[2023_01_23_02]<社説>安保転換と原発回帰 歴史の教訓、忘却の先に(東京新聞2023年1月23日)
 
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<社説>安保転換と原発回帰 歴史の教訓、忘却の先に

 昨年十二月、岸田文雄首相=写真=は安全保障や原発を巡る政策転換に踏み切りました。国際情勢の変化、脱炭素の要請とエネルギー危機に対応するためとしていますが、戦争や原発事故という歴史の教訓を忘れてはなりません。
 新年早々、林芳正外相と浜田靖一防衛相に続き、首相がワシントンを訪問しました。新たな国家安保戦略に敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛予算「倍増」を明記したことを伝え、米政権から支持を取り付けるためです。
 米側は「同盟の抑止力を強化する重要な進化」と支持。バイデン大統領は首相の「果敢なリーダーシップを称賛」したそうです。
 日米の首脳や閣僚同士が結束を固める背景には、軍事的台頭著しい中国やミサイル発射を繰り返す北朝鮮、ウクライナ侵攻を続けるロシアへの警戒感があります。
 日米など民主主義国が協調して対処する必要があるとしても、日本の対応には限界があります。

◆敵基地攻撃という威嚇

 憲法九条はこう定めます。
 [日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する]
 戦後日本は「軍隊」を持たず、日米安保条約で米軍の日本駐留を認める道を選びました。その後、必要最小限の自衛力として発足した自衛隊は専守防衛の「盾」に徹し、攻撃力の「矛」は米軍に委ねる役割分担が定着しました。
 これを根本から変え、自衛隊も攻撃力を持ち、米軍の役割を一部肩代わりするのが、敵基地攻撃能力の保有です。政府は、日本攻撃を思いとどまらせる「抑止力」を高め、結果的に日本の平和と安全が維持できる、と説明します。
 安倍晋三内閣当時の二〇一四年に憲法が禁じてきた「集団的自衛権の行使」が内閣の一存で容認され、翌年の安保関連法成立の強行で、外国同士の戦争への参加が法的には可能になっています。
 その上、自衛隊が、海を越えて外国の領域にある施設を攻撃できる装備を実際に持てば、地域の軍拡競争の火に油を注ぎ、逆に情勢が不安定化する「安全保障のジレンマ」に陥るのは必至です。
 そもそも、そうした攻撃的兵器を大量に備えることは憲法九条が禁じる「武力による威嚇」にほかなりません。歴代内閣も「憲法の趣旨でない」としてきました。
 日本周辺で衝突が起き、日本も参戦すれば損害は甚大です。米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)は中国の台湾侵攻に日米が参戦した場合、日米は艦艇数十隻や航空機数百機を失うほか人的被害も数千人に上ると報告します。民間被害も不可避です。
 戦争をしない、他国に軍事的脅威を与えるような国にならないという戦後日本の「平和国家としての歩み」は、国内外に多大な犠牲を強いた先の戦争への反省に基づく誓いそのものです。そうした安保政策を根本から転換した岸田首相には、過ちの歴史で得た教訓と誠実に向き合う姿勢が感じられません。歴史への冒涜(ぼうとく)です。

◆「死亡事故なし」の虚言

 原発への回帰も同様です。
 岸田内閣は六十年としてきた原発運転期間の延長を認めました。政府は福島第一原発事故後「新増設や建て替えは想定していない」と繰り返してきましたが、新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設に取り組むともしています。
 事故が起きれば収束が困難で、多くの人から故郷を奪い続ける原発は、徐々に依存度を下げ、廃止することが歴史の教訓です。
 再稼働にとどまらず、老朽原発を延命し、将来の新増設まで視野に入れるとは、過酷な事故を忘れているとしか思えません。
 自民党の麻生太郎副総裁は講演で「原発は危ないというが、死亡事故が起きた例はゼロだ」と強調しましたが、実際には死者は出ています。首相経験者が事実を曲げてでも原発を推し進める。日本の指導層はいつからそんな恥知らずになってしまったのでしょう。
 ドイツの宰相ビスマルクの格言に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」があります。愚かなる者は歴史から学ばず、自らの経験にしか学ばないとの意味です。
 戦争や原発事故を再び経験しないと学ばないのか。でも起きたら取り返しがつかない。歴史の教訓を忘れた先にあるのは破局です。きょうから始まる通常国会が、先人たちが残した教訓をいま一度思い起こす場となるよう願います。
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