[2021_09_16_05]大渋滞の可能性も… 事故が起きた時、本当に避難できるのか? 女川原発を抱える牡鹿半島の住民たちの拭えぬ不安(ABEMA TIMES2021年9月16日)
 
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大渋滞の可能性も… 事故が起きた時、本当に避難できるのか? 女川原発を抱える牡鹿半島の住民たちの拭えぬ不安

 東京電力・福島第一原発事故の後、政府は全国の原発から30km圏内の自治体に対し、避難先や経路を盛り込んだ避難計画の策定を義務付けた。しかし今、その実効性が大きな課題になっている。
 宮城県が地元同意をし、再稼働が迫る東北電力女川原発。立地する女川町内では原発との共存共栄をうたい、再稼働を切望する声が上がる。だが、万が一事故が起きた場合の避難計画は実効性に疑問符が付いたままだ。

 今年3月、女川原発と同じく、津波で浸水した東海第二原発(茨城県)は、避難計画の不備を理由に運転差し止めを命じる司法判断がされた。一方で女川原発では目前に迫る再稼働。東日本大震災を体験した地元住民は不安を抱く。(東日本放送制作 テレメンタリー『拭えぬ不安 避難計画〜福島の教訓はどこに〜』より)

■“原発に近付く道を通らざるを得ない“

 宮城県の牡鹿半島に位置する東北電力・女川原発。高さ14.8mの場所に位置しているが、東日本大震災では福島第一原発や東海第二原発と同様に被災、約13mの津波に襲われた。幸いにも外部電源が確保できたため福島第一原発のような重大事故は免れた。
 半島の先端、女川原発から約10kmの距離にある石巻市旧牡鹿町。「再稼働されっと、避難道が最大の問題になってきますね」と話すのは、地区の行政区長のまとめ役を務める大澤俊雄さん(70)だ。
 避難計画によれば、事故が起きた場合、原発から5km圏内の住民はすぐに避難することになっているが、5km以上離れている半島の先端部、大澤さんが住む旧牡鹿町も同じ扱いとなっている。一方で、5kmから30km圏内の住民は屋内で退避し、放射性物質の飛散が過ぎてから避難を開始することになっている。
 避難するのは、最大でおよそ19万9000人。その7割が、原発の立地する石巻市の住民だ。しかし大澤さんたち牡鹿町の人が避難に使う県道は、片側一車線の一本道。原発に近付く道を通らざるを得ない。実際に道を走ってみると、「この先カーブがあります」というカーナビの音声が鳴り止まない。
 「カーブがありますって、ずっと鳴りっぱなしだよ。(計画を示された時は)怒りと呆れ。だって(原発の方に)近付いていくんだからね、事故あった方さね」と大澤さん。しかも周辺の道路は、東日本大震災や台風など過去の災害でたびたび寸断してきた。
 「どこさも行くことができない、陸の孤島になって。道路は完全に駄目」「福島とか考えっと、事故があったとすれば、たぶんここの半島は住む場所でない。再稼働はしてほしくはない、基本はそこなんです」。

■避難時には大渋滞を引き起こすおそれ

 避難計画への不安の声は至る所で聞かれる。原発からわずか2kmの位置にある石巻市寄磯地区で区長を務める、渡辺洋悦さん(69)も、「やはり避難するには、第一条件として道路整備ですよね」と話す。
 原発事故が起きればすぐに避難を始めることになる寄磯地区だが、近道であっても原発のすぐ脇を通る道は使えず、遠回りする避難経路が想定されている。石巻市民の避難先は仙台市や大崎市など県内27の自治体になっており、寄磯地区の住民は70km以上離れた、大崎市を目指し、車や乗り合いバスで移動することになっている。
 ところが去年5月、県が公表したのは驚くべき数字だった。屋内退避が求められる5kmから30km圏内の住民全て指示に従わず、一斉に避難した場合、5km圏内の住民の避難が完了するまでに5日以上かかるというものだ。情報公開請求をして詳しく調べてみると、最も避難に時間がかかるとされた地区の一つが寄磯地区だった。
 この道55年の漁師でもある渡辺さん。「石巻市の避難計画ね、3日、4日かかるっていうのはねえ…。あの報道見てさ、何でこんなに日数がかかんだいかなと、びっくりしたのね。条件さえよければ船の方が速いんだよね、渋滞もないし」。実際、福島第一原発の事故では、内陸に避難する車で渋滞が発生した。石巻市でも同じことが起きてしまう懸念は拭えない。
 車で通れない場合、船やヘリコプターを使って避難するとしているが、津波が襲来していれば船を出すことはできない。ヘリにしても、天候次第で飛べる保証はない。また、屋内退避を求める住民に対しては車に放射性物質が付着していないかを検査する「退避検査ポイント」を設け、必要に応じて除染を実施する。
 最大規模の検査場には石巻市から最大4万人が押し寄せると想定されているが、車の出入り口は1カ所だけ。1台にかかる時間は3分と見込むが、検査の人員や機材が足りなければ、余計に時間がかかることになる。敷地に入り切れない車が道路にあふれれば、さらなる渋滞を引き起こしかねないのだ。

■避難先に受け入れてもらえない可能性も

 さらに受け入れ態勢にも課題は山積している。
 石巻市と東松島市からおよそ6万4000人を受け入れる想定の仙台市では、「市内の施設で避難者があふれているような状況の場合ですと、避難は受け入れられないということになっております」(市の担当者)と、避難者の受け入れに条件を付けている。あくまでも単独で原発事故が起きた場合の想定で、地震や津波などによって仙台市民の避難やライフラインの停止が起こった場合は受け入れてはもらえないのだ。
 さらに避難所を使える期間も20日以内と定めていて、それ以降どこにどうやって避難するかは避難元の自治体が決めなければならず、駐車場の確保など、課題を挙げればきりがない。
 県は去年8月、地元同意の判断材料にするための住民説明会を開いた。出席した住民からは、「これ避難計画と言えませんよ、被ばく計画ですよ」「国も知事も石巻の市長も女川の町長も一緒に住民と逃げてみてください。いろんな問題点があるのをちゃんと解決してから、再稼働について考えてください」など、厳しい声が相次いだ。
 席上、「住民の皆さんの避難計画についての不安、これは非常に強く感じました」と述べた村井知事。ところが、その3カ月後、立地自治体との協議の場で「再稼働は必要だと考えております」との立場を示した。
 去年11月には、経産相に対し「宮城県に要請がございました東北電力株式会社女川原子力発電所2号炉の再稼働へ向けた政府の方針について、了承という形で回答申し上げたいと思います」と伝達。多くの人の不安を残しながら、再稼働に向けた手続きは完了した。東北電力は対策工事が2022年度までかかるとして、それ以降の再稼働を目指している。
 これだけ問題が指摘されても、再稼働に向かうそのわけとは…。

■「反対反対ではなくて、共存共栄をする」

 原発の立地するもう一つの町、女川町。商工会の会長を務める高橋正典さん(70)は、再稼働の議論を熱い視線で見守ってきた。
 「経済にとっては間違いなく、早くやってもらわないと困る話だよ。震災前が1万14名、今は6300名ぐらいですよ。購買人口が劇的に減ったわけです」。復興事業が終わりを迎えた今、町の基幹産業だった漁業も漁獲高は震災前のピークからは半分以下に落ち込み、衰退の一途をたどっている。
 関連会社を含めると、およそ2900人が女川原発で働いていることから、再稼働による経済効果に期待が高まっているのだ。「恩恵を受けているっていうのが、あるんですよ。だから何が何でも反対、反対ではなくて、共存共栄をする、それを長い間培ってきたし、信頼関係を醸成してきたしね」(高橋さん)。
 原発による経済効果は、発電所の外にも及ぶ。ある弁当店が一日に400個ほど作る弁当は、ほとんどが女川原発向けなのだ。
 女川原発の誘致を町が正式に表明し、着工するまでの1970年代、およそ10年に及んだ反対運動の先頭に立ったのは漁業関係者だった。寄磯の集落にも、その歴史が残っている。「原発が立地する時、今から40年くらいになっちゃね。青年団、実業団、そういう方たちが立地するのは駄目だってことで女川町内をデモしたり、海上をデモしたり、いろいろやったね。その名残っつーか、今もあんだね、あの看板ね」。「原発反対」と記された古い看板について、前出の渡辺洋悦さんはそう振り返る。
 看板の文字とは裏腹に、いま再稼働に対して向けられているのは冷めた視線だ。「この地域では再稼働に対してはあんまりどうのこうって話題にも上らないしね。避難道だけは早く作れ作れっていうのは出てるけどね」(渡辺さん)。

■「1週間しかとどまれない」

 原発で事故があっても、「すぐには避難をしない」と備えを進める人たちもいる。
 女川原発からおよそ10km、牡鹿半島の先端に立つ特別養護老人ホーム「おしか清心苑」では、原発事故発生時、利用者とスタッフが1週間、締め切った空間で生活することを目指している。入居者は50kmほど離れた仙台市の介護施設など6カ所に避難する計画で、相手側の施設と受け入れの協定を結んだ。
 “無理な避難はしない”、それは福島で起きた悲劇が残した重い教訓だ。
 福島第一原発から南西におよそ5kmの位置にあった大熊町の双葉病院と特別養護老人ホームでは、入院患者や入居者44人が移動の最中や避難先で命を落とした。原発周辺から要介護者を乗せたバスが避難先にようやくたどり着いても、避難所に介護要員がいないことなどから、受け入れはままならなかった。これを受け、政府は病院や介護福祉施設に対し、すぐに避難するのではなく、一定期間とどまるための整備を進めてきた。
 おしか清心苑にも一昨年、屋外から放射性物質を取り込まないためのフィルタリング装置が設置された。窓のサッシは気密性の高いものに取り替えられ、入居者と職員、さらに、避難ができなかった地域住民合わせて150人分の備蓄も揃えた。
 しかし鈴木静江施設長は「確かに施設はできたけど、1週間もとどまれるではなくて、1週間しかとどまれない」と危機感を露わにする。「ADLで身体の状態を見て、例えばヘリコプターに乗ってどこの施設に行きますって割り振りとか、誰が付いて行くか、とか…」。与えられた1週間という猶予期間に、重い判断をしなければならないのだ。

■コロナ禍で訓練もままならず…

 政府が去年6月「具体的かつ合理的」だとして了承した避難計画。内閣府の橋場芳文・地域原子力防災推進官は「避難経路、避難手段、避難先といったところの整備確保というのは一通りできたということになっております。我々としては、できているというふうに考えてはいますけれども、地元の方々からすると、まだ不十分なところがあると思われている方もいらっしゃるのかなと。原子力災害は一度起きたら取返しがつかなくなるということで、起こしてはいけないんですけれども、そうなると訓練で検証していくしかない」と説明する。

 しかしその訓練も、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を理由に開催が見送られ、今年度に持ち越された。計画の検証や住民が習得する機会が設けられないまま近づく再稼働。万が一、事故が起きたら。福島の経験を教訓にできているのだろうか。
 福島の避難者や自治体への調査を続ける、元福島大学教授で地方自治総合研究所の今井照・主任研究員は「今回の事故でも明らかになったのは、さまざまな条件が重なり合うので、単に机の上の計画だけではうまくいかない。奇麗な避難計画を一つ作りました、ではなくて、さまざまな条件でこれがああだったらこうだ、これがああだったらこうだというさまざまなタイプのプランニングが必要だ」と指摘する。
 にもかかわらず“あの経験”が取り入れられない理由について今井氏は「本来、あの事故は全国的な事故であるし、少なくとも首都圏の事故であることは間違いないんですけど、そうじゃなくて、あれは福島の話ですよねと閉じ込められてしまっている」と受け止めている。

■「ここで声上げないと取り残される」

 道路整備を叶えるため、道路沿いの集落の区長たちと一緒に住民に署名を呼び掛けようと動き出した大澤俊雄さん。今年6月、沿線の区長が初めて顔を合わせた集会には寄磯地区の渡辺洋悦さんの姿もあった。
 「ここで声を上げていかないと取り残されるっていうか。出来れば年に何回かとかでなく、向こうもそういう熱意がないと動かないっていうから。この状態を見ると、2年後、3年後には再稼働すんでねえかなと思う」「機運はね、盛り上がると思います。道路改良は地元の人たちの長年の念願ですから、再稼働が現実味を帯びてきた中において、いま避難道路を要望とか改良しないと、県道2号線は一生改良しないんじゃないかと」(大澤さん)。
 誰のための避難計画なのか。隣の原発が残したはずの教訓は、どこに。(東日本放送制作 テレメンタリー『拭えぬ不安 避難計画〜福島の教訓はどこに〜』より)
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