[1999_11_01_02]1999年8月17日トルコ・イズミット地震と北アナトリア断層_広島大学文学部_奥村晃史(サイエンスネット_1999年11月1999年11月1日)
 
参照元
1999年8月17日トルコ・イズミット地震と北アナトリア断層_広島大学文学部_奥村晃史

 はじめに
 
 1999 年8月 17 日,トルコ西部のイズミット付近を震源とするマグニチュード 7.4(注1)の大地震が発生して,15,000人以上が死亡した.その衝撃がまださめやらない9月21 日,今度は台湾中部でマグニチュード 7.8の大地震が発生して 2000 以上の人命が奪われた.現地からの生々しい報道映像を見て,多くの方が 1995 年の阪神淡路大震災を思い起こしたことであろう.そして,その記憶が早くも薄らいでいることに気づいた方もあったのではないだろうか.
 大地震は同じ断層から繰り返し発生する.現代社会を震撼させるような大地震も,数千年・数万年という人類と地球の歴史の中では,定常的な地殻変動の一こまである.ほとんどの地震はプレートと呼ばれる,地球の表面を構成するジグソーパズルの一片一片がぶつかりあったり,引き離されたりする境界とその周辺で発生する.日本の場合,太平洋の海底にあるプレ−ト境界では巨大地震が100〜200年の間隔で発生して陸上にも大きな被害をもたらす.しかし,内陸の活断層の多くはプレ−ト内断層で,活動の再来間隔は普通1000 年以上である.ところが,世界に目を向けてみると,プレート境界が陸上を通過し,100 年〜 300 年という短い再来間隔で大地震を発生させている場所がある.その代表がカリフォルニアを南北に走るサンアンドレアス断層であり,また,トルコの北アナトリア断層である.これらの断層は,地表に明瞭な地震の痕跡を刻みつけるとともに,多数の地震の記録を地表直下に残しており,大地震の発生のメカニズムや,繰り返しのパターンを研究するための貴重なデータを提供してくれる.

 地震の予知と予測

 北アナトリア断層の地震ついて述べる前に,地震の予知と予測について簡単に説明する.地震の予知とは,東海地震の予知のように,数年以内に起こることが確実と思われる地震の震源域に,地震計をはじめとする多数の観測装置を配置して地震前兆現象を見いだし,地震発生の数週間〜数日前に警告を発することを目的としている.世界中で多くの観測や実験が継続されてきたが,予知が成功して人命が救われた事例はまれであり,有効性に対する疑問の声も上がっている.しかし,東海地震が数年以内に起こると思われた根拠は観測や実験でわかったことではなく,駿河湾を震源とする過去の大地震の繰り返しにあった.地震に関する歴史記録の収集と分析,現場での確認を通じて,駿河湾のプレ−ト境界断層では1854年,1707年,1605年?,1498 年に大地震が発生したことが明らかとなった.この100〜150年の繰り返し間隔と,最後の地震からの経過時間をもとに,近い将来の再活動,東海地震が予測され,予知の努力が開始されたのである.
 プレ−ト境界の断層や,内陸の活断層から発生する大地震について,特定の断層区間から同じ規模の地震を繰り返し発生させているとする学説が予測可能性の根拠となっている.一般にマグニチュード 6.5 以上で地表の断層に食い違いを生じるような地震は,発生する場所と規模についての予測が可能であり,活動時期についての確率論的な予測が可能な場合もある考えられている.北アナトリア断層はその予測の可能性を実証することのできる断層として研究者の注目を集めてきた.そしてその実証は 1999 年8月に悲惨な形で訪れた.以下に,1999 年8月 17 日から過去に向かう形でイズミット地震とその背景を述べてみる.

 1999 年8月 17 日イズミット地震

 トルコ時間(GMT +2 時間)の8月 17 日未明午前3時1分すぎ,トルコ西部の工業都市イズミット南西の地下15kmを震源とするマグニチュード(表面波マグニチュード 注1)7.4 の地震が発生した.この地震は,イズミット湾の南岸から,イズミット東方の低地の南縁に沿って延びる北アナトリア断層の再活動であった.断層沿いに分布する町や村では多くの家屋が倒壊して 15000 名余りが犠牲となった.地震後の調査ではイズミットの東西で延長 120km 余りの北アナトリア断層に,4m前後の右横ずれ(断層線を挟んで,反対側が相対的に右に動く)が報告された(http://www.scec.org/research/turkey.html).地震波の分析からもほぼ同じ領域の地下 10 〜 20km より浅い断層面で最大7m,平均3mのずれが起こったとみられる ( 東京大学地震研究所:http://wwweic.eri.u-tokyo.ac.jp/topics/tur-key/index-j.html).
 深夜の地震であったため,死傷者のほとんどは,倒壊した住宅の下敷きになった方々であった.倒壊した低層集合住宅の多くはすべての壁がつぶれて,各階の床がすき間なく重なる,パンケーキ崩壊を起こしている.耐震基準を無視した違法な建築が被害の元凶とする報道もあるが,被害にあった建物も免れた建物も同様の弱点をもつ建築方法で建てられていることが多い.トルコの町で普通に見られる建物は,鉄筋コンクリートで作られた重い床を,鉄筋コンクリートの細い柱で支えて築かれ,壁は中空の軽量ブロックを積み上げて漆喰を塗っただけである.従って,柱が震動に持ちこたえられない場合,壁は床の重量を支えることも,揺れ動く建物を復元することもできずに,一気にパンケーキ崩壊に至る.重なり合う強固な床は被災者にとって致命的であると同時に,救助の大きな障害ともなっている.

 図1 トルコ周辺地域のプレ−ト運動
 境界の数字はNUVEL-1モデルによる相対運動速度(mm/年).
 NAF: 北アナトリア断層,EAF:東アナトリア断層,ザグロス北方の灰色の地域は南北圧縮による地震の発生域,エーゲ海と周辺のアミは南北引張による地震の発生域.

 図2 北アナトリア断層と20世紀の地震
 イズミットを通る太い線が1999年8月の震源断層。

 北アナトリア断層

 イズミット地震の震源となった北アナトリア断層は,アジア側トルコの大部分を占めるアナトリア高原北部を,東西約1200kmにわたって横断するプレート境界である.北アナトリア断層を境に,その南側のアナトリア(マイクロ)プレ−トは北側のユーラシア大陸に対して相対的に西へと移動している.この運動は,北上するアラビアプレ−トとユーラシア大陸との衝突を原動力としている(図1).アラビアプレ−トは南北に開きつつある紅海の拡大により,死海地溝でアフリカプレ−トとの間に左横ずれを起こして相対的に北へ移動し,ザグロス山脈でユーラシアに衝突している.図1で灰色に塗られた地域はこの圧縮力による南北短縮が進行している地域で大地震が繰り返し起きている.アナトリアプレ−トはこの圧縮力によって,一旦打ち込まれた楔が押し出されるようにして西へ移動している.その北側の縁が北アナトリア断層,南側の縁が東アナトリア断層である.一方,西側のエーゲ海周辺には,アフリカプレ−トのヘレニック海溝からの沈み込みにともなって南北に引き延ばすような力が働いている.このため,アナトリアプレ−トはトルコ東部の短縮に伴う物質の過剰を,エーゲ海周辺の引張による物質の不足する地域に運搬するように移動をしている.
 1990 年代,チューリヒ工科大学を中心とする研究グループにより,GPS測量を用いてアナトリアプレ−トの動きが明らかにされた.この測量は原理的にカーナビと同じで,移動するプレ−トに高感度の GPS アンテナを取り付けて,2年〜5年という時間間隔で位置の変化を検出する手法である.その結果,北アナトリア断層の南側は,北側を不動とした場合,毎年 20 〜 25mm 前後の速さで西へ移動していることが実証された.イズミット付近の北アナトリア断層を挟んで毎年15 〜 20mm の動きが観測されている.この運動が断層面に沿って常時,ずるずると継続すれば大地震は起こらない.しかし,この断層面では地震発生時以外食い違いは起こらず,周辺の大地に毎年 15 〜 20mm の割合で歪みが蓄積されていく.そして,断層が歪みを支えきれなくなったとき,一気に大地震が発生する.今回イズミットを通る断層に発生した4m前後のずれは,単純にいって200〜270年分の歪みが一気に解放されたことを意味する.

 20 世紀の大地震と地震空白域

 1999年の地震を予測させた最大の根拠は,今世紀半ばに北アナトリア断層で発生した一連の地震と地震空白域の概念である.図2に示したように,1939年から1967年にかけて北アナトリア断層はマグニチュード7クラスの大地震によって東から西へ順次破壊が進んだ.特に,1939 年,1943 年,1944 年の地震は175km〜350kmという長大な断層の破壊を伴う大規模な地震で被害も大きかった(表1).1999 年の地震は,マグニチュードと死者の数で,1939 年の地震に次ぐ大きなものである.
 トルコの地震学者トクセズは 1979 年の論文で,イズミットやイズニック付近の北アナトリア断層が地震空白域であるとの考えを発表した.図2に示したように,イズミットとイズニックを通過してマルマラ海の海底に続く二条の断層は,その東西で発生した 1999年以前の一連の地震では破壊されておらず,近年まで 20 世紀以前の活動も知られていなかったため,近い将来の地震発生が予測された.しかし,その時期が 1999 年であることは誰も予想することができず,直前の予知も実現しなかった.

