は、当初、神戸・洲本でYとされていましたが、その後の被害調査によって、淡路島の一部や神戸市などの一部でZに達した地点があることが明らかになりました。そうしたら、各電力会社は、いっせいに「震度階Zの地震にも原発は安全」という大ウソを言いはじめました。

 ところで、原子力施設の耐震設計に関する安全審査は、現在、「発電用原子炉施設の耐震設計に関する審査指針」(1978年9月29日に原子力委員会策定、1981年7月20日に原子力安全委員会一部改訂)によっておこなわれており、原子力施設の基盤の最大の揺れの強さは、カインを単位とする最大速度振幅によって示されています。しかし、この審査指針の策定以前には、原子力施設の基盤の最大の揺れの強さは、ガルを単位とする最大加速度振幅によって示されていました。そして、原子力施設の耐震設計に関する安全審査にあたって、原子炉施設の敷地の基盤の最大の揺れの強さが震度階によって示されていたことは、これまでは一度もありませんでした。

 ところが、各電力会社は、兵庫県南部地震に際して、気象庁として初の震度階Zが記録され、被害規模としては戦後最大のものになったこと、そして、原子力施設がもしZの地震に襲われた場合には、施設の耐震安全性は確保できなくなるのではないかという不安の念を多くの人々が抱くようになったことから、そのような不安の念を打ち消そうとして、急に「震度階Zの地震にも原発は安全」と言いはじめました。

 しかし、気象庁震度階級では、震度階Zが最高であって、Zの上に[があるわけではありませんから、「震度階Zの地震にも原発は安全」ということは、「どんなに強い地震にも原発は安全」ということになりますが、兵庫県南部地震によって日本の耐震工学の水準は決して高いものではないことが明らかになったことを考えてみても、「原発の耐震安全性は、Zの地震に襲われた場合には確保されない可能性が大きい」とみなすべきものとなります。

 本年(1996年)10月1日に改正された気象庁震度階級の震度階Zの地盤・斜面にかかわる説明は、すでに述べたように、「大きな地割れ、地滑りや山崩れが発生し、地形が変わることがある」とされていますが、原子炉設置場所の基礎地盤が、大きな地割れ、地滑りの発生や、地震断層の出現などによって大きく変位・変形するようになれば、いかなる耐震設計も無意味なものになって、原子炉施設は、確実に損傷をこうむることになります。

 私がこのように言うと、電力会社側は、おそらく、「徹底的に地質を調べて、活断層のない地点を原子炉設置場所として選定したのだから、そこの基礎岩盤が地震断層の出現などによって大きく変位・変形するようなおそれはない」と反論すると思います。しかし、原子炉施設の設置を前提にした電力会社による地質調査は、徹底的におこなったというには程遠いもので、ボーリング調査にしても、一般には、せいぜい300m程度の深度までしかおこなっていませんから、そんな調査で活断層の不存在を明らかにすることなどは、到底できないはずです。

 ちなみに、地震断層は、主として、おおむねM=6.5以上、震源深さが20km以浅のいわゆる内陸直下型地震が起こった場合に出現していますが、日本における既往のいわゆる内陸直下型地震のうちの最大規模のものである1891年10月28日の濃尾地震(M=8.0)の際には、合計7本の地震断層が出現し、最大変位は、水平方向に約8m(根尾谷地震断層)、上下方向に約6m(水鳥地震断層)に達しました。

 なお、鳥取地震の際に、地震断層の真上の農家が倒れずにすんだという例がありましたが、これは、玉石の上に柱を載せて建ててあったので、地面がずれても家が地面に引きずられる割合が少なかったためと考えられています。しかし、原子力施設のうちの原子炉建屋などの重要な施設の基礎は、岩盤の上に直接設置されますので、地震断層の出現によって岩盤がずれても、その上の施設がそれほど引きずられずに済むということは考えられず、したがって、その施設が重大な損傷をこうむることは明らかです。

金井式の「破産」


 もし、この式が使い物になるものであれば、ある1つの地震が各地に与えた影響度は、震源距離が近い地点ほど大きく、震源距離が遠い地点ほど小さくなりますが、実際には、そのようなことにはなっていません。

 このことを、兵庫県南部地震について見てみますと、この地震の震源は、淡路島の北端付近の明石海峡の海底下の深さ17.9kmとなっていますが、対岸の明石の震度階はW。ところが、神戸市から宝塚市に至る25〜26kmの帯状地域の震度階はYになっており、また、この帯状地域の南方には、震度階Zの地域が同様に帯状をなして分布しています。そして、上記のYの地域は、この地震の起震断層となった活断層沿いの地域であり、また、Zの地域は、主として埋め立て地や湿地帯など、地質が著しく軟弱・劣悪な地域になっています。

 東京大学地震研究所の一部の学者は、この地震の起震断層となった活断層沿いのYの地域の南方にZの地域が出現したのは、後者の地域内に潜在活断層が走っているからではないかと想定したことがありました。もし、そうであるならば、Zの地域内に震央がある余震が発生しているはずですが、実際には、そのような事実は認められていません。ゆえに、起震断層となった活断層沿いの地域がYで、その活断層から離れた南方の地域がZになっているのは、後者の地域の地質が著しく軟弱・劣悪なことによるものと考えられます。

 さて、金井式に代わる式として、福島・田中の式というものが提案されておりますが、この式では、震源距離の代わりに断層距離を用いることとされていますので、活断層の再活動によって引き起こされたいわゆる内陸直下型地震が各地に与えた影響度を計算する式としては、金井式よりも矛盾が小さいということができます。とはいえ、この福島・田中の式も、地盤の性質の差異は考慮外におかれていることから、この式にも適用限界があることになります。

 すなわち、この福島・田中の式によっては、兵庫県南部地震に際して、起震断層となった活断層沿いの地域よりも、その活断層から南方の地域のほうが震度階が1ランク高くなっているという事実を矛盾なく説明することができないわけです。

 結局、金井式および福島・田中の式のいずれも、複雑な性質の地盤を均質な地盤と見立てて導かれた式なので、各地点における地震動による揺れの強さを正しく計算することは不可能になります。

 なお、当該地震を引き起こした活断層を特定できれば、福島・田中の式で採用される断層距離を正確に計算することができます。しかし、どの活断層が再活動してその地震が起こったのかが分からない場合が少なくなく、兵庫県南部地震についても、震源断層となった野島断層以外でも、まだ正確には分かっていません。このような場合には、当然、断層距離の正確な計算も困難になります。

 また、金井式で採用される震源距離は、震央位置が変わると、当然変わることになりますが、正確な震央位置を知ることは困難な場合が少なくなく、とくに古い地震にあっては、最大の被災地をかりに震央位置とみなしていることがしばしばありますので、震源距離の数値にはかなりいい加減なものが多いといわざるをえないことになります。

 さらに、古い地震にあっては、震央位置だけでなく、地震規模(M)についても、どこまで正確なのかが分からないものが多いこと、そして、1926年以前の地震の大部分については、震源深さが不明なことは、金井式および福島・田中の式のような計算式の利用価値が事実上ほとんどないことを示すものということができます。

 ここで、地震規模(M)がどのように変わったかを、若干の例について説明しますと、1993年1月15日の釧路沖地震および1994年10月4日の北海道東方沖地震は、発生直後の気象庁の暫定値は、それぞれ、M=7.5およびM=7.9となっていましたが、その後、それぞれ、M=7.8およびM=8.1に訂正されました。また、関東大地震は、長らくM=7.9とされてきましたが、最近の値は、M=8.16とされています。

 気象庁は、1982年に、1926年から1960年までの地震について、地震規模・震央位置および震源深さを見直した結果を公表しましたが、それによると、地震規模については、大きくなったものと小さくなったものとがあり、たとえば、1930年11月26日の北伊豆地震は、7.0が7.3になりましたが、1943年9月10日の鳥取地震は、7.4が7.2になりました。

 ところで、原子力施設の安全設計では、金井式によって敷地基盤の最大速度振幅が求められていますが、以上の説明から、金井式の「破産」が明らかになったからには、この式によって求められた最大速度振幅は、まったく当てにならないといわざるをえないことになります。

 私は、自然科学の一分野の地質学の研究者なので、長大な時間をかけて、広大な空間の中で生起された複雑な地質学的諸現象をあるがままに観察し、検討します。ゆえに、計算できないものを無理に計算するようなことは、絶対にしません。それは、もし、そのようなことをすれば、検討対象になっている地質学的現象の本質を見誤ってしまうことを十分に知っているからです。

 しかし、工学畑の人たちは、設計値を求めなくてはならないので、無理をしてでも(たとえば、複雑な性質の地盤を均質な地盤と見立てるようなことをしてでも)、一つの計算をします。だから、そのようにして求められた計算値は、実情とは著しく違背したものに必然的になってしまいますので、地質学の観点からすれば、計算値を求めること自体が無駄−というよりは、根本的に誤っていることになるわけです。

 一時期、「破産」した金井式に代わる計算式として、福島・田中の式を高く評価する向きが原発反対派のなかにもあったかに見えますが、すでに述べましたように、後者の式も、複雑な性質の地盤を均質な地盤と見立てているという点などで、利用価値には限界があり、したがって、現在の耐震工学の水準では、敷地基盤の最大速度振幅の正しい値を求めるための計算式は、どこにもないことになります。

 そのような次第で、これまでにおこなわれてきた原子力施設の耐震安全性は、まったく信頼できないものといわざるをえないわけです。

地震と震災

 さて、兵庫県南部地震のことを「阪神大震災」とか「阪神・淡路大地震」とかいう人が沢山おりますが、兵庫県南部地震は、小さな余震がまだ少しはあるかも知れないにしても、現段階ではほぼ終息したとみることができます。しかし、震災は、まだまだつづいており、地震関連死者は依然として発生しているし、仮設住宅に住むことを余儀なくされている人たちも大勢います。ゆえに、自然現象としての地震と、程度の差はあるものの人災的要素をそなえた震災とは、ひとまず区別することが必要になります。

 ところで、この地震は、地震規模(M)としては、専門家の予想を越えるような大きなものだったわけでは決してありませんでした。

 すなわち、地震予知連絡会は1970年2月、地震予知のための特定観測地域および観測強化地域を初めて指定したとき、阪神を特定観測地域のひとつに指定しました。また、同連絡会が1978年8月に、指定地域の見直しをおこなったとき、阪神は、地域が拡大されて、「名古屋−京都−大阪−神戸地区」となりました。なお、一部の地質学者や地震学者も、兵庫県南部地震が発生するずっと前から、それほど遠くない将来、阪神地方に壊滅的な打撃を与えかねないようないわゆる内陸直下型地震の発生の可能性を警告していましたが、私も、六甲アイランド線の建設のための公金支出の差し止めを求める住民訴訟の原告側証人として、1988年12月14日の神戸地方裁判所の法廷で、その可能性を指摘しました。

 しかし、行政側や事業者側は、私を含む一部の地質学者や地震学者の警告を頭から無視しただけでなく、関西地方の大部分の地点では、関東地方などと較べると、ふだんは有感地震の回数がかなり少ないことなどを根拠にしてか、「関西には地震はない」というデマを飛ばし、多くの住民が地震に対する警戒感をいだかないように仕向けて、無秩序的・無計画的な乱開発を強行しました。

 とくに、兵庫県南部地震による最大の被災地となった神戸市では、あたかも土建業者の利益しか考えていないような歴代の神戸市長のもとで、地震時の危険性の問題をまったく考慮外においた乱開発がとめどもなく強行されたため、地震にきわめて弱い大都市がつくられてしまいました。また、神戸市の隣接ないし近隣の諸都市も、程度の差はあるものの、やはり乱開発によって、地震にきわめて弱い都市になりました。

 兵庫県南部地震が、M=7.2というものでしかなかったのに、なぜ6300人を超える死者や10万戸を超える全壊家屋などが出るほどの大規模な被害地震になったのかといえば、その最大の理由は、乱開発をしたということにあります。

(写真は省略)
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/pbnc/b1/image22.jpg

兵庫県南部地震の経験を踏まえると

 さて、原子力安全委員会は、兵庫県南部地震の発生後、かりに神戸に原子力施設があったとしても、この地震による耐震安全性は確保できたと結論しました。

 その理由は、地震地体構造の観点から、六甲山系南東縁から淡路島北部までの活断層群の位置に想定されるM=73/4の地震が神戸にもっとも大きな影響を与える可能性があると考えられること、そして、もし神戸に原子力施設を設置する場合には、このM=73/4の地震が当然考慮されることになるが、兵庫県南部地震は、この地震の範囲内におさまるものであることという点にあります。

 しかし、原子力施設の耐震安全性は、地震規模(M)がいくらの地震にまで耐えられるのかが問題になるのではなく、敷地基盤の最大速度振幅がいくらの地震にまで耐えられるのかが問題になるのであること、しかし、「破産」した金井式に代わって、敷地基盤の最大速度振幅を正しく計算することができる式は、どこにも存在していないことから、上記のような原子力安全委員会の結論は、明らかに誤っているといわざるをえません。

 また、地震によって敷地基盤に変位・変形が生じれば、原子力施設の耐震安全性は当然損なわれるはずですが、原子力安全委員会は、このことにはまったく言及していません。

(図は省略)
http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/pbnc/b1/image23.gif

 次に、原子力開発推進側は、兵庫県南部地震の際に震度階がになった地域が、再活動したと推定される活断層の位置の南方の軟弱地盤地帯であったという事実から、強固な岩盤上に直接設置される原子炉施設などの重要な原子力諸施設の耐震安全性を、ことさらに強調しています。しかし、いわゆる内陸直下型地震が敷地の近地で発生した場合、強固な岩盤も剛構造の原子炉施設も、いずれも周期が短く、共振現象を引き起こすことも考えられますので、その場合には、原子炉施設の耐震安全性がかえって損なわれかねません。

 さらに、兵庫県南部地震に際して、ポートアイランドで、南北方向の水平加速度が、地下83mの強固な地盤上では679ガルに達したのに対し、その真上の地表上では341ガルしかなかったという事実がありましたが、このようなことが原子力施設の敷地にもあるとすると、原子力施設は強固な岩盤上に直接設置されるから安全という従来の考え方には、重大な疑問が生じることになります。

 しかし、原子力開発推進側の人たちは、開発推進の妨げになりかねないような事柄については、いっさい言及しておりません。

 兵庫県南部地震の発生によって、日本の耐震工学の水準の低さが白日のもとに露呈されたのですが、原子力開発推進側の人たちの「原子力施設だけは百パーセント安全」という主張も、それが大ウソであることが明らかになりました。そして、この地震の経験を踏まえると、原子力施設の耐震安全性についての疑問は、解消するどころか、ますます深まってきたといわざるをえないのです。
(後略)


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