[2020_07_02_05]原発県民投票が5対53で否決に!…茨城県議会 いばらき便り−東海第二原発をめぐる市民運動から vol.1 野口 修(東海第二原発の再稼働を止める会、茨城県在住)(たんぽぽ舎2020年7月2日)
 
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原発県民投票が5対53で否決に!…茨城県議会 いばらき便り−東海第二原発をめぐる市民運動から vol.1 野口 修(東海第二原発の再稼働を止める会、茨城県在住)

◎ これから、月1回連載する「いばらき便り」です。
 主に「東海第二原発を巡る問題」を市民運動のできごとから見ていき、これからの民主主義のあり方を探ると同時に、東海第二原発の成り行きを検証していけたらと思います。

◎ ご存知のように東海第二原発は、茨城県東海村にあります。
 東海村に初めて原子の火が灯ったのは、1957年8月27日で、東海村立地を決めた原子力委員長の正力松太郎が運転開始のスイッチを押したといいます。
 ここに日本で初めての原発が動き出したわけです。夢と希望に満ちて、当時のサザエさんの連載漫画にも「いよいよ日本の原子炉にも火がついたね」と掲載されたそうです。
 その後の原発を巡る歴史は言うまでもありません、チェリノブイリ事故(1986年)、JCO臨界事故(1999年)、3・11東日本大震災(2011年)、福島第一原発事故。同時に東海第二原発も被災(2011年)し、現在運転停止をしています。今や「夢と希望に満ちた」とは、誰もが思わない事態になっています。
 東海第二原発は、1978年11月28日に運転開始し、2018年11月27日で40年を迎えましたが、原子炉等規制法で定められた運転期間40年という規制は、規制委員会の意見で例外的に最長20年延長できることになり、現在に至っています。この現状に対して、再稼働の是非が問われているのが市民運動・行政・企業の現在と動向です。

◎ 2020年6月23日、茨城県議会では、注目の議案の採決がありました。「東海第二原子力発電所再稼働の是非を問う県民投票」の採決です。同条例案は市民団体「いばらき原発県民投票の会」が必要数を超える8万6703名の署名を集めて知事に直接請求し、知事が6月定例議会に提出したもの。
 採決の結果は賛成5人、反対53人で否決となりました。閉会後、条例案に対しての賛否を明示しなかった知事は「県議会の議論はいろいろ示唆に富む点があった。分析して今後の施策につなげたい」と報道陣に話したとう。
 一方、投票の会共同代表の徳田氏は、「多くの方の期待に答えられなかったことを詫び、「各地で真剣に考え、話し合う機会がたくさん生まれた。生まれた芽は、長い年月をかけてしっかりと根を張って花開いていくだろう」と期待を込めた。

◎ 私は、この日傍聴にいき、その後の反省会に出席をしました。反省会には30人ほどが参加しました。共同代表の徳田さん、山崎さん、鵜沢さんも参加し、参加者からの感想や今後の事が話されました。
 ここで重要な意見が出ました「結果は5対53で負けたが、負けた気がしない」というものです。この日の話し合いは「なぜか清々しい気持ちがする」「やり甲斐があった」「行動することができた」など、多くは、今回の行動に対しての肯定的な意見であった。
 が、しかし結果は否決であるのです。この、「負けたのだが負けていない」という思いは、なんだろうか。市民運動の思い上がりだろうか?
 何に負けて、何に負けてないというのだろうか?
 現在、世界各地で人種問題の抗議運動が起こっています。この運動が長すぎる運動ともいえます。公民権運動から続くアメリカの市民運動の歴史ともいえます。
 この長すぎる運動に対して、政治学者の藤原帰一氏は「運動が非暴力から暴動に転じると、法と秩序の名の下に力によって市民的不服従が押さえ込まれ、結果として不公正が長続きしてしまう」と興味深い言葉を投げかけました。そして現在の非暴力的な連帯の抗議活動に、注目をしていると。

◎ 私たちは「不公正に負けて、公正は負けていない」と言えないだろうか。
 だから、清々しい気持ちがあらわれ、大きく負けているにも関わらず、負けていないといえるのではないだろうか。
 近代の歴史は、公正な民主主義の争いであった。民主主義を戦争の旗頭にしたように、死に物ぐらいで民主主義の戦いをしてきた。
 しかし、それは暴動でもあったのではなかったか。
 県民投票条例の議会での採決は否決であったが、非暴力で、不公正を正していく、新たな民主主義の萌芽がこれからの希望であるとするならば、清々しい気持ちは、そのあらわれと思えてならない。
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