[2023_02_18_01]「思い起こせ3・11 産地は訴える−原発政策の大転換をめぐって」 この国は滅びるね 非常識極まりない再稼働 マイナーでも農業が大事 村上達也前東海村長に聞く (上)(2回の連載) 先崎千尋(『農業協同組合新聞』客員編集委員)(たんぽぽ2023年2月18日)
 
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「思い起こせ3・11 産地は訴える−原発政策の大転換をめぐって」 この国は滅びるね 非常識極まりない再稼働 マイナーでも農業が大事 村上達也前東海村長に聞く (上)(2回の連載) 先崎千尋(『農業協同組合新聞』客員編集委員)

 [取材のねらい]
 岸田首相は、安倍元首相の国葬を国会や国民の声を広く聞くことなしに、閣議決定だけで実施し、世論の反発を招いた。岸田首相は12月に入り、臨時国会を閉じてすぐに同じ手法で原発政策の大転換を図ることを決めた。さらに、巨額防衛費の財源を増税で賄う方針を独断で決定し、国民や野党だけでなく、自民党内でも大炎上した。
 東京電力福島第一原発事故から11年余り。未だに国の緊急事態宣言は解除されず、原発周辺の7市町村には人が住めない地域が残り、避難民が3万人近くいる。国の賠償基準は昨年暮れに見直しされたが、補償問題は依然として片付いていない。汚染水の処理問題も、これからが本番だ。
 この福島の事故以来、政府は原発再稼働などに慎重な姿勢を示し、原子力は「依存度を低減する」、「新増設や建て替えは想定していない」というのが、従来の政府方針だった。
 あの安倍内閣ですら原子力政策の転換をしないで来たのに。
 それなのに、国会でまともな審議をせず、原発事故で被害を受けた現地の声も聞かず、岸田政権は唐突に今回再稼働の推進や新設などと転換に踏み切った。
 では、政府は原発政策をどのように変えようとしているのか。その新たな方針は、果たして政府の意図通りに進むのか。また、被害を受けている福島県や、原発を抱える隣の茨城県の生産農家や自治体関係者らはどう受け止めているのか。両県の生産農家や自治体関係者、識者の声を聞く。

前東海村長村上達也さんに聞く

 この国は滅びるね 非常識極まりない再稼働 マイナーでも農業が大事
− 東海村は我が国の原子力発祥の地です。日本原子力研究所ができた
時、村上さんは中学二年生。当時、原子力に対してどう考えていましたか。
村上:戦後の打ちのめされた貧しい農村地帯で、輝かしい未来を夢見ていた。大学を卒業し、村に戻ってきた時は、もう原子力の街になっていた。村政自体が原子力政策推進のためのものに化していることに抵抗感は持っていたが、あまり関心は持たなかったな。

− 村長になったのが1997年9月。2年後にJCOの臨界事故が起き、犠牲者が2人出ました。その時の対応はどうだったんですか。
村上:出張先から急いで戻り、すぐに対策本部を立ち上げた。放射線の値が下がらないというので、近くの人を避難させなくてはと考えました。しかし、村単独で決めるのはどうかと考え、県や国に問い合わせたけれど対応があいまいだったので、責任は自分で取る、私の首をかけるからと腹を決め、周辺350メートルの人たちを舟石川コミセンに避難させました。

− JCOの事故が契機で、原子力に対する考え方ががらり変わった。
村上:村長になる前に旧動燃(現日本原子力研究開発機構)の火災事故が起き、原子力の安全対策が村政の最重要課題だと思っていました。村長になる時、前任者から原発の3号機、4号機を作れというのが引き継ぎ事項だった。私は、東海村に必要なのは研究所だと思っていたので、あまりいい顔をしなかった。そこへJCOの臨界事故が起きて、原子力に対する考えが変わった。

− JCO事故の時、損害はどうだったんですか。村上:農産物が特にひどかった。売れなくなった。臨界事故のニュースが流れたので、東海村だけでなく、茨城県全体が被害を受けた。農産物だけでなく、他の商品にも影響が出たね。 (下)に続く

(『農業協同組合新聞』1月25日号より了承を得て転載)

※筆者の先崎(マッサキ)さんの「サキ」のつくりは(立)です。
  メールの制限のため、変更しています。
KEY_WORD:岸田首相_次世代-原発_検討指示_:FUKU1_:汚染水_: