【記事88730】【東電訴訟は十年戦争だ。この機会を活用してゆこう】 原発は単に発電方式の選択ではなく、その設置と運転には特別の責任が求められることを改めて示した判決 上岡直見〔環境経済研究所(技術士事務所)〕(たんぽぽ舎2019年9月20日)
 
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【東電訴訟は十年戦争だ。この機会を活用してゆこう】 原発は単に発電方式の選択ではなく、その設置と運転には特別の責任が求められることを改めて示した判決 上岡直見〔環境経済研究所(技術士事務所)〕

 2019年9月19日の東電刑事裁判では被告が全員無罪となり、不当判決と憤るのは当然である。
 ただし事前の集会では、弁護士さんから強制起訴に持ち込めただけでも奇跡的で、判決は楽観できないとの解説があった。
 また判決がどちらになっても、相手方が控訴するから高裁があり、さらに高裁の判決がどちらになっても上告で最高裁があるから十年戦争だと言われた。
 被害者の救済にかかわる事案であれば急がなければならないが、この訴訟で求められているのは刑事責任だけなので、不当判決と憤るだけではなく、何か得るところはないかと考えるべきだろう。
 その点で注目したのは「津波についてあらゆる可能性を想定し、必要な措置を義務づければ、原発の運転はおよそ不可能になる」という裁判長の指摘である。
 これは裁判官が意図したものかどうかわからないが、大きな謎かけと言える。
 というのは、既設の原発は考えうる条件のいくつかを除外して、必要な措置を講じていないから運転されていたと解釈できるからだ。
 東日本大震災では、福島県と茨城県の海沿いの火力発電所も津波で大きな被害を受けて停止したが、公衆被害を起こしていないし責任を問う議論もない。
 当時の経営者が刑事責任を問われたのは、それが原発だったからである。
 原発は単に発電方式の選択ではなく、その設置と運転には特別の責任が求められることを改めて示した判決として引用することもできるのではないか。
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