 オスマン・トルコ時代の大地震

 ロンドン大学のアンブラセイズとフィンケルは,オスマン・トルコ帝国の文書や同時代の西欧からの外交官・旅行者・商人の記録から北アナトリア断層の活動史を明らかにした.イズミット周辺に大きな被害を与えた地震は,1509 年,1719 年,1754 年,1766 年,1894年,1999年に発生した.このうち,1509年の地震は 1999 年の被害域に加えて,イスタンブールで数千人の犠牲を出し,1912 年の震源域にも被害を及ぼす非常に規模の大きい地震であった.1719年の地震は1999年と似通った被害域で 6000 人以上が犠牲となった.1766 年には再びイスタンブールで数千人が犠牲となる地震が発生した.1894 年の地震では,1999年の被災域で千人余りが,イスタンブールで数百名の犠牲者が報告されている.
 これらの記録から震源や地震の規模を特定することは困難であるが,イスタンブールに死者数千人規模の被害を与える地震は 1509年,1766 年以外には発生していない.イズミット周辺では,1509 年,1719 年,1999 年に特に大きな被害が発生している.また,マルマラ海西岸の 1912 年震源域では,それ以前に,1766 年,1542 年に大きな被害が発生している.これらの大地震の再来間隔は相対的に被害の小さかった1754年,1894年を除いた場合,210 年から 280 年の範囲にある.このうちイスタンブール周辺だけに20世紀,大きな被害が発生していない.
 また,イズミット東方の北アナトリア断層について,同じアンブラセイズとフィンケルの研究からは,1939 年の震源域の西半,1943 年,1944 年の大部分を含む長大な断層が,1668 年に活動したことも報告されている.ここでの再来間隔はやはり,271年〜276年である.

 表1 北アナトリア断層から発生した主要な地震
 アンブラセイズ・宇津徳治両氏のデータによる.変位は地震に伴う断層の食い違い量を表す.

 北アナトリア断層の発掘調査

 筆者が 1996 年まで在職した通商産業省工業技術院地質調査所の研究グループは,1980 年代から北アナトリア断層の調査を続け,1990年にトレンチ発掘調査に着手した.トレンチ発掘調査とは,過去に地震を起こした断層を横切って幅1〜 10 m,深さ2〜3mの細長い穴(トレンチ)を掘り,その壁面に現れた断層の切り口から,いつ,どのような断層運動が発生したかを明らかにする調査である.考古学の調査が表層の地質断面から過去の人間活動を解明するのと同様に,トレンチの地質断面からは過去の断層活動を再現することができる.この調査では,図2に示した5つの地点でトレンチが発掘され,スシェリ以外の地点で過去 1000 〜 2000 年間の断層活動史が解明された.そのうち,1944年断層上のゲレデ,1939 年断層東端のエルジンジャンでは平均して200〜300年に一回断層が活動したことが明らかとなった.ハウザおよびイルガスのトレンチでは,これより幾分長い再来間隔が得られているが,1943年に先立つ活動が 1668 年であったことが確認されている.この他にも,最近 1912 年の断層や,イズミット周辺でもトレンチ発掘調査が開始されたが,マルマラ海周辺の断層活動の長期的な変化はまだ不明な点が多い.

 おわりに

 現在から約 2000 年前までの間の北アナトリア断層の活動についてさまざまな手法によってデータが蓄積されてきたが,断層上のある地点における活動の再来間隔は 200 〜300 年の範囲にあると推定される.したがって,今世紀活動した断層から同じ様な地震が発生するまで,まだ100年以上の時間があると予想される.しかし,イズミット地震震源域の西,イスタンブールに近接した区間の断層が残された空白域であるか否かについて,今後陸上と海底の調査や歴史記録の再検討を急ぎ進める必要がある.また,1894 年や1754 年のような比較的小規模な地震でも,大きな被害が起きていることも事実であり,200〜300年間ごとに繰り返される大地震とは別にその危険性を明らかにする必要がある.われわれは,最近 10 年間の研究の成果から,ようやく北アナトリア断層の地震をおぼろげに予測することが可能となった.しかし,その予測の精度を高め,予知技術とも結びついて災害を軽減するにはまだ多くの課題が存在する.この課題は日本内陸の活断層の危険度評価にも共通している.

注1 表面波マグニチュード(Ms):震源から遠い地点における長周期地震波の観測から求められる地震の規模.世界的な観測網での地震規模決定に多く用いられ,気象庁のマグニチュードとは異なる.たとえば,兵庫県南部地震の場合,気象庁マグニチュード:7.2,表面波マグニチュード:6.8 である.本稿のマグニチュードはすべて表面波マグニチュードを用いた.



KEY_WORD:TORUKO_:HANSHIN_:TAIWAN_:ANSEITOUKAI_:HOUEI_:KEICHOU_:MEIOU_: