【記事10217】新潟地震 暗黒と恐怖の一夜 タンクつぎつぎ誘爆 油が流れ民家に延焼 新潟市 文字通り火の海 消火手段なし 市民、ただぼう然 水も電気もガスもなく 死者24負傷257人 割れる道、傾くビル(毎日新聞1964年6月17日)
 
 

※以下は上記本文中から重要と思われるヶ所を抜粋し、テキスト化したものである

 16日昼過ぎ新潟、山形、秋田地方を中心に東北、関東、中部地方を襲った「新潟地震」の被害は調査が進むにつれて拡大、17日午前2時現在死者24人、行方不明者14人、負傷者257人に上っている。新潟市では夜になって昭和石油の4万5千KLのタンク2基はじめ3万KL3基など10基がつぎつぎと誘爆、恐怖におののいている。
(中略)
【新潟】余震と信濃川の浸水におびえる新潟市民に、さらに同9時半昭和石油の三万KLタンクに火が移り爆発した。火は近くの平和町の民家にも延焼、他のタンクの誘爆の危険もあり、付近半径1キロ以内の住民は避難した。
 さらに松浜町の日本ガス化学工場のメタノールガスが噴出し、近くの61世帯も山木戸方面へ避難するなど、深夜になっても恐怖はなお続いている。
(中略)

佐渡に6メートルの津波

【新潟】午後1時20分ごろ、佐渡両津湾は津波におそわれ、両津市民約5000人は付近の山に避難した。泣き叫ぶ子供たち、年寄りや病人をリヤカーに乗せて逃げる人たちなどで大混乱。港にいたイカ釣り漁船45隻は海上保安署の警告でわれ先に構内に避難し津波は1時半ごろから3時までの間に2.5メートルから最高6メートルの高さで10数回も押し寄せ、市の中心街239戸が床上浸水、80戸が床上浸水した。3時すぎからは津波も2メートル前後に低くなった。
 また午後10時すぎ、東京の日赤本社にある日本アマチュア無線連盟無線室に佐渡島からの被害の第一報がはいった。発信人はハムのJAゼロSX(新潟県佐渡郡佐和田町河原田、山崎正行氏)で、佐渡全島の被害状況は生き埋め3人、床上浸水239戸、床下浸水80戸、水田冠水10ヘクタール、道路損壊8カ所、山くずれ3ヵ所、川の決壊5カ所で、3メートルぐらいの津波が5、6回も襲ったと連絡してきた。

(中略)
▲日本の大地震は、どういうわけか夏に多い。東京消防庁が、関東大震災の被害を検討したところによると、もしこの程度の地震が、夏の昼食時に東京で起こったとしたら、出火件数290件、延焼火災件数116件、山手方面はともかく、江東、隅田、江戸川、葛飾、足立各区は大火災になり、死傷数十万に及ぶという。想像するだに恐ろしいことだ。▲被害の復旧や救済はもちろんだが、野上さんの”心配”を肝に銘じて考えねばならむ大地震だった。

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