[2023_10_16_03]ウヌボレは止せ! 底の浅い科学技術「大国」 東海第二原発は巨額を投じるも見るも醜悪な再稼働工事 前東海村長 村上達也(たんぽぽ2023年10月16日) |
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◎ この国の人は太平洋戦争の惨敗を忘れてはならない。福島原発災害を忘れてはならない。何故か、我ら民族の根本的欠陥に根差してるから。 この自覚から出発しないかぎり再び破滅的な過ちを繰り返すであろう。 1999年9月、私は原子力発祥の地茨城県東海村の村長としてこの国初の原子力災害事故であるJCO臨界事故に遭遇した。 当時この国には原子力規制庁もなくば原子力防災法もなかった。5人の委員による原子力安全委員会というのはあったがスタツフは科技庁兼務のたった18人のお飾りであった。 当時アメリカの原子力規制委員会=NRCは3000人の陣容であったというのにである。 更には原子力災害対策法もなかった。JCO臨界事故後1ケ月も経たないうちに慌てて制定されたが。 その後、原子力安全保安院が原子力推進官庁の資源エネルギー庁内に設置されたが、その無様な姿は福島で露呈した。 NRCに頼らねば何もできなかった。規制ではなく推進が眼目であったからだ。対価は住民と地域社会が払わされた。 ◎ もう一点驚くべきことを記する。 福島原発事故の5年前、2006年に経済産業省は安倍内閣の首相秘書官として名を上げた今井尚哉を中心に当時54基もあった原発に更に14基も新増設する「原子力立国計画」を策定していたのである。 この狭溢、人口稠密な地震大国にアメリカに次ぐ70基弱の原発を置こうとしていたのだ。 ◎ 政府や原子力界は「科学技術立国」などと自惚れている。 そんな大言壮語は止せばいい。ヨーロッパの科学は古代ギリシャのアルキメデス、中世のニュートン、デカルト以来の哲学を下地とした系譜があるが、日本ではその哲学がない。 明治の文明開化以来先ずは技術(科学ではない)、利便で突っ走ってきた。先の大戦の惨劇はその結果である。 ◎ 私は福島原発事故は勿論(例:ターンキイ契約・※)、JCO臨界事故も、哲学、科学精神の欠如にあると思っている。 4枚のプレートの衝突で出来ているこの弧状列島に原発はあるべきでない。 東海第二原発は巨額を投じるも見るも醜悪な安全対策工事(東海第二原発の再稼働工事…来年9月動かす予定)を私ら居住地の目の前でこれ見よがしにやっているが、所詮は人工物、効果の程は知れない。 茶番劇でしかない。 ※「ターンキー契約」 原子力発電プラントを含め各種の産業プラントを建設する場合、設計から建設、試運転に至るまで、すべてを一括して企業一社あるいは企業連合が責任をもって請負いプラントを建設し、試運転後プラント所有者に引き渡される形の契約。 ≪事故情報編集部≫より 「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」主催の「東海第二原発と11.18(土)大集会とデモ」の成功に向けて、【連載その2】。 |
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