[2023_08_27_09]汚染水にみる「科学的な理解」とは 現実の社会では「自分の感情と科学の理解」を分けている人などは実在しない 上岡直見(環境経済研究所代表)(たんぽぽ2023年8月27日) |
参照元
◎ 2023年8月24日の日経電子版に「処理水放出の成否、原発の未来を左右 不信払拭に全力を」という記事がある。(※1) 【8月12日に都内で日本原子力学会が開いたシンポジウムでも、福島県在住の学生が「怖くて拒否反応があったが、福島第一を現地を見て、科学的な理解と自分の感情を区別できるようになった」と発言した。そのうえで「これまでも、(処理水放出開始後の)これからも福島の魚を食べる」と自らに言い聞かせるように語った】というのである。 ◎ ここまで来ると、もはやカルト宗教か独裁国家の宣伝映画としか思えない。 さらにこれに対する「識者」のコメントでは【記事の中の福島の学生の発言にある様に、一般消費者が、「自分の感情と科学の理解」を分ける積極的な意識が必要です】という。(安川新一郎・東京大学未来ビジョン研究センター特任研究員) ◎ そこでこの識者に聞きたいのは、あなた自身はふだん「自分の感情と科学の理解」を分けて生活していますか?ということだ。 もともと原子力関係者は、福島第一原発事故以前から「風評」に神経質だから、さまざまな研究をしている。その中でおもしろい報告をみたことがある。 これは「遺伝子組み換え食品」「原子力」「ナノテクノロジー医療応用(※2)」の三分野について、大学で各分野を専攻する専門家グループと、それ以外の市民グループについて「安全か危険か」のイメージをアンケートして統計的に整理した調査である。(※3) ◎ その結果は、専門家は自分の専攻分野では「安全」だと思っているが、自分の専門分野以外のことについては、専門家でない市民と同じリスク認識だった。 つまり現実の社会では、「自分の感情と科学の理解」を分けている人などは実在しない。 これを汚染水で考えれば「科学的理解」なるものを広めたからといって風評が防げるのではなく、流した以上は風評が生まれるのはごく自然なのである。 (※1)日経新聞(電子版), 2023年8月24日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD146GB0U3A810C2000000/ (※2)超微粒子を生体の分子や構造物と相互作用させることで機能を付加する新技術だが、健康リスクも懸念されている。 (※3)土屋智子・小杉素子「市民と専門家のリスク認知の違い −2009年度調査結果報告−」電力中央研究所報告Y11003, 2011年11月 |
KEY_WORD:汚染水_:FUKU1_: |