[2022_09_16_02]「国は福島の事故から何を学んだのか」ー“原発を止めた”裁判官が退官後も脱原発を訴える理由(集英社オンライン2022年9月16日)
 
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「国は福島の事故から何を学んだのか」ー“原発を止めた”裁判官が退官後も脱原発を訴える理由

 福島第一原子力発電所の事故後、初めてとなる原発の運転差し止め命令の判決を書いた樋口英明元裁判長。2017年に定年退官後も、脱原発を訴え全国で講演を続けている。22年9月10日には、樋口氏の一連の活動を追ったドキュメンタリー映画が公開された。政府が電力の需給ひっ迫や経済安全保障の名の下に原発再稼働などの原発推進の動きを加速させる中、樋口氏が伝えたいこととは?

 「日本の原発の耐震性は極めて低い」

 政府は8月24日、電力の需給ひっ迫などに対応するために、すでに再稼働した原発10基とは別に7基の再稼働を目指す方針を示した。ほかにも、原発の運転期間の延長や、安全性が高いとされる次世代原発の建設を検討することも明らかにしている。
 だが、それに真っ向から異を唱え、「原発は絶対に動かしてはならない」と全国各地で講演を続けている元裁判官がいる。
 その人、樋口英明氏が注目されたのは、2014年5月に自身が福井地裁の裁判長として判決を出した関西電力大飯原発3・4号機(福井県おおい町)の運転差し止め命令だ。これは2011年3月の福島第一原子力発電所の事故後に出された、初めての原発運転差し止め判決だった(この判決は18年に名古屋高裁金沢支部によって取り消された)。
 樋口氏が、運転差し止めの判決に至った理由は「日本の原発の耐震性は極めて低い。よって、原発の運転は許されない」という、極めて単純明快なものだった。
 裁判官は自分が関わった事案について退官後も論評しないといわれるが、樋口氏は「原発の危険性はあまりにも明らか」という理由から、定年退官後も脱原発の訴えを続けている。
 9月10日には、樋口氏の一連の活動を映像に収めたドキュメンタリー映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』が公開された(ポレポレ東中野より全国順次公開)。
 原発推進の動きが加速し、国民の間にも「原発再稼働やむなし」といった空気が流れるなか、それでも樋口氏が原発の危険性を訴える理由を聞いた。

 福島第一原発事故から何も学ぼうとしていない

――映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』が公開されます。映画では、樋口さんの講演会の様子も収められていますが、なぜ退官後も全国行脚を続けるのでしょうか?
 原発事故が起きると我が国の崩壊につながりかねないのです。このことは13兆円余りの賠償を東電の旧経営陣に命じた東京地裁の裁判長も明言しています。原発の危険性を知った以上、退官したからといって、黙ってなどいられません。

――福島第一原発の事故のときは、東日本壊滅寸前だったと以前から強調されていますね。
 福島第一原発の4つの原子炉のうち、1号機と3号機は建屋で爆発が起きました。さらに2号機では原子炉内の圧力を下げるベントがうまくいかず、ウラン燃料の入った格納容器が爆発する危険がありました。
 もし格納容器が爆発していたら、放射能汚染で東日本に人が住めなくなる壊滅的な被害をもたらしていたかもしれない。本来はあってはいけないことですが、幸いにも格納容器に脆弱な部分があり、そこから圧力が漏れて大爆発には至りませんでした。運がよかったとしか言いようがありません。
 4号機もそうです。定期点検中で、燃料は格納容器の隣の使用済み核燃料貯蔵プールに入っていましたが、このプールも全電源喪失により循環水の供給が停止しました。たまたま隣接する原子炉ウエルに普段は張られていない水があり、それがプールに流れ込んだことで大事に至りませんでした。
 もしこのような奇跡がなければ、東京のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠に被害が出た可能性が指摘されています。

――それでも被害は甚大でした。
 政府は事故後、約15万人に避難指示を出し、今もなお約3万人が避難生活を余儀なくされています。でも世間では、原発事故の恐ろしさが忘れ去られつつあるように感じています。今回の映画は、原発の危険性を、映像を通して誰にでも理解してもらえるようにと企画されました。

――岸田首相は新たに7基の原発の再稼働を表明しました。主な理由は、ロシアによるウクライナ侵攻後の燃料費高騰と、電力の需給ひっ迫です。
 おかしな理屈です。そもそも、電力がひっ迫していると言いながら、国は地熱発電、洋上風力発電、小型水力発電などの再生可能エネルギーの普及には力を入れていません。この11年間、福島第一原発事故から何も学ぼうとせずに「電気が足りない」と言っているようにしか私には聞こえません。

 3.11後に次々と「基準地震動」が上がっている

――その一方、原発を止めるための裁判で、住民の勝訴が複数ありました。例えば昨年3月18日、茨城県の水戸地裁は、原発事故の際の避難路が確保できないとの理由で日本原子力発電の東海第二原発の運転差し止めを命じました。この判決をどう評価していますか?
 水戸判決は、「原発事故に伴う30キロ圏94万人の避難計画に実効性がない」という避難計画を軸にした判決で、これは全原発に適用されるだけに評価します。しかし、それだけで最高裁で勝てるかといえば、難しいと思います。
 というのも、水戸判決は「基準地震動については、原子力規制委員会の審査に不合理な点はない」と書かれているからです。つまり、原発は地震に耐えられると判断したということです。
 「基準地震動」とは原発の耐震設計の基準となる値で、原発の敷地で起きると考えられる最大の揺れをシミュレーションしたものです。その大きさはガルという単位で示され、例えば前述した東海第二原発では1009ガル、関西電力大飯原発3・4号機では856ガル、四国電力伊方原発3号機では650ガルとなっていますが、多くの原発は600から1000ガル前後となっています。
 しかし、日本ではそれを大きく上回る地震が頻繁に起きています。例えば、2016年熊本地震の1740ガル(最大震度7)、2018年北海道胆振東部地震の1796ガル(最大震度7)などで、2000年以降、1000ガル以上の地震動を記録した地震は17回も起きているのです。

――東海第二原発もまた地震に弱いと?
 1978年に運転を開始した東海第二原発の基準地震動はもともと270ガルでした。ところが、2011年東日本大震災後に1009ガルに引き上げられています。コンピュータのシミュレーションで数値が約4倍に跳ね上がったというのです。
 原発は停電するだけで過酷事故につながります。日本原子力発電所は「基準地震動による耐震評価を行い、健全性を確認。補強が必要と判断されたものについては、耐震補強工事を実施する」としていますが、配電関係の耐震性を4倍にすることは不可能だと思います。
 たとえ耐震性が1009ガルになったとしても、日本では1009ガルを超える地震がいくつも起きています。水戸地裁の判決が「原発は地震に耐えられない上に避難計画の実効性もない」との判決であればなおよかったと思います。

――基準地震動の引き上げは全原発であるのでしょうか?

 そうです。東日本大震災後に次々と基準地震動が上がっているのです。にもかかわらず、それを上回る地震が頻発しています。そして電力会社は「この原発敷地に限っては、基準地震動を上回るような強い地震は来ませんから安心してください」と言っているのです。
 世間では、あれだけの過酷事故があったのだから原発は安全に運用されているに違いないと思われている。そうではないことを訴えるために、私は請われれば全国どこにでも行って話をするのです。

 再生可能エネルギーを利用して再起する農家

 ――今回の映画はまさしく、原発なき社会を訴えています。
 監督の小原さんが、丁寧に時間をかけて取材しただけあって見応えがありました。登場するのが私だけでは地味ですが、再生可能エネルギーを利用してどん底から再起する福島県の農家の姿を取り上げたことはよかったと思います。放射能被害で買い手が離れ、まさに原発に生活を壊された人々です。
 映画の主人公のひとりでもある二本松営農ソーラー代表の近藤恵さんは、3.11以前から続けていた有機農業を原発事故で一時は廃業。しかし、だからこそ原発のいらない社会を作りたいと、福島県二本松市で6ヘクタールの土地を使い「ソーラーシェアリング」を実践しています。
 これは、映画で私も初めて知ったのですが、畑に適切な間隔を空けてソーラーパネルを設置し、発電と農業との両立を図る取り組みです。夏は適度な日除けになるので、野菜がへたらないという長所があるようです。
 ただ、このソーラーシェアリングの許認可を得るのに1年半も要したといいます。それでは行政から「諦めろ」と言われているようなものだと思います。脱原発とは真逆の態度です。
 それでも、農家の方々の情熱的で前を向いて歩く諦めない姿勢には感銘を受けました。特に笹谷営農型発電農場・農場長で、高校を卒業したばかりの19歳の塚田晴さんが、近藤さんと一緒に再生可能エネルギーの普及と農業に取り組む姿勢は見ていて清々しい。是非、多くの人に観ていただきたいですね。

取材・文/樫田秀樹

 『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』

 ドキュメンタリー映画
 『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』
 ポレポレ東中野(東京)より全国順次公開
 この映画にはふたりの主人公がいる。原発の運転差し止めの判決を出し、退官後の今も脱原発を訴える樋口英明元裁判長。そして、2011年の福島第一原発事故で離農したが、原発に頼らない社会を作ろうと再起した福島県の農家たちだ。映画は、脱原発に向けての理論と実践の両方を描いた。そして、再生可能エネルギーの可能性を強く訴えている。
 企画:河合弘之・小原浩靖・飯田哲也 製作:河合弘之・小原浩靖 監督・脚本:小原浩靖
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