[2019_03_12_01]廃炉作業、待ち受けるのはいばらの道「汚染水もう置き場なし」(アエラ2019年3月12日)
 
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廃炉作業、待ち受けるのはいばらの道「汚染水もう置き場なし」

 2011年3月11日の福島第一原発から8年。一廃炉は決まったものの、そこに向けて気の遠くなる作業が続く。現場を歩いた。

【廃炉完了まであと30〜40年? 廃炉に向けたロードマップはこちら】

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 胸につけた線量計が、けたたましい音を立てた。
「ピー!」
 東京電力福島第一原発。2号機と3号機の間の通路で説明を受けていると警報音が鳴った。放射線量が毎時20マイクロシーベルト増えるごとに鳴る仕様だという。
 異臭がするわけでも、空から何か降ってくるのが見えるわけでもない。だがこの時、地上の放射線量は毎時250マイクロシーベルト。4時間この場所にいれば1ミリシーベルトとなり、一般人の年間被曝限度に達する。
「3号機の前は放射線量が高いので、ここでの取材は5分で終わります」
 案内する東京電力の社員にせかされた。
 2011年3月11日、揺れが収まった後に高さ約15メートルの大津波が原発をのみ込んだ。運転中の1〜3号機は炉心溶融(メルトダウン)を起こし、1、3、4号機では原子炉を納めた建屋が水素爆発で壊れ、大量の放射性物質が大気中に放出された。同年12月、国と東電は「廃炉完了まで30〜40年」とした工程表を発表した。
 その枠の5分の1ほどの時間が過ぎた今、現場はどうなっているのか。1月下旬、「3・11」から8年を前に、記者は合同取材団の一員として廃炉作業が続く第一原発の構内に入った。
 まず案内されたのが、原子炉建屋から100メートル近く離れた高台だ。
 バスを降り、建屋を見下ろした。北から南へ、1、2、3、4号機と並ぶ。
 水素爆発で鉄骨があらわになったままの1号機。最上階の枠外に鋼鉄製の「前室」と呼ばれる、作業を進めるための建屋を取りつけた2号機。3号機には昨年、放射性物質の飛散を防ぐ巨大なドーム屋根が設置され、4号機は建屋を覆うように逆L字形の鉄骨が設置されている──。生々しい爪痕を前に、原子炉建屋が吹き飛び排気塔から白煙が立ち上る衝撃的なあの日の光景が、じわりとよみがえった。
 原発構内で働く作業員は、ピーク時の半分近い1日約4300人。行き来する多くの作業員は顔を露出している。殺気立った現場とは違う。ただ黙々と、仕事をこなしている印象だ。だが、作業中は水すら飲めない。
 昼すぎにはひと仕事終えた作業員たちが大型休憩所にある食堂で昼食をとっていた。どの顔もほっとした表情だったのは、装備を外して緊張感から解放されたからだろう。東電によれば、昨年11月から構内の96%のエリアが防護服の着用なしで作業ができるほど放射線量は落ち着いたという。
 廃炉は静かに淡々と進んでいるように見える。だが、道のりは遠い。溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取り出しをはじめ、先例のない困難な作業を前に、待ち受けるのはいばらの道だ。
「近々の課題です」と、案内役の東電広報室リスクコミュニケーターの菅野定信さんが強調したのが、3号機の最上階にあるプールからの核燃料の取り出しだ。建屋最上部にあるプールには566体が保管されている。メルトダウンを起こした1〜3号機で初めて、3月下旬から取り出しを始めるという。
 だが本来、この作業は昨年11月に開始するはずだった。ところが昨年3月に試験を始めたところ機器の電圧設定の誤りや、ケーブルに不良品があるなど初歩的なミスが続き、延期となっていた。今回は大丈夫なのか。
「不具合は検証してきました」(菅野さん)
 いま関係者を最も悩ませているのが、原子炉を冷やすのに使った汚染水の処理だ。
 バスで敷地内を巡ると、汚染水が入ったタンクがぎっしりと並ぶ。かつて一帯は「野鳥の森」だったが、今や「タンクの森」となった。「森」にはタンクが約940基あり、総量は約112万トンに及ぶ。そして今も毎日100トン近い汚染水が発生する。その汚染水から、浄化装置「ALPS(アルプス)」で放射性物質を除去するが、トリチウムなどが入った「処理水」が増えていく。20年末までに137万トン分のタンク増設計画はあるが、その後に置ける余裕は30万トンを切る。最終処分の方法も決まっていない。
 今なお、こうした一つひとつの事実が驚きだ。改めて廃炉という途方もなく長い道を思う。
 そして間もなく、原発事故があった平成が終わる。安倍政権は再稼働を進め、次の時代でも原発に頼ろうとしている。人間のおごりと過信によって、取り返しのつかない事故を起こしたことを忘れたかのように。
(編集部・野村昌二)

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