| [2026_01_21_15]九州電力玄海原発訴訟で不当判決 判断は「国と事業者」、責任は「自治体」へ 避難計画の欠陥を承知で追認した福岡高裁 玄海原発差止め判決が突きつける構造的問題 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)(たんぽぽ2026年1月21日) |
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04:00 九州電力玄海原発差止め訴訟の判決公判が、1月20日に行われた。 地震や噴火で事故が起きる危険性があるとして、3・4号機の運転差し止めと国の設置許可取消しを求めた二つの訴訟の控訴審で、一審判決に続き、いずれも請求が退けられた。 新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の審査や判断に過誤や欠落はなく、具体的危険性は認められないと判断したのである。 また、不当な判決が言い渡された。 ◎ この裁判で何が争われたのか この裁判で市民(住民)が訴えたのは、「玄海原発3・4号機を動かし続けることで、命や健康が危険にさらされるのではないか」という問いである。 特に争点となったのは、大きな地震が起きたとき本当に耐えられるのか、巨大噴火など火山の危険は見落とされていないか、事故が起きた場合、住民は本当に逃げられるのか、使用済燃料が増え続ける中で将来にわたって安全なのか、という点だ。 ◎ 福岡高裁の結論は 福岡高裁は結論として、「原発を動かすことで、住民の命や体に被害が出る『具体的な危険』は認められない」として、住民の訴えをすべて退けた。 しかし重要なのは、「なぜ危険はないと判断したのか」という、その理由である。 ◎ 判決の考え方を一言で言うと・・・ この判決の考え方を一言で言えば、こうなる。 「国のルール(規制基準)に反していない」「専門家のガイドに明確に違反していない」「事業者の説明が極端におかしいとは言えない」。 だから、危険とは言えない、というのである。 つまり、「安全だと積極的に証明された」わけではない。「はっきり危険だとは言えない」という理由で、原発の運転が認められただけだ。 ◎ 地震について「不確かさ」を極めて軽く扱う 地震の大きさは、実際には正確に予測できない。 だからこそ、予想より大きな揺れが来る可能性や、計算式に含まれる「ばらつき」をどう考えるかが、最大の争点だった。 ところが裁判所は、その「ばらつき」をどう数値化するかについては決まりがない、会社は「安全側」に考えたと言っているのだから問題ない、と判断した。 これは言い換えれば、「よく分からない部分があるが、会社が“大丈夫”と言っているから、裁判所はそれ以上踏み込まない」というだけのことである。 不確かだからこそ慎重にすべきなのに、不確かさが逆に見過ごされているのだ。 ◎ 火山の噴火についても「めったに起きないから大丈夫」という考え方 玄海原発の周辺には、将来、大きな噴火を起こす可能性のある火山がいくつもある。 裁判所はこれについても、巨大噴火は起きる頻度がとても低く、社会的に「受け入れられる程度の危険」だとして、運転を止める理由にはならないと判断した。 しかし、ここで見落とされているのは、巨大噴火が起きた場合、原発は止められず、燃料も運び出せず、避難もできないという、取り返しのつかない事態と、それに連なる被害である。 「起きにくい」ことと、「起きたら壊滅的」であることは、別問題だ。 ◎ 避難計画に問題があると認めながら「大丈夫」と言う矛盾 この判決でも大きな問題であり、深刻なのが、避難計画の扱いである。 裁判所は、はっきりとこう認めている。 「情報伝達が混乱する恐れがある」「自治体が十分理解していない部分がある」「地震や台風と重なると、計画どおりに動けない可能性がある」。 つまり、避難計画に問題があることは認めているのだ。 それでも裁判所の結論は、「そもそも大事故が起きる具体的危険がない のだから、避難計画の不備だけでは原発を止められない」という、本末転倒な判断だった。 これは要するに、「事故は起きない前提だから、逃げられるかどうかは問題にしない」という考え方だ。 もし事故が起きたらどうするのか、という一番大事な問いが、最初から見事に除外されているのである。 ◎ 自治体にとって何が問題なのか この判決の構図を図式的に整理すると、こうなる。 国と電力会社は→「基準に合っているから動かす」 裁判所は →「それが極端におかしいとは言えない」 自治体は →事故が起きたら避難・被ばく対応・混乱対応を担う 責任だけが自治体に集中し、判断権限は国と事業者にあり、司法はそれを追認する。 この構造が、はっきりと固定化された。 ◎ この判決が私たちに突きつけているもの 福岡高裁判決は、「玄海原発は安全だ」と証明した判決ではない。 「危険だとは言えない」と言っただけの判決だ。 しかし、原発事故は一度起きれば、命・暮らし・地域を長期間にわたって破壊する。 「危険だとは言えない」では足りない技術が、原発なのである。 この判決は、東電福島第一原発事故のあとに私たちが学んだはずの教訓 ―「想定外は許されない」「逃げられない(逃がさない)計画は安全ではない」―それを、静かに後景へ追いやっているのである。 |
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