[2022_09_08_09]東海第二原発 日本原子力発電本店前での市民集会が50回 「再稼働諦めさせたい」 (東京新聞2022年9月8日)
 
参照元
東海第二原発 日本原子力発電本店前での市民集会が50回 「再稼働諦めさせたい」

 首都圏の市民グループなどがつくる「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」が日本原子力発電本店(東京都台東区)前で毎月第一水曜日に開いている東海第二原発(茨城県東海村)の再稼働に反対する集会が、七日で五十回目の節目を迎えた。雨天の中集まった約六十人が「老朽原発動かすな」「住民の声を聞け」とシュプレヒコールを上げた。(長崎高大)
 集会は、二〇一八年八月から毎月欠かさず開催している。毎回異なるゲストを迎えたスピーチや、村松衛社長宛ての申し入れ書の提出で、再稼働に反対する声を上げ続けてきた。
 この日は、東京電力福島第一原発事故で福島県いわき市から東京都内へ自主避難した鴨下祐也さん(53)が参加した。
 鴨下さんは「東海第二で原発事故が起きれば、福島第一原発の規模では済まない。百キロ離れていても被ばくはする。近くに住む人だけでなく、遠い人ほどしっかり声を上げないといけない」と訴えた。
 申し入れ書では「原電は敦賀2号機をあきらめ、東海第二原発を再稼働せず、廃炉専門会社に特化すべきであると希求します」などと訴えていた。原電の担当社員が書面を受け取ったが、コメントを求められても応じなかった。
 主催団体世話人の柳田真さん(82)は「足かけ五年近く毎月みなさんの声をぶつけてきた。今後もますますこの運動を大きくして、再稼働を諦めさせたい」と話した。

 ◆「続けることが抗議示す」主催団体世話人・柳田真さん

 50回の歩みを振り返る柳田真さん=東京都内で
 これまでの五十回の抗議行動に毎月欠かさず参加している柳田真さんに、歩みを振り返ってもらった。
 -きっかけは
 茨城県の市民団体の方たちが二〇一七年に本店前で抗議したいと言ってきた。それを手伝ったことが最初のきっかけ。その後、月一回くらいが一番続けやすいということで、現在の形に落ち着いた。
 当初は三百人近く集まることもあったが、現在は毎月六十〜八十人ほど。厳しかったのは新型コロナウイルスの影響が大きかった二年前。存続の危機でもあったが、長く続けることが抗議の意志を示すことと考え、なんとか続けてきた。
 −原電の対応は変わったか
 毎月申し入れ書を提出している。当初は本店の入り口にある机の上に置くだけで、人が出てきて対応してもらえなかった。今年の三月からはようやく社員が出てきて対応するようになった。だが、基本的に対話はできていない。意見を聞く姿勢が見えないひどい対応だったと思う。東京電力などほかの電力会社は、少なくとも誰かしら出てきて対応はしてくれる。
 -展望は
 コロナの影響はまだ大きい。小規模になっても続けていきたい。二年後には事故対策工事が終わり、今後は本格的に再稼働と言い出すだろう。何としても阻止したい。
KEY_WORD:TOUKAI_GEN2_:FUKU1_:廃炉_: