[2021_12_11_02]柏崎・刈羽原発の6号機の大物搬入建屋の基礎杭が真っ二つ 東海第二原発は耐震性がまったくダメ…山崎久隆さん(続き) 自主避難者となって・・・荒木正子さん(首都圏連絡会)12/1(水)第41回日本原電本店抗議行動 (その2)(4回の連載)「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」(たんぽぽ舎2021年12月11日)
 
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柏崎・刈羽原発の6号機の大物搬入建屋の基礎杭が真っ二つ 東海第二原発は耐震性がまったくダメ…山崎久隆さん(続き) 自主避難者となって・・・荒木正子さん(首都圏連絡会)12/1(水)第41回日本原電本店抗議行動 (その2)(4回の連載)「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」

 △ 脱原発スピーチ …1 山崎久隆さん(たんぽぽ舎・共同代表)
※その1の続き

 柏崎・刈羽原発、東電ですね。検査対象となっている会社であり、原発を動かす資格などない会社ですが、そこが新規制基準適合性審査をした柏崎・刈羽原発の6号機の大物搬入建屋の基礎杭が真っ二つに破断していることが明らかになりました。それ今年になって。
 中越沖地震によって起きたと考えられた、中越沖地震が起きたつまり2007年、今から14年前にすでに破壊されていたのに、今に至るも気が付かなかった、そんなことがあるんでしょうか。
 おそらく何らかの不都合は感じていたかも知れないけども、この建屋の、もともと耐震強化対策をしなければいけなかったので、それまで待っておこうと思って放置しておいたんだろうと考えられます。その間に大きな地震がこなかったのは幸いですが、もしも中越沖地震のような地震が起きていたらこの大物搬入建屋は崩壊していた可能性があります。
 そのくらいに完全に破壊された基礎杭が地下にあることが見つかったんですが、中越沖地震というのは柏崎・刈羽原発が想定している基準地震動1200ガルあるいは1300ガルにはるかにおよびもつかない中規模地震であり、マグニチュードは6.8です。そういう地震によって基礎杭が真っ二つになってしまったことが今になってわかる、そのくらいに実は耐震設計というのはいい加減なものだったということが明らかになりました。

 では東海第二原発はといえば、東海地方太平洋沖地震の時にはここもまた、震度6弱の地震に襲われています。基礎杭などは問題が無かったのか、特段調査をした形跡はありません。
 そして今行っているのが防潮堤の下に深さが約30mある基礎杭を打って、その上に高さ20mの防潮堤を建設するという工事をしていますが、ここに襲ってくる地震はそれこそ中越沖地震や東日本大震災の地震とは比べものにならないほどの大きな地震と、地盤で900ガルを超える揺れのある地震を想定しています。このような揺れに遭遇すれば地盤はまず液状化します。
 原電はしないと言ってますけども。液状化したうえに直下型地震であるならば非常に強い上下動により基礎杭は破断し、そのあとに防潮堤に津波が襲いかかってきます。高さ20m級の。その荷重に基礎杭もないような防潮堤が耐えられるはずもありません。たちまち倒壊して東海第二原発は水浸しになるでしょう。
 そして福島事故のような大災害になる可能性は非常に高い!そういう風に考えなければならない。その部分もやっぱりちゃんと検査されていません。東海第二原発についてもやはり、柏崎・刈羽原発と同じような災害に見舞われて破壊される可能性がないのか、もう一度調査しなければならないし、その前に廃炉にしなければならない、そういう風に考えます。(了)

 △参加者スピーチ  荒木正子さん(首都圏連絡会)
スピーチの要旨  −自主避難者となって−
 とめよう!東海第二原発首都圏連絡会の荒木正子と申します。

 以前、原電前行動で自己紹介とアピールをさせて頂きました。前回、私の両親は茨城県の出身であること、小学生の時はよく筑波山のふもとのいなかに遊びに行っていた時のこと、そして恥ずかしいことに東海第二原発が茨城県にあることを最近まで知らなかったこと、そして福島原発事故のときに東京の葛飾区から家族4人と猫3匹で自主避難をしたことなど、話させて頂きました。
 なぜ、福岡の博多の地を選んだのかというと、とにかく猫と一緒に新幹線で移動できること、とにかく原発の放射能から一刻も早く逃れたい一心でした。私と夫はソ連のチェルノブイリの事故で放射能が何千キロも、ヨーロッパ各地を汚染したことを知っていたのであの、福島の原発が次々と爆発した様子を見て、これはとにかく放射能が来る前に放射能から遠ざかなければならないと思いました。
 私と夫はもう歳なのでもうそれほど逃げる必要はなかったのかも知れないのですが、幼い、若い家族はとにかく逃げさせたいという気持ちでいっぱいでした。目に見えない、においがない、放射線の恐怖だけが私たちを捉えていました。少しでも安全な場所に逃げたい、そういう思いで自主避難をして、福岡で会った方たちは福島や関東からやはり自主避難をしてきた方たちでした。
 その方たちはあの原発事故が起こった時に行政から何の情報も得られず自分のお子さんや家族を、放射線が降り注ぐなか、配給の水や食料を配る列に並ばせてしまったことを後悔しているという風におっしゃってました。私も親としたら本当に切ないことだと思います。
 誰一人として知り合いのいない福岡の地でしたが、私たちはあの福島原発事故が起こった時に反対運動を提起する方がいました。それは、長崎で18歳の時に被ばくされた漫画家の西尾進さんでした。彼は80歳以上という高齢ということもありハンガーストライキをもって、九州で原発を動かしている九州電力前でテントを張ろうということをみなさんに訴えました。
 それで、そのかたい決意を受けて支援の人たちがハンガーストライキと座り込み闘争に入りました。ハンガーストライキはいろいろ問題もあるので、ハンガーストライキから座り込み闘争に移りました。
 そして今現在も九州電力本店前では3879日、つまり10年と229日、テントを張って頑張っていらっしゃいます。
もちろんすごく、原発事故が起こった時はとても大きな炎になって反対運動が起こったわけですが、だんだんそれが小さな火になっていることは確かです。でもそれでも、毎週木曜日の10時から15時、九州電力本店前のこういう広場の歩道の前にテントを張ってずっと九州電力が原発を動かしたりやらせメールを行ったり、やらせの公聴会を、自分たちの人間を動員して不誠実なものにしたり、そういうことをどんどん暴いていき、本当に九州全体からもこのテント闘争の広場は盛り上がり、拠点となりました。
 そして私たちはただ自主避難者となって放射能から逃れたわけではありません。やはり国や東電があまりにもひどい、何とか責任をとらせたい、それでちりじりバラバラになっていった自主避難者たちと手を組んで2014年に九州の地裁の方に原告団として訴えています。今高裁に控訴されてひどい判決でしたがそれでも裁判ではそれぞれ避難してきた人たちの実情を意見陳述というかたちで訴えることができました。
 そして九州の反原発闘争だけでなく、いろんなかたちでの市民運動の方たちと連帯することができました。そして一つ思うことは、家族がいろいろな困難にぶつかった時に見ず知らずの、福岡だったのですが、この 原発闘争で支援してくれたいろいろな方たちが私たちが病気になったりしたときに支えて下さったことでした。今でもそれは支援者の人たちと、それはありがたいということで話しています。
 すいません、最後に日本原電の人たちに訴えたいと思います。あなたたちは何を大切に生きているのですか。私は誰にでもある唯一の命と人権を一番に大切にしたいです。あなたたちのお子さんたち、家族、産み育ててくたご両親は人の命を傷つけてまで自分の生活を守れと、会社を守れとおっしゃいますか。あなたたち一人ひとり、みなさんにも放射能はかかってくるのです。だから今一度考えて下さい。こんなかたちでいつも私たちの声を聞きもしないで警備の人たちをここに立たせて一度も顔を合わせないなんてことがありえますか?東電でさえ一応申入書は受けますよ、おかしいじゃないですか!立場を越えて私たちと違いを話し合ってみませんか。同じ命でしょう私は最後にそれだけ言いたいんです。ありがとうございました。

(その3に続く)
(「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」MLより)※次回、第42回日本原電本店抗議行動は、2022年1月12日(水)17時より、日本原電本店前です。ご参加のほどよろしくお願い致します。その後の「東電本店合同抗議行動」は、18時30分からです。
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