【記事48770】米国の被害から学べなかった日本(島村英紀HP2016年10月28日)
 
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米国の被害から学べなかった日本

 いまからちょうど27年前の1989年10月17日、米国サンフランシスコを大きな地震が襲った。ロマ・プリータ地震である。マグニチュード(M)は7.1。都市直下型で、死者63人。湾をまたぐ橋が破損するなど、大きな被害が出た。
 米国での地震被害としては1906年のサンフランシスコ大地震(M7.8)以来のものだった。1906年の地震では約3000人が死亡し、発生した火災が3日間燃え続けたこともあって22万人以上が家を失った。
 1989年の地震で破損したのはサンフランシスコと対岸にあるオークランドを結ぶ橋ベイブリッジの一部だ。瀬戸大橋が開通するまでは世界一長い吊り橋で、高速道路が通過し、一日に27万台の通行量がある。
 東京のレインボーブリッジのように、橋が上下に重なっている。上層の高架が崩壊して下層を走行していた自動車を押し潰し、上層を走行していた自動車も高架道路から投げ出された。下敷きになった高速道路だけでも41人の死者と多くの負傷者を出してしまった。
 この4年あまり後の1994年1月に今度はカリフォルニア州のもうひとつの大都市、ロサンゼルスを地震が襲った。ノースリッジ地震である。
 Mは6.7だったが、米国史上最も経済的損害が大きい地震になった。これはサンタモニカ高速道路とアンテロープバレー高速道路の二つの高速道路があちこちで崩壊したせいだ。高速道路の崩壊は震源から42キロのところまで及んでいた。
 米国やニュージーランドには「活断層法」があり、活断層の近くには病院や学校など公共の建物は建てられない。だが、この地震は10月21日に起きた鳥取の地震と同じく、活断層がないとされているところに起きた地震だった。ちなみに日本では分かっている活断層だけでも2000以上もあるので、法律が制定できない。
 他方、ロマ・プリータ地震はサンアンドレアス断層という、世界でも最長、1200キロにも延びた活断層の上で起きた。
 この両方の地震とも、日本政府が大規模な視察団を派遣した。
 視察に行った当時の建設省関係の専門家たちは、帰国後、「日本の道路や橋は関東大震災にも耐えることになっているから、日本では高速道路も橋も倒れるはずがない」と保証した。
 だが、日本でも阪神淡路大震災(1955年)では、高速道路があえなく横倒しになってしまった。地震は奇しくもノースリッジ地震のちょうど365日後に起きた。
 視察団の目的は日本が得るべき教訓はなにか、文明が進んだ国の地震被害がどんなものなのかを知るためだったはずだ。
 しかし、この視察は「教訓」にはならなかった。米国でスリーマイルの事故(1979年)や旧ソ連でチェルノブイリの事故(1986年)が起きても、日本の原発では事故が起きるはずがない、と言っていた専門家の話とよく似ている。


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