[2021_03_13_02]反原発の申し子が語る「いま、日本人に伝えたいこと」(FRIDAY2021年3月13日)
 
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反原発の申し子が語る「いま、日本人に伝えたいこと」

 3月3日の昼下がり、小出裕章(ひろあき)氏(71)は、長野県のJR松本駅前で「アベ政治の継続を許さない」と書かれたプラカードを掲げていた。原発を推進する自民党政権に抗議の意思を示すスタンディング活動だ。
 ’15年7月にノンフィクション作家の澤地久枝氏(90)の呼びかけに応じて初めて駅前に立って以来、毎月欠かさず続けている。この日、小出氏とともに活動に参加した人数は30人以上。各々がプラカードを持参して集まり、およそ45分の間、一言も発することなく、道行く人に黙って問いかけ続けた。
 京都大学原子炉実験所(現・複合原子力科学研究所)の助教として41年間、原子力の危険性を主張してきた小出氏。福島第一原発事故の際には、全国各地ありとあらゆるメディアの取材を受け、時の人となった。
 「地震の翌日、爆発により原子炉建屋の上部が骨組みだけになった1号機を見て、『大変なことになった』と思いました。それからは、当時住んでいた大阪のラジオ局で事態収束に向けた提案を行う毎日でした。寝る間もないほど忙しく、いつの間にか体重は5s落ちていました」
 ’15年3月には原子炉実験所を定年退職。「仙人になる」と宣言した小出氏は、妻と二人で長野県松本市の郊外に移住した。俗世間の雑事から離れ、畑で野菜を作る自給自足生活を送りながらも、反原発の活動を止めることはできなかった。 「肉体的、知的に年を取っていることを実感したため、定年時に『これからは仕事を厳選していく』と周囲に伝えました。ですが、皆さんから原子力の危険性に関する話を聞きたいという依頼が止まることはなく、今も寸暇を惜しんで各地を駆け回っています。原子力に関わった人間として私には重い責任がある。逃げるわけにはいかないのです」

事故から10年経った今でも、収束の目処(めど)は立たないままだ。

 「国と東電が対策を誤ったために処理水は124万トンも溜まり、将来、海に流さざるを得なくなってしまった。核燃料などが溶け落ちた『デブリ』は、格納容器内のどこにあるのかさえわかっていません」
 事故直後に発令された原子力緊急事態宣言は現在も解除されていない。この宣言によって、万単位の人々が、本来なら放射線管理区域に指定されなければならない汚染地に住み続けている。
 「一般の人々の被曝(ひばく)上限値は、年間1ミリシーベルトです。しかし、今の福島の一部地域では、この宣言で年間20ミリシーベルトまでの放射線を浴びてもいいことになっている。これは国によるとんでもない犯罪です。被曝すると、白血病やがんだけでなく心臓疾患や循環器系の病気も発症しやすくなることがわかっています。今後、福島では病人が増え続けていくはずです」
 放射性物質で汚染された土地が元に戻るまでには数百年以上の歳月がかかる。廃炉費用も膨大だ。それにもかかわらず、国は責任を取ろうとしないばかりか、原発再稼働を進めようとしている。
 「福島では原発事故の影響で約15万人が避難し、2000人以上が亡くなりました。しかし、原発を推進してきた国や東電は、想定外≠ニいう言葉を言い訳に責任から逃げている。それどころか、自民党政権は原発事故を終わったことにするために、東京五輪というお祭り≠誘致した。本当に許しがたいことです」
 最後に、原発事故から10年を経た今だからこそ日本人に伝えたいメッセージを小出氏に聞いた。
 「10年前、私たち日本人は原発の恐ろしさをイヤというほど実感しました。原発がある限り、私たちは同様の事故が起きる危険と隣り合わせで生きていかなければなりません。そんな危険なものは即刻止めるべきですし、国が何と言おうと、私たちは平和のために抵抗し続けなくてはいけないと思います」
 日本から原発をなくすため、来月3日も小出氏は駅前に立つ。
『FRIDAY』2021年3月19日号より
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