[2024_01_08_02]新年に衝撃、知ってますか「丹沢地震」 関東大震災の大規模余震、横浜開港資料館で体験記や写真展示(神奈川新聞2024年1月8日)
 
参照元
新年に衝撃、知ってますか「丹沢地震」 関東大震災の大規模余震、横浜開港資料館で体験記や写真展示

 05:10
 関東大震災の4カ月半後に発生した大規模余震「丹沢地震」から15日で100年となる。横浜開港資料館(横浜市中区)は個人の体験記や写真を展示し、震災からの復興を妨げたこの地震の影響を伝えている。展示を担当した吉田律人主任調査研究員は「震災があまりに大きかったため歴史に埋もれているが、今も共通する余震の恐ろしさを示す地震だ」と指摘する。
 丹沢地震は1924(大正13)年1月15日午前5時50分に起きたマグニチュード(M)7・3の大地震。M7・9だった23年9月1日午前11時58分の関東大震災の本震に伴う「六大余震」の一つで、95年1月17日の阪神大震災に匹敵する地震だった。地震の発生時間帯も「阪神」に重なる。
 吉田さんによると、大火からの復興の途上だった横浜市内は丹沢地震で断水に見舞われた。市は横浜港に停泊していた船から水の提供を受け、給水車を展開したほか、市電の散水車も活用した。開港資料館では、容器を持って並ぶ被災者の姿を捉えた貴重な写真を紹介している。
 また、橘樹郡大綱村(現横浜市港北区)の村長だった飯田助夫の日記なども展示。「今暁の強震は本県下最激烈にして震源地は丹沢山地付近の由」などと記述し、厚木、秦野、小田原方面の被害が大きいとした。
 画家で小学校教諭だった八木熊次郎は「遠くから何か押し寄せて来るやうな地鳴りがしたと思ふと烈しい振動が起った」と自らの体験を記すとともに、「今度は郡部の被害が甚大であった」と記録した。このほか、地震の翌日から「関西方面が全滅した」といった流言が広がったことを書き留めた体験記もある。
 吉田さんは丹沢地震について「公的な記録は少ないが、体験記などを読むと、新年を迎え気持ちが改まっていた人々に大きな衝撃を与えたことが分かる」と強調。「復興がやり直しになり、忘れかけていた震災の記憶を思い出させるものだった」とし、こうした余震を含め被災の全体像を捉え直す必要性を指摘する。
 展示スペースの一角を利用した丹沢地震の企画は2月15日まで。入館料などの問い合わせは、開港資料館電話045(201)2100。

KEY_WORD:KANTOUDAISHINSAI_:HANSHIN_:TANZAWA_: