[2021_01_13_02]「宮城の人はもう忘れちゃったのか」「なぜ同じ過ちを」 女川原発再稼働の地元同意、元作業員が見せた怒り(withnews2021年1月13日)
 
参照元
「宮城の人はもう忘れちゃったのか」「なぜ同じ過ちを」 女川原発再稼働の地元同意、元作業員が見せた怒り

連載『帰れない村』
 東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20〜30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)

【写真特集】 「津波は20メートルは上がったのではないか」女川の高台に残る残骸 「帰れない村」の今も

「なぜ同じ過ちを繰り返す」

 「とんでもないことだと思うよ。なぜ同じ過ちを繰り返す」
 東日本大震災で被災した東北電力の女川原発(宮城県)が、宮城県知事の同意を得て再稼働に向けて動き始めた11月、元原発作業員今野寿美雄さん(56)は怒りに声を震わせた。
 「原発事故からまだ10年もたっていない。宮城県の人はもう忘れちゃったのか?」

原発に押し迫った津波

 旧津島村の出身。18歳から原発作業員として、主に福島第一、第二、女川の各原発で働いた。定期検査の度に約3カ月間、近くの民宿に泊まりこんで、原発の計器の点検などを担当した。
 震災の日は女川原発にいた。高台にある事務所で激しい揺れを感じた後、外に飛び出すと、遠くの水平線が白波を立てて押し迫ってくるのが見えた。津波は沖合の小島や灯台をのみ込み、やがて原発構内に迫ってきた。
 「あらららっ」
 直後、原子炉やタービンの建屋にいた作業員たちが防護服を着たままバスに乗り、高台に避難してくるのが見えた。原子炉を冷やすための電源などを確保できたことを確認した後、状況を把握するために発電所の外に出た。
 女川原発のある牡鹿半島は、リアス式海岸の海沿いに細い道が張り付いている。道路は至る所で流されたり、冠水したりしており、車での移動ができなくなっていた。
 夜になると、ライフラインを寸断された周辺の住民が原発構内に避難してきた。売店などに残っていたパンやカップ麺などを分け合って夜を過ごした。
 結局4日間、原発構内で過ごし、15日朝、砂利を敷き詰めて通れるようになった道を走り、福島へと向かった。12日に福島第一原発が水素爆発したというニュースを聞き、「もう浪江町の自宅には帰れない」と覚悟していた。茨城県で家族と再会し、二本松市に避難した。

国の主張に警告

 29年間、家族を養うため、原発作業員として誇りを持って働いてきた。一方、原発事故で多くのものを失った。浪江町中心部の自宅は住めなくなって今夏に解体し、実家のある津島地区は帰還困難区域になって今も帰れない。
 かつての勤務先である女川原発は、東北電力が安全対策工事を終える2023年にも再稼働があり得る。
 国は「計画の継続的な見直しや、訓練による検証、道路整備の充実など、強化に向けてしっかりと進めたい」と述べるが、今野さんは警告する。
 「忘れたか? 第一原発の事故の前も国は同じようなことを言っていたぞ。俺たちはどこまでだまされるんだ?」

    ◇

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

〈三浦英之〉2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』。
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