【記事19576】宮城県沖地震における重点的調査観測_未来の宮城県沖地震を探る_日野亮太(ひの・りょうた)氏(「地震本部ニュース」平成22年2月号2010年2月1日)
 
参照元
宮城県沖地震における重点的調査観測_未来の宮城県沖地震を探る_日野亮太(ひの・りょうた)氏

※引用者注:当記事は参照元の5ページ目を抜粋したものです。
(前略)
2005年宮城県沖地震は何だったのか?

 2005年8月16日に宮城県沖でM7.2の地震が発生しました。震源は1978年の宮城県沖地震に近いのですが、予測されていた次の「宮城県沖地震」と比べると規模が小さいものでした。この重点的調査観測で得られた海底地震観測データの解析により、この地震の震源は間違いなくプレート境界面に震源があることが確かめられましたが(図2a)、1978年の地震と2005年の地震のアスペリティの位置と大きさを比較したところ、2005年の地震時にすべったアスペリティは1978年の地震時にすべったアスペリティの範囲内に完全に収まってしまうことがわかったのです(図2b)。このことから、「宮城県沖地震」のアスペリティは1つではなく、3つ程度の一回り小さいアスペリティの集合体であると、私たちは考えました(図1b)。1978年の地震では全てのアスペリティが同時にすべり、2005年では南側のかなりの部分がすべる一方で、北側の一番大きなアスペリティはほとんどすべることなく残ったのです。そうすると、2005年の地震は「宮城県沖地震」の部分的な再来と言っても良いかもしれませんが、まだ動いていないアスペリティが残っているということになります。
 1978年のもう一つ前の宮城県地震は1936年に発生していますが(表1)、その前後の1933年と1937年にもM7級の地震が宮城県沖で起こっており、これらの地震も宮城県沖にある複数のアスペリティが別々に活動した結果である可能性が高いことがわかりました。注意したいのは、1930年代には比較的短い時間間隔で小さなアスペリティの活動が続発したということです。ひょっとすると、2005年の地震とそれほど時間をあけずに、残された北側のアスペリティが活動するかもしれません。
(後略)

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