[2020_12_13_02]住民戻らないのでは 避難先の便利に戸惑い【復興を問う 帰還困難の地】(37)(福島民報2020年12月13日)
 
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住民戻らないのでは 避難先の便利に戸惑い【復興を問う 帰還困難の地】(37)

 葛尾村野行(のゆき)行政区で生活していた元村職員の半沢富二雄さん(67)は東京電力福島第一原発事故に伴い、郡山市で家族四人と暮らす。特定復興再生拠点区域(復興拠点)にあった自宅は解体されたため、約五年前に市内に住宅を建てた。五十五年ほど住み続けた古里に戻りたいと願いつつ、平穏な日々が過ぎていく。
 避難先は便利だ。近くにはスーパーやコンビニ、病院、駅など生活を支える基盤がそろう。徒歩圏内に多くの施設があり、生活に必要な日用品はすぐに買いに行ける。体調を崩した際の不安も減った。「ここまで便利な生活は初めて経験した。こんな日が来るとも思わなかった」。思わぬ暮らしに戸惑いながらも、不自由は感じていない。
 村民との交流も続けている。約百七十人が入居している三春町恵下越(えげのごし)の災害公営住宅(恵下越団地)に月に数回、足を運ぶ。集会所に集まり、付き合いの長い住民と顔を合わせて話を弾ませる。わずかな時間でも、古里に戻った気持ちになる。
 野行行政区の復興拠点を巡り、国と村は二〇二二(令和四)年春ごろまでの避難指示解除を目指している。村は二〇二一年秋に準備宿泊を開始する方向で国と協議に入った。来年秋までに拠点内に宿泊施設を完成させる見通しだ。
 ただ、野行行政区の住民がどれだけ帰還するかは不透明だ。十一月一日現在の行政区の住民は三十四世帯約百四人。原発事故前の二〇一一(平成二十三)年三月一日時点の三十四世帯約百二十五人から減少が続く。高齢化も進む。六十五歳以上の高齢者は46・2%を占め、二〇一一年三月一日時点から約14ポイント上昇している。
 復興拠点内はほとんどの家が解体された。避難先で家を新築し、便利な生活を送っている住民も少なくない。「帰還しても、暮らしが不便に感じてしまうのではないか」。半沢さんは生活基盤が整わなければ、住民は戻ってこないと考える。
 村は準備宿泊に向け、インフラ整備を進めている。ただ、拠点内に病院やスーパーはなく、大きな病院に通うには南相馬市や浪江町などに車を四十分ほど走らせなければならない。拠点内は公共交通機関が通っていないため、移動は徒歩や自転車、車に限られる。
 「住民が安心して生活できるよう、国がしっかりと生活環境を整えるべきだ」。拠点が整備されても、人がほとんど戻らないことを懸念している。
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