[2022_06_14_07]福島から愛媛へ 家庭崩壊した親子の闘い 原発避難訴訟17日最高裁判決(毎日新聞2022年6月14日)
 
参照元
福島から愛媛へ 家庭崩壊した親子の闘い 原発避難訴訟17日最高裁判決

 東京電力福島第1原発を巡る事故の賠償責任は東電のみが負うべきか、それとも、国も負うべきか。事故で被害を受けた住民らが、国と東電に損害賠償を求めた四つの集団訴訟で、最高裁は17日、判決を言い渡す。これまでに東電の賠償責任は確定しており、争点は国の責任の有無だ。最高裁判決を前に、事故後の避難生活で、家族の形が変わってしまったある一家を追った。

「普通の暮らし、うらやましい」

 「子どもたちの思いをくじかぬ司法判断であってほしい」。福島第1原発の北約12キロの福島県南相馬市小高区で被災し、愛媛県に避難した渡部寛志さん(43)は普通の暮らしもままならない11年を過ごしつつも夢を見いだした娘たちと、切実な思いを胸に17日を待つ。
 5月16日、東京にある最高裁。上告審弁論の原告席に渡部さんと長女明歩(あきほ)さん(17)、次女明理(あかり)さん(13)の姿があった。
 「普通にごはんを食べて、普通に学校に行って。そんな生活が、私はうらやましい」。渡部さんが最後の弁論で読み上げたのは、明歩さんが中学1年の時に書いた作文だった。家庭が崩壊する1年前。父が最高裁の判事に自分の思いを代弁する姿に、明歩さんは涙が止まらなくなった。
 震災の揺れも津波も鮮明に記憶する明歩さんだが、長期の避難を余儀なくさせた原発事故こそが「生き地獄」の元凶だった。
 2011年3月、渡部さん一家は、渡部さんが大学時代を過ごした愛媛に避難した。だが、慣れない地で渡部さんと妻は帰郷の時期などを巡って家庭内でぶつかるようになり、離婚する。明歩さんは一時、塞ぎ込んだ。今、渡部さんは明理さんとともに愛媛と南相馬市を行き来しながら農業を営み、元妻は明歩さんと避難後に生まれた長男(10)と福島県須賀川市で暮らす。
 渡部さんが国と東電を相手取って松山地裁に提訴したのは14年のこと。原告団の代表として松山地裁、高松高裁、最高裁と法廷に立った。最高裁での弁論前、娘に胸中を尋ねた。「同級生は原発事故をあまり知らない。知らないとまた事故を起こす」「(国には)被害者の気持ちに寄り添ってほしい」。愛媛に避難した時、2歳と6歳だった娘は成長し、いつしか渡部さんの道しるべになっていた。
 今、2人の娘は夢をこう語る。明歩さんは「生きるのがつらい人の話を聞いて希望を与える臨床心理士になりたい」。明理さんは得意な理系の知識を磨いて学者になり「微生物で放射性物質を取り除きたい」。

「事故対策取れたのは国だけ」

 訴訟に勝っても、傷ついた家族の絆が修復されるわけではない。松山地裁と高松高裁は国と東電の責任をいずれも認めたが、最高裁の判断は分からない。「原発事故対策が取れたのは国しかいなかったはず。訴えてきたことが認められたら、少し前向きになれる」と明歩さんは言う。未曽有の災害に翻弄(ほんろう)されつつ、訴訟を闘った渡部さんらは17日、最高裁で判決を受け止める。【斉藤朋恵】
KEY_WORD:原発避難訴訟_最高裁_国責任_統一判断_:FUKU1_: