[2020_11_17_07]東電「柏崎刈羽」原電「東海第二」原発は、もはや再稼働断念しかない(現代ビジネス2020年11月17日)
 
参照元
東電「柏崎刈羽」原電「東海第二」原発は、もはや再稼働断念しかない

早く合意に取り付けた

 「(政府の)再稼働方針について了解することにした」――。
 こう述べて、宮城県の村井嘉浩・知事は先週(11月11日)、東北電力・女川原子力発電所2号機の運転再開を容認する考えを表明した。発言は、須田善明・女川町長と亀山紘石巻市長との3者協議の直後のことで、村井知事は今週水曜日(18日)にも上京して、梶山弘志経済産業大臣にこの容認の考えを報告する見通しだ。
 再稼働について、東日本大震災の被災地域の原発が地元の了解を獲得できたのは、この女川原発が初めてだ。これにより、東北電力は、対外的に必要な手続きをすべて完了。3400億円を投じ、2022年度中を目指して工事中の安全対策が完成すれば、女川原発を再稼働できるようになる。
 一方、原子力規制委員会の優先審査を受けて2017年に6、7号機の安全審査に合格した東京電力の柏崎刈羽原発と、翌2018年9月に安全審査に合格した日本原子力発電の東海第二原発は、依然として地元の再稼働同意を得られていない。
 女川原発がわずか1年足らずで地元合意を取り付け、先行した2つの原発を追い越した背景に、他とは比べ物にならない高い信頼を地元から受けていたことがある。これこそが、東日本大震災以降、停滞を続けてきたエネルギー・原子力行政が、おおいに参考にすべきポイントと言えよう。
 村井知事は11日の記者会見で、きっぱりとした口調で「私は再稼働は必要だと考えている」と女川原発の運転再開を容認する姿勢を明確にした。その理由として、原子力発電が今なお重要なベースロード電源として期待されていることと、再稼働に伴い雇用が生まれて地元経済に寄与することの2つを挙げた。
 だが、会見中、村井知事の表情は硬く、「いろいろな意見や考え方がある中で苦渋の決断だった」と再稼働に反対する声の存在の指摘も忘れなかった。

東電と何が違ったのか

 確かに、女川でさえ、関係者全員が再稼働に賛成したわけではない。地元の有力紙・河北新報は11月12日、「女川原発再稼働、生煮えの『地元同意』 拙速な知事判断、強引さも目立つ」との見出しを付けた解説記事を掲載。
 村井知事が表明した地元同意は、「消極的な容認の積み重ねにすぎない」「過酷事故を起こした東京電力福島第一原発の隣県として、人命と財産を守るべき県政トップとして、あまりにも早計だ」との批判を展開した。同紙は一貫して、反・再稼働の紙面作りをしてきた新聞だ。
 しかし、頑なな反対はさておき、政府が優先して再稼働のお墨付きを与えた柏崎刈羽、東海第二の両原発が依然として地元の合意に至らない中にもかかわらず、後回しにされてきた女川原発が後れを挽回して先に再稼働への道を切り開いたことは、国の原子力政策に反省を迫る出来事と見なさざるを得ない。
 というのは、結局のところ、政府の意図や思惑とはまったく無関係に、その原発固有の安全対策や企業の取り組み姿勢が地元自治体の同意取り付けの決め手になったことが明らかだからである。
 振り返ってみよう。アイゼンハワー米大統領が1953年12月にニューヨークの国連総会で提唱した「核の平和利用」構想を受けて、東京電力と東北電力はそれぞれ会社として最初の原発となる福島第1原発と女川原発の1号機に同じ米ウェスティングハウス社製の原子炉「Mark1」を採用した。
 だが、用意した立地はまったく違った。価格の安い標準パッケージで導入したいと考えた東電は、わざわざ敷地を削り海抜6mの地点に設置。津波のリスクを膨らませた。自社の営業地域外に立地を求めたことが災い、地元の事情に疎かった感も拭えない。
 これと対照的に、ほとんどの社員が東北地方の出身で、親、兄弟が原発周辺に住む東北電力は立地の選定に慎重だった。平安時代の文献に記された巨大津波のリスクにも精通する人物がいた。そして、そうしたリスクへの配慮を怠らず、当時、東電に「無駄遣いだ」と揶揄されるようなこともあったと言うが、それでもコストを惜しまず原子炉の海抜14m地点への設置を断行した。

3.11で女川原発が果たした役割

 2、3号機の増設時などの追加対応も対照的だった。東北電力は調査を重ね、津波の引き波リスクを発見、壁面強化など追加の安全対策に努めた。
 これに対し、当時の東電経営陣は、東北電力が危機感を抱いたリスクを意図的に黙殺したとみなすべきだろう。現場には沖合に巨大な防潮堤を作るべきだとの意見もあったとされるが、そうした懸念の声に「通説ではない」と耳を傾けることをためらった。学識者らへの追加調査依頼などでお茶を濁し、抜本的な対策を先送りしたのだ。
 東電は後の刑事裁判では万全の訴訟対策を採り、元経営陣らも刑事責任を免れた。しかし、福島第一原発事故を防げなかった現実を踏まえれば、彼らの経営判断、リスク管理の誤りと甘えは明らかなのである。
 2011年3月。東日本大震災の巨大津波で、東電・福島第一原発は全電源を失った。ほどなく1号機だけでなく2、3号機の3機がそろってメルトダウン(炉心溶融)という異常事態に至る。その後、周辺にまき散らした汚染は凄まじく、この事故はIAEA(国際原子力機関)の尺度で最悪「レベル7」とされるなど、原子力史上最大・最悪の事故に発展した。
 一方、女川原発も無傷ではなく、配電盤からの失火が原因のボヤと、津波で押し寄せた海水が取水口から漏れ出すという2つのトラブルがあった。筆者はこれらのトラブルが軽微とは思わない。が、その一方でごく軽微なものも含めて放射能漏れなど原発事故とみなされるものは皆無だった。
 両社の原発の差はこうしたことだけでは決して言い尽くせない。特筆すべきは、女川原発が率先して、震災から3ヵ月弱にわたり、周辺の地震と津波で住まいを失った住民の避難所の役割を果たしたことである。
 最初は、津波の第1波襲来から3、40分を経た2011年3月11日の午後4時過ぎのことだった。数人が「我々の集落では、避難所にしていた建物まで、すべてが流されてしまった。助けてほしい」と、ずぶ濡れの人を含む数人が原発に隣接する一般見学者向けPRセンターを訪ねてきたのだ。
 避難者は見る見るうちに増えて、ほどなく40人前後に達した。通常はテロ対策などの観点から、予め許可を受けていない一般の人の原発への立ち入りは世界的に厳しく禁じられている。が、女川原発は現地の所長判断ですかさず、原発の事務本館や体育館の開放を決め、バスを迎えに出したのだ。
 以後、女川原発は同年6月6日までの3カ月弱にわたって避難所の役割もまっとうした。ピーク時の避難者は364人に達している。

海抜14mの立地

 拙著「電力と震災 東北『復興』電力物語」にも記したが、周辺住民が身の危険を感じた時に迷うことなく原発に助けを求めたのは、困難を極めたという1960年代の原発受入れ交渉から始まり、被災の日までの間に醸成されてきた信頼関係が背景にある。
 震災以前には、原発職員が女川町の酒場で地元の人と並んで酒を酌み交わし、「(女川原発が)この辺りでは最も頑丈な建物だから、もしもの時は避難しておいで」と建物自慢をしていたことを想起した住民もいたという。
 震災後の東北電力の対応も地元の信頼を高めるのに一役買った。
 東電は震災直後から、いきなり計画停電を繰り返し、首都圏の経済やくらしに大きな混乱を招いた。が、値上げだけは迅速だった。
 これに対して、東北電力は、大手の中で最後まで値上げをためらった電力会社だった。実施は、実に震災から2年以上経ってからのことである。火力や水力の発電所、送配電網など東電以上に深刻な被害を受けていたうえ、政府の再稼働停止要請で全国の原発が運転停止に追い込まれて、東北電力の収益はガタガタになった。
 このため、過去に積み上げた利益剰余金などを取り崩した。財務の屋台骨がきしんでいても、やせ我慢を続けたのだ。
 さらに、東北電力は、東日本大震災の際に原子力事故を回避したことに安住しなかった。政府や新設の原子力規制委員会が新たな安全基準を策定するはるか以前の2011年3月下旬、電源喪失を回避するための電源車の追加配備や、放射性物質の漏えいを防ぐための建物の気密性の向上など4項目を柱とする独自の安全対策を公表したのを端緒として、さらなる安全対策に取り組んでいた。
 海抜14mの立地が津波被害の回避に役立ったことにも満足せず、東日本大震災で牡鹿半島の海抜が1〜2m低下したことなどを理由に、巨大な防潮堤の建設を決めた。その後、その防潮堤のかさあげなども決定。現在高さ27mの防潮堤が原発を津波から守る体制が整えられている。

後回しにされてきた女川原発

 前述のように、そうした安全対策の完成は2020年度の見通しで、費用は総額で3400億円にのぼる。この費用は、2020年3月期の最終利益(630億円)の5.4年分に相当する重い負担だが、それだけ東北電力が安全確保に熱意を傾けてきた証でもある。
 すべての原発の廃絶を求める人や、なお女川原発の安全性に疑問を投げかける人がいる中で、女川原発が地元自治体から再稼働の同意を取り付けることができた背景として、こうした安全への取り組みや地元との共生姿勢が評価されたことは見逃せない。
 そして、もうひとつ指摘しておかなければならないのは、国が2度にわたって他の原発の再稼働を優先、女川原発を後回しにしてきたことだ。
 最初は、まだ民主党政権下だった2012年春頃のことだ。問題にされたのは、原子炉の形や大きさだ。日本には、沸騰水型軽水炉(BWR)と、それより大型が多い加圧水型軽水炉(PWR)の2つのタイプがある。このうち、事故があった福島第一原発はBWR型のものであった。
 東日本大震災を受けて、政府には、これといった明確な論拠があるわけではなかったが、構造の異なるPWRの方が再稼働の理解を得やすいのではないかと考えるムードが強かった。
 当時の菅直人総理の自粛要請でBWRの中部電力・浜岡原子力発電所が再稼働を自粛させられる中で、最終的には、やらせメール騒動でとん挫することになるものの、PWRの原発を擁する九州電力、四国電力が早期再稼働を目指していたという状況もあった。
 そして、同年4月8日に、関西電力の八木誠社長(当時)が枝野幸男・経済産業大臣(当時)に、PWRの大飯原発3,4号機の安全対策計画を提出した直後の記者会見で、「(フィルターベントなど新たな対策をしなくても、もともとPWR型の原発は)基本的には福島の事故のようにはならない対策ができているということでございます」と述べた。このことが政府のBWR後回し路線を決定的なものにした。
 結果として、これまでに再稼働した原発9基はいずれもPWRである。しかし、このうちの8基は十分な地元の信頼が得られない中での見切り発車だった。結果として訴訟に発展し、現在、運転を停止している。
 次は、2015年8月のことだ。PWR原発の再稼働が一巡し、BWR型の東電・柏崎刈羽6、7号機、中国電力・島根2号機、東北電力・女川2号機、中部電力・浜岡4号機などが、次は自分たちの番だと満を持して安全対策を進めていた時期である。
 原子力規制委員会が突如、「審査の効率向上」という大義名分を掲げて、「安全審査を当面、柏崎刈羽に集中する」と決めたのだ。審査官の人数が限られる中で、対応できる社員が多く、基本設計も新しい東電・柏崎刈羽を「ひな型」にし、他社が参考にできるようにするという主張だった。

柏崎刈羽はどうなるのか

 が、福島第一原発を起こした東電の優先は、規制委員会の原発の安全性をつかさどる組織としての資質に疑義を生じさせるものだった。国有化されたとはいえ、東電の原子力事業者としての社会的な信用はまったく回復していなかったからで、そうした東電を優先することへの不透明さが歴然だった。
 柏崎刈羽については、もともと、元新潟県知事の泉田裕彦氏らを中心に、福島第一原発事故を起こした東電に原発の運転を認めることに対する慎重な意見がある。にもかかわらず、東電は今なお、十分な安全対策をしたらコスト回収が絶望的な柏崎刈羽1〜5号機の廃炉を明確に確約していない。
 6,7号機の再稼働後の検討課題と位置づけ、地元との駆け引きに使う姿勢すら改めようとしないのだ。東電が運営主体であり続ける限り、地元の信頼を得られる日が来るとは考えにくい。
 原子力規制委員会は2018年夏に適合審査に合格したとして、日本原子力発電にも再稼働へ向けたお墨付きを与えた。日本原電は国や電力会社が経営に関与する国策会社で、会社の性格は国有・東電に近い。主たる収益源は、原発で発電した電気の販売収入で、運転停止が長引き、一般の民間企業ならばとっくに破たんしてもおかしくない危機に陥っていた。
 だが、規制委員会のお墨付きは奏功しなかった。日本原電が敦賀原発2号機の地質データを再稼働に有利な方向に勝手に書き換えていたことが発覚、原発事業者としての資質を疑われる事態になった。地元の合意取り付けはほぼ不可能と見られている。
 そもそも、東海第二は茨城県に立地しており、あまりにも地理的に東京に近過ぎる。言わば、究極の迷惑施設の原発を建設するには不適切な土地なのだ。むしろ、廃炉が現実的な選択肢だろう。
 いずれにせよ、原子力規制委員会の優先的な後押しを受けた両原発が、女川に地元同意の取り付けで先を越されたことは、原発事業各社にとって経営方針の転換を迫る事態と捉えるべきだ。
 東電は自ら柏崎刈羽を再稼働することを断念して、売却するか、事業委託を模索するのが現実的な選択だ。中部電力や東北電力、日本原電などに共同で買収して貰い、運転にあたらせるなど、真摯に考えれば解決策は見つかるはずだ。

菅総理は早々に決断を下すべき

 菅総理は先月、地球温暖化対策の前倒し方針を公表、2050年までに実質ゼロエミッションを達成すると宣言した。係争で運転を差し止められている原発や、再稼働を目指す原発が容易にそれを実現できる環境にない状況も、これ以上放置できない。
 現状では、再生可能エネルギーをどんなに普及させようとしても、容量や安定性の面で技術的なめどが立たず、火力のゼロエミッション化と原発の限定的な使用が避けられないからだ。「核のごみ」の最終処分場の確保や核燃料サイクルの見直し、福島第一原発の処理済み汚染水の海洋放出問題の解決などが、そうした放置できない問題である。
 このうち、コスト面を考えれば、福島第一原発の処理済み汚染水の海洋放出は必要な対策で、避けて通ることは難しい。そのリスクは、海外の原発でも放出している排水と同じレベルに抑えられるという。縷々述べてきた女川の教訓は、安全対策を地道に行う以外に、地元の信頼を得る近道はないというものだ。
 とはいえ、これまでの経緯を考えれば、国や東電がいくら安全と言っても、国民の信頼を得るのは難しい。ならば、ここは原子力の国際機関であるIAEAに水質の監視を依頼して、お墨付きを出して貰うのも一手である。
 安倍政権で官房長官だった菅総理は政権の存続を支える立場から、選挙で票にならないという理由を挙げて原発を巡る懸案をまとめて先送りしてきたキーパーソンと目されている。が、総理になった以上、先送りはやめて、早急に必要な決断をくだす責任があるのではないだろうか。

町田徹(経済ジャーナリスト)
KEY_WORD:ONAGAWA_:FUKU1_:KASHIWA_:TOUKAI_GEN2_:TSURUGA_:OOI_:HIGASHINIHON_: