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[2025_06_20_06]「死の棘」巨大アスベスト工場から飛散 クボタショック20年、問われる責任(神戸新聞2025年6月20日) | ![]() |
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参照元
06:00 ■毒性強い青石綿を大量使用 かつてそこに巨大アスベスト(石綿)工場があったことをどれほどの市民が知っているのだろう。JR尼崎駅北側。再開発でショッピングモールやホテル、オフィスビル、高層マンションが立ち並ぶが、以前は国鉄神崎駅の名残をとどめた工場街の雰囲気が漂っていた。長い時を経て街のたたずまいは一変した。この周辺で世界有数の深刻な石綿被害が広がっている。 久保田鉄工(現クボタ)が尼崎駅東側の住宅密集地に神崎工場を置いたのは1954(昭和29)年。水道管に使う石綿管に力を入れた。社史は記す。「石綿でも、ビニルでも、久保田が製造し、クボタのマークをつけたパイプを全国の市場に送り出そう」。原料は米の石綿大手、ジョンズ・マンビル社から仕入れ、製品は独自開発した。 神崎工場は54年から75年に石綿管を、71年から95年に住宅建材を製造した。その間、白石綿14万9375トン、白石綿より毒性が50から100倍強い青石綿8万8671トンを使った。計約23万8000トン。市内では断トツに多く、特に青石綿をこれほど大量に使った企業は全国にもない。 ■経路 髪の毛の5千分の1の微細な石綿繊維。2006年に注目すべき研究データが出された。当時、奈良県立医大教授の車谷典男(産業疫学)、大阪府立公衆衛生研究所課長の熊谷信二は、中皮腫の発症状況などから当時の大気中の石綿濃度を調べた。風は、夜は北東から南西へ。昼は逆に吹く。浮遊した範囲は旧神崎工場から南南西4キロ、北北東1・5キロに及んだ。この範囲内に住んでいた12万人が汚染にさらされたという。 これは20年を経てより精密に裏付けられた。独立行政法人環境再生保全機構は、一般環境で発症し、政府の石綿健康被害救済法で認定された人の最長居住歴の場所を地図に落とした=図。恐るべき集中ぶりだ。 工場のすぐ北側に旧郵政省の職員寮「角田(すみだ)寮」があった。50〜70年ごろまで同省職員の家族や単身者で常時130〜140人が暮らした。この時期はクボタの青石綿時代と重なる。小学校から社会人になるまでを過ごした平田忠男=元中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会会長、故人=は生前、「ふわふわした綿を細かくちぎったような繊維が空から降ってくるようだった」と話していた。 ■公害 周辺を歩くと飛散の記憶が聞こえてきた。「スノーダストみたいにきらきらしていた」「夏でも雪が降る」「粉じんで目がちかちかした」。元従業員によると窓を開け放して作業したという。大気に広がった微細な繊維は時を経て「死の棘(とげ)」と化した。元従業員の死亡は236人、クボタが救済金を支払った周辺住民の死亡は374人。工場内を上回る周辺被害。住民の居住歴は同社の青石綿使用時代と重なる。 角田寮でも発症が相次ぎ、これまで7人が死亡。そのうちの1人が平田の弟だった。石綿被害の予防と根絶に取り組んだ平田は2021年に死去するまで声を上げ続けた。「これを公害といわずして何と呼ぶのか」=敬称略= ◇ 工場内外で深刻な石綿被害が発覚したクボタショックから今月で20年。アジア最悪とされる石綿禍の影響と課題を追う。(特別編集委員・加藤正文) 【クボタショック】機械メーカー「クボタ」は、旧神崎工場(尼崎市)で1954〜95年、アスベスト(石綿)を使用して水道管や住宅建材を製造。2005年6月29日、工場従業員らに健康被害が出ていると発表した。翌30日、市民3人が周辺地域にも被害が及んでいると訴えた。クボタは住民被害と工場の因果関係を認めないまま、事業者としての「道義的責任」を示し謝罪。工場からおおむね1・5キロ以内の被害住民に2500万円から4600万円を支払う救済金制度を設けた。 |
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KEY_WORD:アスベスト問題_: | ![]() |
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