【記事74430】北海道地震の研究者が被災して考えたこと(読売新聞2018年9月12日)
 
参照元
北海道地震の研究者が被災して考えたこと

 6日未明に北海道を襲った最大震度7の地震は、土砂災害などで震源付近の厚真町の住民ら41人が死亡(11日現在)、火力発電所が停止し、道内全域が一時停電するなど大きな被害をもたらした。北海道の地質や地震を約20年にわたって研究し、現在は愛知県在住の平川一臣・北海道大学名誉教授(71)は、ちょうど学会出席のために札幌市に滞在していて被災した。長年、研究対象にしてきた地震を身をもって体験した学者は、その時、何を思ったのか。(聞き手・読売新聞メディア局編集部 中根靖明)
講演を終えて爆睡していた未明に…

 平川さんは、日本地質学会札幌大会(9月5〜7日、北海道大学札幌キャンパスで開催)で講演するため、愛知県豊橋市の自宅を出て3日に札幌入りし、知人のマンションに滞在していた。
 「5日午前に北海道での地震・津波の研究について学会で講演するために、4日に空路で札幌入りする予定でした。台風21号の上陸で飛行機が欠航する可能性などを考慮し、一足早く3日に札幌入りしていました。予想通り、4日夜から5日朝まで札幌市は暴風雨が吹き荒れ、北大のキャンパスでは、ポプラの巨木が倒れてしまいました。ただ、台風が過ぎ去るのは早く、北海道全体ではそれほど大きな被害は出ていませんでした」
 「台風が通過した後、予定通りに5日の講演を終え、夜は大酒を飲み、ジンギスカンを食べ、マンションに戻って明かりも消さず爆睡していました」
 日付が変わり、6日午前3時8分、胆振(いぶり)地方を震源とするマグニチュード(M)6.7の地震が発生した。その瞬間、「ハッとして、すぐに目が覚めた」という。

揺れる間にも震源などを分析

 長年、地震や地層などを専門としてきた職業柄、発生当時も落ち着いて対処していたという。
 「地震を研究してきた習慣からか、揺れの様子や推移などから『震度5程度。近くの活断層が動いたのではないか。P波(最初の波、縦揺れ)からS波(第二の波、横揺れ)に変化するまでが10秒程度だから、震源からの距離は70〜80キロ程度だろう。(活断層が連続する)石狩低地東縁断層帯(以下、石狩断層帯)が震源かも』などと、極めて冷静に分析していました」
 横揺れが始まるや否や、つけっ放しにしていた明かりが消えた。
 「S波の到達と前後するタイミングで、部屋が停電しました。復旧しないので、まずブレーカーが落ちていないことを確認し、明るくなるのを待って、マンションの階段を下り、大学のかつての研究室に向かいました」。この時も「(厚真町にある北海道電力苫東厚真)火力発電所は(当時考えていた)震源から距離にして20〜30キロ程度なので、これが停電に影響したか」などと冷静に考えをめぐらせていたという。

 大学へと向かう途中、慣れ親しんだ札幌の街を見た。

 「コンビニエンスストアでは、水やカセットコンロのボンベなどの『品切れ』を示す貼り紙がされていて、店頭に残る食料などを買い求めようとする住民が長い列を作っていました。停電で信号が作動しなくなり、大きな交差点では警察官らが交通整理をしていましたが、自動車の数が少なかったせいか、警察官がいない交差点でも何の問題もないかのように通行していました。電気や公共交通機関などのライフラインはほぼ遮断されてしまったものの、私が見た限り、市街地は一部を除いて、ほとんど混乱しているようには見えませんでした」
 「私自身も、いたって冷静でした。地質学者として長年、地震のことを研究してきたからかもしれません。ただ、自分の周囲で住宅が損壊するなどの大きな被害が出ていたら、いくら学者といえども、平常心ではいられなかったと思います」

研究に没頭していた学者たち

 この日、北海道以外の地域では、地震の発生を伝えるニュースが朝から途切れることなく流され、停電で都市機能がマヒした札幌市の様子が繰り返し伝えられていた。だが、平川さんが大学に到着し、午後に地質学会の会場に出向いたところ、一部のプログラムは予定通り行われていたという。
 「講演や口頭発表などは中止になりましたが、停電しているにもかかわらず、(研究成果をポスターにまとめて発表する)ポスターセッションは行われていました。研究者や学生は、何事もなかったかのように参加していました。皆、学会や研究に没頭していたのでしょう」
 「その後、街を歩いて様子を見て回りました。意外だったのは、6日夜の時点で、街はまだ停電が続いていたものの、札幌駅だけは復旧していたことです。公共交通機関などライフラインに関係する場所から順次復旧させていくのかな、などと推測していました。6日の夜は、ホテルはどこも満室でした。幸い、私は宿を確保していましたが、駅の通路などは、宿を確保できなかった人たちでごった返していました」
 空の玄関口の新千歳空港も6日は全面閉鎖されたが、翌7日には一部の便の運航が再開された。
 「幸運にも、私がチケットを確保していた午後の名古屋行きの便は運航されることになり、無事、帰途につくことができました。ただ、空港内は観光客などでごった返し、空港に入るまでに一苦労。特に、外国人観光客は異国の地で被災し、とても怖かったでしょう。大変気の毒に感じました」

便利なキャッシュレスの“弱点”

 今回の地震では、苫東厚真火力発電所が緊急停止し、それに伴って、電力の需要と供給のバランスが崩れ、道内の他の発電所も稼働を停止した。平川さんは、この大規模な停電について、早急な対処を訴える。
 「特に電力網の問題は深刻だと感じました。緊急停止した苫東厚真のみに道内に必要な電力の大半を依存している状況は早急に解消すべきです。まず、(地震を引き起こす可能性が高い)石狩断層帯に近い低湿地という悪条件の場所に、あれほどの規模(165万キロ・ワット)の火力発電所を作ったことが疑問です。せめて道東、道西、道南、道北の地域のそれぞれの、比較的安全な場所に、一定の規模の発電所を作っておかなければならないのではないでしょうか」
 「特に、近年増えている外国人観光客には現金を持ち歩かない人も多い。『キャッシュレス決済』には電源が不可欠です。その点でも、『ブラックアウト』するような事態(の再現)は避けなければいけないと考えています」

あの深さ、規模で「震度7」に至ったのは

 豊橋市の自宅に戻った平川さんは、研究者としての立場で今回の地震と向き合っている。
 震源の深さは37キロ、M6.7と、これまでの常識では特別に大きく揺れる条件を満たしているとは言えない地震で、40人を超える死者を出し、厚真町で震度7もの揺れを観測したのはなぜなのか。
 「数値的には、阪神大震災や東日本大震災、熊本地震ほどの規模ではなく、震度7を記録するのは異例ともいえます。しかし、震源の直上であれば、揺れが激しくなっても不思議ではないと思います」
 「(厚真町中心に被害が出た)土砂災害について、(直前の)台風21号による影響を指摘する声があります。しかし、台風はあっという間に通過しており、それほど大きな影響は出ていないはずです。土砂災害が起こったのは、(もともと剥がれやすい性質の)山の表面の1万年前以降の新しい火山灰層が震動で剥げ落ちたためではないでしょうか」
 この地震について、政府は石狩断層帯が震源ではないとしているが、平川さんはその見解に疑問を呈する。
 「一般的に、活断層が引き起こす地震の震源の深さは10〜15キロ程度です。しかし、今回は最初の地震の震源の深さが37キロと深く、(断層の地図などでは)石狩断層帯から離れているように見えるため、政府も同断層帯に起因するものはないとしています。しかし、今回の地震は(実際には)石狩断層帯から比較的近く、実質的に延長線上にあるといえそうです。石狩断層帯から続く地下深くに存在していた“活断層”のずれにより、起こったのではないかと考えています」

液状化は宅地開発に起因?

 一方、札幌市清田区などの住宅地で起こった液状化現象と、それに伴う住宅の損壊は、地盤による災害に十分配慮しなかった、行き過ぎた宅地開発によるものだと指摘する。
 「清田区や、豊平区の一部などで、液状化で住宅が傾くなどの被害が出ました。このあたりは、1970年代以降に新興住宅地として整備されたところが大半だと思います。札幌周辺は火山灰が堆積してできた地層が多いのですが、特に現場周辺は小高い部分を掘削し、その土砂(火山灰)で谷間や川を埋めた軟弱な土地です。実際に、谷間や川だった部分に沿って陥没が発生しています。自然条件に配慮しない宅地開発が今回の被害を引き起こしたのではないでしょうか」
 「元々軟弱だった箇所が揺れの衝撃で落ち込んだ可能性が高いといえます。『火山灰が堆積した地盤』が弱いというわけではない。人為的に造成した場所だからこそ起こったのでしょう。高層ビルなどのように深く杭を打ち込んで建設する建物であれば、倒壊などの被害は出なかったと思います」

次の大地震の可能性は?

 平川さんは、北海道大に勤務していた1992年から2012年の間に、奥尻島に大きな被害をもたらした北海道南西沖地震(1993年)など、いくつかの大規模地震を経験している。今後についての見解を聞いた。
 「近い将来、北海道では特に根室沖を震源とするM8クラスの地震が発生する可能性が高いと考えています。南海トラフ巨大地震(30年以内に70〜80%の確率で発生)などと同じぐらいの確率と考えています」
 「ただ、日本はあらゆるところに活断層があり、当然のことながら、いつ、どこで大規模な地震が発生するか、実際には誰にも予測がつかないのです。常に大規模地震への備えをしておくことが肝要だと思います」

 ■平川 一臣(ひらかわ・かずおみ)
 1947年、愛知県生まれ。早稲田大学卒業後、東京都立大学(現首都大学東京)大学院博士課程修了。旧西ドイツ政府研究員や、山梨、東京都立の両大学の助教授を経て、93年から2011年に北海道大学教授、12年まで同大学特任教授。専門は地殻変動など。早くから津波堆積物の研究にも取り組んでおり、東日本大震災で研究成果が注目を集めた。政府の南海トラフ巨大地震検討会、日本海溝・千島海溝巨大地震検討会の各委員や、北海道防災会議地震火山対策部会地震専門委員なども務める。根っからの「フィールドワーカー」で、国内外のあらゆる自然を見て回った。現在はほぼ「自給自足」の生活を送りながら、地元・愛知県豊橋市の防災活動にも取り組む。

北海道大学名誉教授 平川一臣
KEY_WORD:IBURIHIGASHI_:HIGASHINIHON_:HANSHIN_:KUMAMOTO_HONSHIN_:HOKKAIDOUNANSEI_: