[2025_02_09_02]原発事故は終わっていない アレから14年、反省なき原発回帰 柏崎刈羽再稼働の是非は県民が決める 菅井益郎(国学院大学元教授)(たんぽぽ2025年2月9日)
 
参照元
原発事故は終わっていない アレから14年、反省なき原発回帰 柏崎刈羽再稼働の是非は県民が決める 菅井益郎(国学院大学元教授)

 04:00
 東京電力福島第一原発では3基の原子炉がメルトダウンし、最長40年かけて廃炉解体するとされていたが、処理作業の見通しはまったく立たない。2号機の炉心溶融物(デブリ)はわずか3グラムの採取にさえ何度も失敗しているありさまである。昨夏から生命に関わるトリチウムH3などの放射能を含む汚染水が漁民や多くの人々の反対を押し切って海洋投棄されているが、その一方毎日100トンもの汚染水が新たに生じている。
 被害民は損害賠償と生業の回復を求めて訴訟を起こしているが、裁判では東電の責任を認めても国の責任は一切認めない。深刻なのは現段階で380人もの子どもたちが甲状腺がんを患っているのに、福島県県民健康管理調査検討委員会も国の専門機関も原発事故との因果関係を否定し続けている。
 また避難先で暮らす人々は未だに全国で2万数1000人以上に上っている中で、福島県は国の方針を受けて、被害民に寄り添うはずの行政が、あろうことか被害民を避難者住宅から追い出す裁判まで行っている。廃炉も進まず、原発事故の被害者救済も不十分な状況が続いているのに、復興面のみ強調され、福一事故はなかったかのような印象操作が目につく。

 ○原発から完全撤退したイタリアとドイツ

 第2次世界大戦に敗戦したドイツとイタリア及び日本は、1950年代米英の核戦略下で原子力開発を開始した。ドイツ、イタリアとも1970年代からは反原発、反核ミサイルの運動が大きくなり、79年のアメリカのTMI原発事故、86年の旧ソ連チェルノブイリ(現チョルノービリ)原発事故で直接放射能汚染に曝されたために、イタリアは1987年国民投票により原発からの撤退を決めた。その後リーマンショック後の不況の中で「原発建設法」が作られるが、2011年3月の東日本大震災と福島原発事故が発生したこともあり、6月再び国民投票で同法は廃止された。
 ドイツもイタリア同様に反原発・反核運動が次第に激化し、ドイツ統一後諸団体は原発の段階的廃止に合意していたが、2010年不況下で産業界と電力業界が異議を申し立て、メルケル政権は廃止延期を打ち出した。
 その直後3・11福一事故が起こり、メルケル政権は 「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」を設置し、その提言に基づき12年以内の原発の全廃を決定した。現実に2023年4月ドイツの原発はすべて停止した。

 ○柏崎刈羽再稼働の是非は県民が決める

 2020年以降のコロナ危機で世界の産業活動は停滞しエネルギー消費は減少、価格も低下したが、コロナ危機からの回復につれてエネルギー価格も上昇し始め、ロシアのウクライナ侵攻により全世界的にエネルギー価格が上昇し、原発回帰の趨勢が強くなった。だがチェルノブイリ原発事故や東電福島第一原発事故を機に脱原発路線に舵を切ったイタリアやドイツなどEU諸国は、ロシアからの天然ガスが入らなくとも、賢明にも原発回帰には向かっていない。
 しかし日本政府は3・11原発事故などなかったかのように再稼働と核燃サイクルに血眼だ。被害者救済を怠り、事故炉の後始末の見通しもないまま、汚染水の海洋投棄をしている。
 岸田政権の首席補佐官島田隆は元経産事務次官、東電常務の経歴を持つ。規制の重要部分は再び経産省の管轄にして、原発40年ルールは破棄、60年超え運転を可能にする。安全性よりも電力経営を重視した政策である。何がGXだ!廃棄物処理の出来ない原発が「グリーン」のはずがない。
 新潟では「原発再稼働の是非は県民が決める」を合言葉に、県民投票条例の制定を求める直接請求の署名運動を11月から始め、1月末15万筆を超える署名が集まった。「電力は東京、放射能は新潟」などまっぴらごめんだ!
(注記:この原稿は、「九条の会・さいたま」のニュースレター 第59号(24年10月19日)に掲載されたものに一部修正加筆したものです。)
KEY_WORD:KASHIWA_:FUKU1_:HIGASHINIHON_:ウクライナ_原発_:汚染水_:廃炉_:福1_デブリ回収_: