【記事67840】<東電旧経営陣公判>「先送り」後も対策提案 津波試算社員(毎日新聞2018年4月11日)
 
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<東電旧経営陣公判>「先送り」後も対策提案 津波試算社員

 東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣3人の第6回公判が11日、東京地裁(永渕健一裁判長)であった。事故前に想定津波の試算を担当していた男性社員が10日に続いて出廷し、元副社長の武藤栄被告(67)が2008年に津波対策を「先送り」する方針を示した後も、対策会議の設置を提案したと語った。
 東電は08年3月、国の地震調査研究推進本部が02年に「福島沖を含む日本海溝沿いで巨大津波が発生しうる」とした「長期評価」に基づき、子会社に依頼して最大15.7メートルの津波が到来すると試算。男性社員は10日の第5回公判で、武藤元副社長に試算結果を報告したが、08年7月に見送りを指示されたと語っていた。
 男性社員は11日の公判で、「見送りの指示」から約1年後の09年6月ごろ、土木や建築などのグループが連携して津波対策を検討する会議の設置を上司に提案したと証言。だが上司は「不要」と退け、会議の設置は実現しなかったと振り返った。しかし、その後、男性社員が上司の役職に昇格し、10年8月に会議の設置が実現したと明かした。
 対策会議は原発事故までに4回開催され、男性社員は「12年秋までには、どんな対策工事をするか決まっている状態を目指した」とも証言。結局、11年3月に津波が到来したことについて「大きなショックを受けた」と話し、津波の規模については「さらに大きかった」と想定外だったことを示唆した。
 武藤元副社長ら3被告は、これまでの公判で「試算が確実なものか(社外の学会に)検討を依頼していたもので、津波対策を先送りしたわけではない」と主張している。【岡田英、伊藤直孝】

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