[2011_09_16_02]明応東海地震の津波 標高36メートルまで到達か 東大調査 東日本大震災に匹敵(東奥日報2011年9月16日)
 室町時代の1498年に発生した大地震「明応東海地震」で、古文書の記録や伝承から、静岡県沼津市で津波が斜面を駆け上り標高36メートルを超える地点まで達していた可能性があることが15日、東京大学地震研究所などの調査で分かった。東日本大震災では、岩手県宮古市の斜面を39.7メートルまで津波がさかのぼったとする調査報告がある。
 静岡県は東海地震の津波被害の想定として1854年の安政東海地震を目安としているが、東大地震研の都司嘉宣准教授は「明応東海地震の津波の高さは安政東海地震の3〜4倍あり、防災指針を見直すべきだ」としている。
 国の地震調査研究推進本部によると、明応東海地震は東海沖から四国沖の滴底にある溝状の地形「南海トラフ」沿いに起きた大地震。マグニチュード(M)は8.3程度で、津波が紀伊半島から房総半島まで達したとされている。
 郡司准教授によると、寺院が記録した古文書などにより浸水場所を調査し、現地で測量。明応東海地震では、静岡県沼津市戸田の集落の「平目平」と呼ばれる地点まで津波が到達したとの伝承があり、標高を測定すると30・4メートルだった。平目平という地名も、当時の津波でそこまでヒラメが打ち上げられたという言い伝えに由来するという。
 また中部電力浜岡原発(同県御前崎市)から30〜40キロの磐田市掛塚でも標高10メートルの場所まで浸水した可能性があった。
 郡司准教授は「今後、津波によって運ばれてきた海の砂の層がないか調べたい」としている。16日から新潟市で開かれる歴史地震研究会大会で発表する。
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