[2024_03_12_06]志賀原発からの「避難計画やはり空論」 東日本大震災で福島から金沢へ避難した男性の確信(東京新聞2024年3月12日)
 
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志賀原発からの「避難計画やはり空論」 東日本大震災で福島から金沢へ避難した男性の確信

 16:00
 東京電力福島第1原発事故(2011年)のため、福島県田村市から金沢市に避難している浅田正文さん(82)は、元日の能登半島地震でも大きな揺れに見舞われた。真っ先に頭をよぎったのは、震源地に近い北陸電力志賀(しか)原発(石川県志賀町)。今月初旬には志賀町も訪れ、「避難計画が机上の空論だと実証された」と確信した。脱原発への思いを新たにしている。(奥田哲平)

 ◆道路寸断の能登で原発事故が起きていたら…

 震度5強の揺れだった金沢市の自宅は特に被害はなかった。ただ、次第に明らかになる能登半島の状況に心配が募った。運転停止中の志賀原発は設備トラブルで外部電源の一部が受電できない事態に。志賀原発の運転差し止め訴訟の原告でもある浅田さんは「もし稼働中ならどうなっていたか。事故が起きなかったのは奇跡的」と話す。
 田村市の自宅は福島第一原発から約25キロ。13年前、浅田さんは3月12日の1号機の水素爆発を知った知人から「金沢に逃げてこい」と連絡を受け、夜にマイカーで出発。金沢市中心部まで多少の渋滞はあったが、道路は無事だった。それに比べ、各地で道路が寸断された能登半島地震。「もし事故が起きていたら、奥能登の人たちは見殺しになるところだった」と避難計画の実効性に疑問を投げかける。

 ◆被災者の気持ち、痛いほど分かる

 浅田さんは能登から金沢以南に避難する被災者にも思いを寄せる。「これから、どこに住むんだろう」という気持ちが痛いほど分かる。浅田さんは知人宅に避難後は市営住宅、市街地の一軒家を経て、田畑を耕せる現在の借家に落ち着くまで1年以上かかった。
 「仮設住宅やみなし仮設入居のめどがつくまで、退去期限を設けずに旅館やホテルに住まわせ続けてほしい」と願い、「避難所でやることがないと元気がなくなる。今後は健康や生きがいが課題になる」と見据える。さらに被災地に残った人たちと避難者の気持ちの擦れ違いも心配する。
 田村市内の一部に出された避難指示は14年に解除されたが、自宅周辺はいまだに放射線量が高く金沢に住み続けている。浅田さんは帰還した住民から「あなたたちが戻らないから風評被害がなくならない」と言われ、胸が痛んだこともあった。避難が長期化する被災者に浅田さんが勧めるのは、気持ちを文章にしたためること。「1日5行でいい。我慢をため込まず、外に出して」
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