[2020_09_28_01]国の交付金を「ただ取り」するために応募する? 誰が「核のゴミ」問題を軽んじているのだろうか 北海道寿都町「文献調査の受け入れ検討」について 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)(たんぽぽ舎2020年9月28日) |
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8月31日、高レベル放射性廃棄物の最終処分場について、北海道寿都町が立地調査の第1段階である文献調査の受け入れを検討していることが明らかになった。 北海道寿都町、原発に関しては名前が出たことはおそらくない。日本全国に立地及び立地計画が持ち上がった100を超える地点の中に、この地名はない。 札幌市から約150km、函館市から140km、小樽市から約100kmで函館市と札幌市のほぼ中間に位置する。人口は約3000人。財政規模は50億円あまり。 原発に関連することとしては、泊原発の南南西に位置し、30キロ圏内に町の一部が入る。 ◎犠牲のシステムと基地・原発問題 福島生まれの哲学者高橋哲哉は「犠牲のシステム 福島・沖縄(集英社新書2012年1月17日)」で、原発推進政策が沖縄の米軍基地問題と同様に、中央と地方の関係が植民地主義的従属関係であるとし、その解決、犠牲のシステムの解体がなければ民主主義国家たり得ないと指摘している。 「犠牲のシステムでは、ある者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。 この犠牲は、通常、隠されているか、共同体にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている」。 大多数の「幸福」のために犠牲にされる少数者の存在は、歴史的に常にあった。 しかし現代社会は、この犠牲を直視し無くすための、あらゆる努力をする社会であったはずだ。 国は美辞麗句として「沖縄の負担を軽減」などといった言葉だけを踊らせて、解決の糸口さえ見いだそうとしない。 普天間基地の辺野古への県内移設は単なる矛盾の県内移設に過ぎない。本来は無条件前提なしの全面返還であるべきだった。 真面目に全力で取り組んだ政治家もいないわけではない。 しかし「条件返還」である限り沖縄県民の意思は反映しない。 沖縄は、少女暴行事件があった1995年から普天間の移設を論じ始め、現代に至る約25年、基地のない沖縄をと叫び続けた。それはまさしく沖縄以外の日本、特に東京に向けたものだったろう。仲村清子さんの「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」はしかし、今も実現していないし、その気配さえない。 これに対して原子力はどうだろうか。 ◎原子力施設の交付金はあてにならず 原子力が基地問題と異なる点は、立地点の多くで誘致活動があったことだ。多くの施設は誘致により建設された。 これらの自治体の「夢」は、原子力立地に伴う交付金で財政を豊かにすることだった。 「財政を豊かに」といって、何をしてきたかが問われるのだが、1960年代から今日までの自治体の多くで行われたのはいわゆる「ハコもの行政」である。 維持費用ばかりがかさみ、何の役にも立たない使い方のうえ不正の温床にもなりかねない。 福島第一原発の立地自治体はもっと悲惨な事態になったことは言うまでもない。そこには交付金で得た何物も残ってはいなかった。 寿都町が文献調査で手にする20億円は、年間予算の4割に近い。 しかし毎年継続されるものではないから、これで財政状態が豊かになるとは考えられない。長期的な少子高齢化対策にもならない。 自治体の財政を支える基礎は、一つには人口規模である。 人が増えなければ税収も増えない。寿都町は2000年には4000人だったが長期にわたり人口減少、少子高齢化が進み、高齢化率37%(北海道全体では25%、全国は27%)の自治体である。 もう一つは産業振興だが、大きな事業所を持ってきても、それが継続的に地域に雇用などを生み出さないと自治体を支えるまでにならない。 原子力を誘致した自治体の多くも、こうした傾向を持つところが多かった。 では、その後はどうなっただろうか。依然として財政状態の厳しいところが多い。原因としては原子力施設の減価償却に伴う税収の減少、立地交付金の縮小が挙げられよう。原子力施設は建設に伴い毎年多くの交付金が支給されるが、それも時間と共に減る。 原発にも寿命があるから、廃炉になったら交付金は出ない。(今後はどうなるか不透明だが) また、運転していた原発が長期停止するなどした場合も、定期点検が減るなどして地域から人(原発労働者)が減る場合がある。 そこで核燃料税などを使っての恒久的な税収を確保する動きになる。 しかし核燃料税では莫大な税収は見込めない。多くの条例では原子力防災に必要な財源確保として税を設けるケースが多い。それでも防災計画の総てがまかなえるほどではない。 結局、原子力からの交付金では自治体を支えることは困難である。 少子高齢化対策と地域の活性化は、地域での住み方の変更や産業構造の組み替え、さらには自治体と住民相互の地域振興努力によってしかなしえない。何かのハコもの誘致で安定した自治体運営はできない。 ◎「調査だけで撤退」の真意はどこに 寿都町の場合は文献調査だけで20億円、それを手にしたらその後の調査や施設の立地を辞退するかの発言を町長がしており、それが可能であるかの裏付けを資源エネルギー庁に文書で求めている。 これでは調査だけで撤退を表明し、一方で20億円を手にしようとする「ただ取り」ではないか。 元々高レベル廃棄物を受け入れるつもりなどさらさらないが、手を上げさえすれば20億円をもらえるから、というように聞こえる。 その立場で「高レベル廃棄物問題に一石を投じる」という主張の意味が分からない。 制度そのものの欺瞞性、欠陥を明らかにしたいのだろうか。 であれば核のゴミ問題に真剣に向き合ったわけではない。 制度の問題点を指摘したいとすれば良い。 一方で、国が一時的に町の意向を受け入れたとしても、途中からの撤退を保証することは法律で決められるわけではない。約束など反故に出来るのである。 実際に高レベル廃棄物の処分場選定については、調査が始まったらどうやって止められるか、法律上に明文規定はない。 北海道の「北海道における特定放射性廃棄物に関する条例」(2000年10月24日公布)にも違反した際の罰則規定はない。 ◎「犠牲のシステムからの脱却」とは 日本全体が「地方犠牲の体質から脱却を」と言い換えることができる このまま寿都町であれ、地方に高レベル廃棄物処分場立地が進めば、また一つ犠牲のシステムの町が出来る。 例え処分場が完成しなくても電力消費地の大都市を中心とした経済中心の政権は、何のためらいもなく原子力推進に再び舵を切り直すだろう。 フクシマが被災した時に、東京も一時危険になった。その時初めて原発がこれほど危険で、至近にあったことに気づいたのではないだろうか。 しかしそれから10年。世間の話題は今や新型コロナウイルス感染症と長期に続いた安倍政権の次の政権に移っている。 だが核のゴミ問題は日々深刻さを深めている。特に六ヶ所再処理工場の新規制基準適合性審査通過は、核のゴミ問題を問い直す一つのきっかけにしなければならない。今はあまりにも「静まりかえっている」のだが。 使用済燃料を再処理をすれば大量の放射性物質が拡散する。それは自然界を通じて私たちの体内にも蓄積してゆく。そして行き場のない高レベル放射性廃棄物ガラス固化体が溜まり続ける。 一方、再処理しなければ使用済燃料が原発に溜まり続ける。そこで東電と日本原電により、「中間貯蔵施設」が建設されようとしている。 むつ市の中間貯蔵施設は新規制基準適合審査を通過したばかりだが、東電などは来年度には稼働(搬入)しようと考えている。 関西電力も他の電力も同様の中間貯蔵施設を計画している。何処に立地するつもりかは不明ながら、そこもまた犠牲のシステムに組み込まれる。 核のゴミは地下300mに埋め捨てれば解決、というわけではない。 なぜ300m以深ならば安全と言い切れるのか。「数十万年間続く安定した地層がある」というのは人間の短い歴史を背景とした知見程度で言い切れるのか。 疑問は多々あるのに、あたかも立地点を決めれば問題は解決するかの主張は間違っている。 埋め捨ての前の段階で坑道を掘ったら、そこから地下水が流れ込み、もはや「安定した地層」ではなくなる。 さらに地下深部の処分地層の地質構造についても、その下の深部を調べる方法はないから、安定しているかどうかを知ることは出来ない。 本当は安全な処分方法も貯蔵方法もないのだから、現段階では地表または浅い地下に施設をつくり、そこで管理することを考えるしかない。 その場合、発生責任を有する都市や都市住民についても相応の責任が問われることは言うまでもない。 犠牲のシステムからの脱却については日本全体が「地方犠牲の体質から脱却を」とも言い換えることができよう。 (月刊「たんぽぽ舎ニュース」2020年9月号より転載) |
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