[2025_11_11_06]お先真っ暗な「洋上風力発電」 三菱商事撤退で経産省はパニックに(デイリー新潮2025年11月11日)
 
参照元
お先真っ暗な「洋上風力発電」 三菱商事撤退で経産省はパニックに

 06:06
 3海域で洋上風力発電事業を落札した三菱商事の撤退は、エネルギー業界に大きな波紋を広げている。事業環境の変化による採算悪化は他社も同じだからだ。地球温暖化対策という追い風を受けて進められてきた再生可能エネルギー事業は、大きな岐路に立っている。【井伊重之/経済ジャーナリスト】

***

 政府を挙げて導入を進めてきた再生可能エネルギーに猛烈な逆風が吹いている。温室効果ガスの排出削減と新規産業の育成という一石二鳥を狙い、経済産業省を中心に政府は再生エネの拡大を目指している。だが、「再生エネの切り札」と期待されていた洋上風力発電を巡り、秋田県沖や千葉県沖で政府が公募した事業を落札した三菱商事が一転、建設費高騰による採算の悪化を理由に撤退を決めたのだ。

 想定外の事態を受け、洋上風力の普及に向けて音頭を取ってきた経産省も慌てて善後策の検討に乗り出している。折しも自民党総裁選では再生エネ推進を掲げた小泉進次郎前農水相が敗れ、再生エネの見直しを訴えた高市早苗元経済安保相が勝利を収めた。高市政権が誕生したことで、政府の再生エネ戦略は抜本的な再考が避けられない。

 「誠に残念で遺憾というほかない。県内中小企業の中には、背伸びをして設備投資してきた会社も多い。そうした企業に対する社会的・道義的な責任を果たしていただきたい」

 秋田県の鈴木健太知事は8月29日、秋田県庁で面会した三菱商事の中西勝也社長に厳しい表情でこう迫った。同社はその2日前、秋田県沖などで計画していた洋上風力からの撤退を発表し、中西社長は鈴木知事に直接謝罪するために県庁を訪問した。中西社長は「秋田の皆様のご期待に添えず、申し訳ありませんでした」と平謝りだった。

 地元の期待に冷や水

 同社が撤退を決めたのは、秋田県能代市・三種町・男鹿市沖と同県由利本荘市沖、それに千葉県銚子市沖の3海域で予定されていた大規模な洋上風力発電事業だ。同海域で洋上風力向けに30年にわたって利用する権利を入札で取得し、2028年から発電を順次始め、最終的に計170万キロワットを発電する計画だった。日本初の本格的な洋上風力として産業界や自治体関係者の注目度も高かった。

 沖合の大型風車を海風で回して発電し、その電力を海底に敷設した送電線を通じて陸地に送る洋上風力は、陸上風力に比べて構成部品が数万点と格段に多い。常に強い風や荒波にさらされるため、定期的なメンテナンスも不可欠だ。洋上風力に近い港には作業支援船の基地が整備され、港の周辺では部品の加工工場や倉庫などサプライチェーン(供給網)の進出も想定される。雇用創出を含めて地域経済への波及効果は大きく、洋上風力の対象地域では期待が高まっていたが、三菱商事の撤退はそうした地元の期待に冷や水を浴びせた。

 秋田県が県内企業を対象に緊急調査したところ、今回の撤退で「影響がある」と回答した企業は72社に上った。このうち12社は、すでに洋上風力に関する先行投資を始めており、その規模は数十億円に達するという。目算が狂った地元企業からは「日本を代表する大手企業が採算難を理由に、国家的なプロジェクトから撤退する。そんな自分勝手が許されるのか」と憤りの声が上がっている。経産省はこの撤退を受け、再公募を早期に実施する方針だが、それは地元企業に与える打撃をなるべく小さくする狙いもある。

 三菱商事の撤退に伴い、同社が政府に保証金として拠出していた200億円は国庫に没収される。秋田や千葉の地元からは「事業撤退の影響を軽減するため、地域振興のために保証金を活用してほしい」との要望も出ている。これに対し、経産省関係者は「公募時の規定で撤退した場合には保証金は国庫に没収されると決められている。ただ、三菱商事には地域支援のために一定の負担を求める」としており、同社はさらなる資金負担を強いられることになりそうだ。

 価格破壊で「総取り」

 三菱商事と中部電力子会社を中心とする企業連合が、国内初の大規模洋上風力として政府が公募した秋田県沖や千葉県沖の3海域すべてを落札したのは21年12月だった。同社以外にも住友商事や東京電力、東北電力、九州電力子会社など国内大手がこぞって企業連合を組んで入札に参加したが、そこで三菱商事連合は圧倒的な差を見せつけ、他社に勝利した。

 この入札では、洋上風力で発電する電力をいかに安く販売できるかが最大の焦点となった。そこで三菱商事連合は、3海域をすべて落札することを前提に、大型風車などの資材を海外から大量調達することで売電価格の大幅な引き下げを計画。その結果、同社連合は政府が示した上限価格の半分、2位グループより3割以上も安い価格を提示し、3海域の「総取り」に成功した。他社陣営は三菱商事連合の入札価格を見て「あんな安値には太刀打ちできない。価格破壊が起きた」と強い衝撃を受けた。

 しかし、その破格の安値が三菱商事自身の首を絞めることになった。同社の落札後、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発し、燃料をはじめとした資源価格の高騰で世界的にインフレが広がった。洋上風力の資材価格は円安進行も加わって大きく値上がりした。さらに新型コロナ禍後の人手不足で建設費用も大幅な上昇を記録し、同社の事業計画に大きな狂いが生じた。

 中西社長は8月末に事業撤退を発表した記者会見で、「建設資材の想定外の高騰でコストが2倍以上に膨らんだ。損益がマイナスとなる事業を続けることはできない」などと釈明したが、同社の見通しも甘かったのは否めない。

 コスト高を招いた要因

 主要各国が温室効果ガスの排出削減を迫られた2010年代半ば以降、世界の洋上風力市場は急激な成長を遂げた。欧米の洋上風力会社各社が大型風車を競って導入したことで、発電コストは大幅に下がっていた。三菱商事はそうした傾向が今後も継続すると予想し、他社を驚かせるような安値で落札したのだった。

 しかし、業界関係者は「洋上風力の風向きが変わり、事業環境が悪化していることは、1年以上前に分かっていたはずだ」と指摘する。

 洋上風力で先行する欧州では、すでに23年から24年にかけ、英国やデンマークなどで六つの洋上風力事業がコスト増などを理由に相次いで計画中止や撤退に追い込まれている。デンマークは電源に占める再生エネ比率が8割に上る「再生エネ大国」として知られ、洋上風力も普及しているが、同国が誇る世界最大の洋上風力会社、オーステッドでさえ大規模な人員削減を迫られるなど、採算の悪化に直面している。

 特に欧米に比べて再生エネの普及が遅れている日本の場合、洋上風力で使用する最重要部材の大型風車については、すでに三菱重工業や日立製作所などの国産メーカーが撤退し、世界ではデンマークのベスタスとドイツのシーメンス系、米国のGEベルノバの大手3社が高いシェアを握っている。このため、日本企業はそうした大型風車を高い価格で海外企業から購入せざるを得ない状況にある。これもコスト高を招いた大きな要因である。

 そもそも日本を取り巻く自然環境は、洋上風力に適しているとはいえない。欧州と比べて偏西風が年中吹いてはおらず、「風況」が良い地点が日本海側の一部に限られる。また、遠浅の海域が広がる欧州とは異なり、日本では陸地からすぐ水深が深い海となるケースがほとんどだ。このため、現在進められている海底に風車の支柱を立てる着床式に加え、今後は海に風車を浮かべる浮体式も大量導入する必要がある。本格的な浮体式はまだ実験段階だが、そのコストはかなり割高となるため、採算の確保は一段と困難になる。

 バラ色の将来像を描いてきたが……

 三菱商事の撤退で慌てたのが経産省である。同省は洋上風力を次世代の再生エネと位置付け、2030年代に大幅に拡大するというバラ色の将来像を描いてきた。政府が今年に入って閣議決定したエネルギー基本計画では、再生エネが電源全体に占める比率を、23年度の約2割から40年度には4〜5割へと2倍程度に高める目標を打ち出した。温室効果ガスを排出する化石燃料を使う火力発電の比率を足元の約7割から大幅に引き下げ、再生エネを主力電源として活用する方針を明確にした。そこでは風力発電も現在の1.1%から同年度には4〜8%にまで引き上げることを目指している。そのけん引役と期待しているのが洋上風力だった。

 それだけに経産省としては、鳴り物入りで実施した洋上風力の第1弾公募の落札企業が撤退する事態だけは避けたかった。今年2月に三菱商事は「洋上風力事業の採算が悪化している」として500億円超の大幅な減損を計上し、ゼロベースで事業の再評価を実施する考えを表明した。同社が事業から撤退する可能性を示唆したことに危機感を募らせた同省は、落札条件を急きょ見直し、当初適用した「固定価格買い取り(FIT)」から、市場連動で売電価格を決定できる「FIP」への転換を認めた。

 大株主も影響

 FITとは電力会社が一定期間にわたり、決まった価格で電力を強制的に買い取る仕組みだ。これに対してFIPは、市場に連動させて一定の補助額を上乗せした売電価格を設定でき、需要家との交渉次第で価格の引き上げも可能となる。政府公募で一度落札された事業の条件を事後に変更するのは極めて異例だが、経産省としてはどうしても三菱商事に撤退を思いとどまらせるため、FITからFIPへの転換を容認した。それでも同社は最終的に採算を確保するのは難しいと判断し、国や地方の期待を裏切る形で撤退という非情な決断を下した。

 同社がここまで洋上風力の採算に固執したのは、投資の神様と呼ばれる米著名投資家、ウォーレン・バフェット氏の存在も影響している。同氏が率いる投資会社のバークシャー・ハサウェイの子会社が新たな投資先として日本の大手商社に注目し、その株式を10%前後も購入しているからだ。三菱商事をはじめとした大手商社は、大株主の圧力にさらされる中で株主還元や株価を意識した資本コスト経営を強く求められ、資本効率の向上を最優先事項としている。今回の撤退も、そうした厳格な投資判断の下で決定されたのは間違いないだろう。

 撤退ドミノ

 経産省がいま、最も恐れているのは「撤退ドミノ」である。

 政府は三菱商事連合が落札した第1弾の後、第2弾と第3弾の入札も実施済みだ。第2弾では23年から24年にかけ、ENEOS系や東北電力などの企業連合が秋田県八峰町・能代市沖、JERAや伊藤忠商事、Jパワーなどが秋田県男鹿市・潟上市・秋田市沖、そして三井物産や大阪ガスなどが新潟県村上市・胎内市沖を落札。さらに昨年12月には第3弾として、JERAや東北電力などが青森県沖、丸紅、関西電力などの連合が山形県遊佐町沖をそれぞれ落札している。これらの連合も採算の悪化という同じ事情を抱えており、三菱商事に続いて相次いで撤退すれば、同省が中心となって進めてきた再生エネ戦略も「絵に描いた餅」に終わりかねない。

 このため、同省は洋上風力に対する追加支援の検討に乗り出し、洋上風力の海域利用期間を30年から40〜50年に延長する方向で調整中だ。利用できる期間が延びれば、それだけ大型風車などの発電設備を長期に稼働でき、売電収入も長く得られるようになる。

 さらに同省は、税負担の軽減拡大も模索している。現行では太陽光や洋上風力など再生エネの発電設備に対し、25年度末までに稼働した設備を対象に固定資産税を3年間減額する制度がある。洋上風力は建設が遅れているため、稼働開始時期の条件を31年度末まで延長する方針だ。来年度の税制改正に向けて財務省と協議に入っている。

 それでも落札企業にとって採算の悪化は避けられない情勢にある。第2、第3弾の入札は最初からFIP制度の下で実施されたが、三菱商事の落札結果が影響し、補助金を受け取らない「ゼロプレミアム」とされる安値で落札しているためだ。三菱商事は3海域すべてを落札し、赤字も大きく膨らむと見込んだが、第2弾以降の入札では落札した企業連合が分散しており、赤字額はそこまで拡大しない見通しだという。それでも事業に参加する大手商社関係者は「政府の支援で何とか赤字だけは避けたい」と漏らす。

 経産省幹部は「再生エネの導入による国民負担を軽減するため、洋上風力の第1弾入札では価格の安さを優先した。だが、それが事業者の採算を悪化させる要因になった。今後の洋上風力の入札は事業の安定性を含め、総合的な評価が必要になる」と語る。

 再生エネ戦略を見直せ

 ただ、再生エネの導入拡大で、国民負担は確実に増えている。再生エネによる電力はFIT制度により、最終的には賦課金として国民が支払う電気料金に上乗せされるためだ。25年度の標準家庭(月使用量400キロワット時)の賦課金は月額で約1600円、年間で2万円近くに達する。政府は物価高対策で電気・ガス代を補助してきたが、その一方で賦課金は増加傾向にある。現在の賦課金は太陽光や陸上風力の電力買い取りのために発生しているが、これに洋上風力も加われば、さらに国民負担は増す。このため、国民民主党はFIT賦課金の中断を政府に求めている。

 これまでの政府のエネルギー政策は、温室効果ガスの排出削減に向け、再生エネの導入に重点が置かれてきた。だが、総合的なエネルギー政策を打ち出すには、地球環境だけでなく、安定供給や経済性なども考慮し、多様な電源を組み合わせる必要がある。特に最近では大規模な陸上風力や太陽光発電(メガソーラー)を巡り、地域住民とのあつれきも高まっている。推進一辺倒で取り組んできた再生エネ戦略について、新政権には国民負担のあり方を含め、一度立ち止まって冷静に考えてもらいたい。

 井伊重之(いいしげゆき)
 経済ジャーナリスト。1962年生まれ。産経新聞経済部で経済産業省、外務省、国土交通省などを担当。経済部次長、副編集長を経て2009年論説委員、22年より論説副委員長。23年に退職。著書に『ブラックアウト 迫り来る電力危機の正体』。

   「週刊新潮」2025年11月6日号 掲載
KEY_WORD:風力-発電_:ウクライナ_原発_:再生エネルギー_: