[2022_08_13_01]原発「13兆」の警告――人間の尺度を超えるな_尾関章(ヤフーニュース2022年8月13日)
 
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原発「13兆」の警告――人間の尺度を超えるな_尾関章

 今年の夏は、巨大な数字が飛び交った。米航空宇宙局(NASA)の新鋭宇宙望遠鏡「ジェームズ・ウェッブ」は13,000,000,000年以上も昔の銀河を撮影したという。コロナ禍第7波の急拡大で新型コロナウイルス感染者の国内累計が延べ15,000,000人を超えたという話もある(8月12日現在)。だが、もっとも圧倒されたのは、2011年の東京電力福島第一原発事故をめぐる株主代表訴訟で、東京地裁が東電の旧経営陣4人に支払うよう命じた損害賠償額が13,321,000,000,000円だったことだ。ゼロが並びすぎるので、以下は13兆3210億円と表記する。

 「責任の在り処」問う裁判

 本題に入る前に、この訴訟の構図を見ておこう。事故は、福島県の福島第一原発が東日本大震災の津波に襲われて電源喪失状態になったことで起こった。だから、法廷で争われたのも、旧経営陣が十分な津波対策をとっていたかどうかだ。ただ、話がややこしいのは、賠償金を受けとる立場にいるのが原発事故の被害に遭った人々ではなく、事故炉を運転していた企業であることだ。
 東京電力(現・東京電力ホールディングス)という会社が事故によって巨額の支出を強いられたのは旧経営陣の責任だから、旧経営陣は私財をなげうってでも弁償すべきだ、という理屈だ。原告メンバーは東電の株主ではあるが、会社の損益が自身の利害に深くかかわるほどの大株主ではない。訴訟の背後には、事故の責任の在り処をはっきりさせたいという意志がある。その意味では今回の判決は、今後上級審の判断で覆される可能性はあるものの、ひとまず原告の望みをかなえたものと言えよう。
 福島第一原発事故をめぐっては今、東電旧経営陣3人の刑事裁判が控訴審で続行中である(一審は無罪)。一方、今年6月には、被害を受けた住民たちが国に対して損害賠償を求めた訴訟で、最高裁が国の責任を認めない判決を言い渡した。事故の責任を最終的にどこへもっていくかが定まらない状況がいまだに続いている。こうしたなかで今回、一つの明確な判断が果敢に下されたのである。

 超現実的な賠償額

 さて、今回の判決の核心は、13兆円余という想像を絶する金額を4人が支払うかどうかにはない。常識を働かせれば、それが無理であることは最初からわかっている。最大の意義は、13兆3210億円という数字が責任の在り処と紐づけて示されたことにある。賠償額は国の2022年度当初予算107兆6000億円の1割強に相当する。それを、たった4人で負担しろという。法的な理屈に従って計算すればそうなるのだろう。額は超現実的だ。だが、それでも責任の大きさを明らかにするためには提示するしかない――判決のココロを読みとれば、そういうことになろう。
 実際、この一審判決の意味は大きい。なぜなら仮に上級審が、東電の津波対策に対して異なる見方をとり、旧経営陣の賠償は不要との判決を下した場合でも、一審で示された賠償額の数字そのものは私たちの記憶にとどめられるからだ。今後、福島第一原発事故級の原子力災害が起こり、それが著しく不合理な経営判断に起因すると立証されれば、経営に当たった個々人が超現実的な巨額賠償金を求められることがありうる、と印象づけたのである。

 廃炉、除染の時間尺度

 今回の判決では、旧経営陣4人に命じた損害賠償の内訳が明記されている。朝日新聞2022年7月14日付紙面に載った判決要旨を引こう。「廃炉について」約1兆6150億円、「被災者に対する損害賠償費用について」7兆834億円、「除染・中間貯蔵対策費用として」4兆6226億円(これは環境省予算だが、「最終的には東電の負担となる」)――この3項目を足し合わせたものが13兆3210億円になる。
 これらの数字を眺めると、原子力は人間の「物差し」で測れない怪物だ、とつくづく思う。
 まず、途方に暮れるのは時間尺度だ。「廃炉」は被曝を避けながらの作業だから、ただの解体ではない。東電は、福島第一原発の廃炉完結を2041〜2051年とする工程表を公表している。これはあくまでも目標だから、それより遅れる可能性がある。確実に言えるのは、福島第一原発事故級の原子力災害では、その後始末のために数十年がかりの大事業が待ち受けているということだ。
 「除染」や「中間貯蔵」が必要な理由も、原子力の時間尺度の長さにある。土壌に蓄積される放射性核種の半減期はセシウム137で30年、ストロンチウム90で29年。生態系、ひいては人体に影響を与える期間は数十年以上の長期に及ぶ。そのリスクを回避するために汚染土を取り除き、しかるべき場所に貯蔵することが求められるのである。

 被災者賠償の空間尺度

 「被災者に対する損害賠償」が莫大なのは、空間尺度が大きいからだ。この福島第一原発事故では半径20km圏を中心にその外側でも避難を強いられた住人たちがいる。これらの区域の外側にも自主避難した人々が大勢いる。原発事故の被害は面的に広がっている。その結果、東京電力ホールディングスの公式サイトによると、福島第一原発事故をめぐる賠償の総件数は個人向け、法人向けを合わせて延べ270万件を超えている(2022年7月現在)。
 ただ、今回の判決が示した賠償額は桁の規模感を表すものであって、確定値とは見ないほうがよいだろう。賠償、廃炉、除染のすべてを含む事故処理費は最終的に約21兆5000億円に達するという経済産業省の試算もある。ここには国の資金が流れ込むし、ほかの電力会社が負担する額も含まれる。
 はっきりしたのは、こういうことだ。福島第一原発事故級の原子力災害が起これば原発を運転する電力会社が10兆円規模の支出を迫られる可能性があること、このとき事故原因が不合理な経営判断にあったとしても経営陣からの賠償は巨額過ぎて望めず、現実には会社が損害をかぶること、それは結局、電力料金や税金にはね返り、最後は私たち消費者や納税者にツケが回ってくること――である。
 原子力は、いったん不測の事故に見舞われたときの被害の大きさからみて、人間社会とは相いれない技術だと痛感する。原発事故の被害規模が時間的にも空間的にも人間の尺度を超えるのは、原子力の特性による。これが水力や火力ならどうか。たとえば、火力発電所で火災が起こったときなら、火は遅くとも出火から数日以内には消し止められるだろう。避難を強いられる人は近隣に限られ、鎮火とともに帰宅できるだろう。

 原子力は起源も次元も違う

 原子力を水力や火力と分かつものは、エネルギーの起源だ。現代物理学によれば、自然界には基本力が4種あるとされる。重力、電磁力、そして原子核の「強い力」と「弱い力」だ。水力発電は水を重力で落下させてエネルギーを得る。火力発電は、炭素や水素の燃焼という化学反応で出る熱エネルギーを利用するが、この反応で働く力は電磁力だ。重力と電磁力は、人類にとって馴染みの力といえる。

 ところが原子力は、人類が20世紀まで知らなかった世界に属している。物質の根源にある原子核の領域だ。ここには「核力」が働いている。人類がそれまで存在に気づかなかった力である。1930年代半ば、原子核では陽子や中性子が核力で結びつけられていることを湯川秀樹(日本初のノーベル賞受賞者)が理論によって突きとめた。最近では、核力は原子核の「強い力」に分類されることもわかっている。原子力は、重力由来の水力や電磁力由来の火力とは次元が違うのだ。
 福島第一原発では、ウラン235の原子核を連鎖的に分裂させ、このときに放たれるエネルギーで水を沸騰させてタービンを回す。人類に馴染みのない力で束ねられた陽子や中性子の塊を壊して、エネルギーを取り出すのだ。だからこそ事故後、核分裂で生成された核種が放射性を帯び、核の崩壊熱を出し続けるという馴染みのない事態に直面したのである。13兆3210億円という数字は、そのことを物語っているように思えてならない。
 で、私が懸念するのは、最近の原発回帰の潮流だ。ウクライナ問題など国際情勢の悪化でエネルギー需給が逼迫していることはわかる。気候変動を抑えるために脱炭素のエネルギー源を確保しなければならないこともわかる。だが、だからといって人類に馴染みのなかった異次元の技術に頼るのだとしたら向こう見ずに過ぎる。私たちは2011年の衝撃をもう一度、思い起こすべきではないか。
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