[2022_08_18_03]<東海第二原発 再考再稼働>(44)電力不足 政治家の無策 元かすみがうら市長・宮嶋光昭さん(77) (東京新聞2022年8月18日)
 
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<東海第二原発 再考再稼働>(44)電力不足 政治家の無策 元かすみがうら市長・宮嶋光昭さん(77)

 東京電力福島第一原発事故はショックだった。誰もが「原発は安全なもの」と思っていた。当時、市長として役場に泊まり込み、対応に当たった。あの三月は寒かった。コンクリートの床の上で毛布一枚で寝ていたら腰をおかしくしてしまった。
 個人的なことだが、経営する牧場でも出荷した肉用牛が大暴落してしまった。それまで一頭当たり七十万?八十万円だった牛が四万?五万円と、一割以下になった。市場でせりにかけても取引が成立しない。「原発」に汚染された牛肉は誰も欲しがらない。
 損害賠償の責任は東電にあったから、その後、賠償金で経済的な損失はほぼ補填(ほてん)された。とはいえ、うちは伝票のデータをきちんと保存してあるから補填されたが、観光業なんかはあいまいで、補填が不十分なところもあった。
 一九九九年、東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で起きた臨界事故でも同様に牛の価格が暴落した。この時も、データのない零細な畜産農家は補填されなかった。農作物の農家も一緒だったと思う。
 原発事故直後、われわれは放射性物質を含んだ雨を浴びてしまった。現実的には体に影響がなかったとしても当時、事故で放出され飛散した放射性物質の情報そのものが伝わってこなかった。それがきっかけで、原発はだめだと終始一貫、主張している。
 最近の電力不足や地球温暖化の問題から、再稼働に向けた動きがあるが、3・11から十一年以上も時間があったのに、与野党問わず政治は一体、何をしてきたのか。太陽光発電はある程度、実績を残してきたものの、他にも国内の風力発電メーカーを育成したり、不安定な自然エネルギーシステムを支える蓄電池技術を伸ばす誘導策を取ったりするべきなのに…。今、電気が足りないのは電力政策で政治家が無策だったからだ。
 原発の怖さはもともと分かっていた。二〇〇一年の米中枢同時テロ後、原発のテロ対策が言われたが、まだ原発がミサイル攻撃の標的になる現実味は薄かった。今回、ロシア軍のウクライナ侵攻で、原発は格好の標的になることが証明されてしまった。軍事攻撃では、東電やJCOのように損害賠償を請求する先すらなくなってしまう。
 福島第一原発が立地する大熊、双葉両町を事故後に訪れた。まちが放置されていることに呆然(ぼうぜん)とし、(事故に備えた)避難計画が机上の空論にすぎないことを実感した。人間だけ逃げても、先祖代々の土地や農地、工場などは残していかなければならない。生活の基盤なくして人生は成り立たない。
 (避難計画策定が必要な)三十キロ圏に九十四万人が住む日本原子力発電東海第二原発(東海村)は、もはや事故時に避難できるレベルを超えている。住民が直接、「どうしたらいい?」と役所にやって来ても、もし私が首長だったらとても対応できない。老朽化が進んだ危険な原発は再稼働すべきではない。
 私が三十キロ圏の住人だったとして、飼育している牛千五百頭を連れて避難などできない。生活基盤をなくしてしまうことを前提とした避難計画など無意味だ。(聞き手・林容史)

<みやじま・みつあき> 1944年、東京都生まれ。学習院大法学部卒。2010?14年にかすみがうら市長を1期務めた。同市にある「みやじま牧場」(畜産、乗馬クラブ)の運営会社の相談役。福島第一原発事故後の12年に発足した「脱原発をめざす首長会議」のメンバー。
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