[2019_10_03_08]室井佑月「子になにを教えてゆくのか」〈週刊朝日〉(アエラ2019年10月3日)
 
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室井佑月「子になにを教えてゆくのか」〈週刊朝日〉

 9月19日、福島第一原子力発電所の事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に、東京地方裁判所は無罪判決を言い渡した。作家・室井佑月氏は、その判決に異議を唱える。
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 悪さをした子どもを叱るとき、大人は、なぜそれが悪いのかを教えてきたのだろうと思う。「まわりの迷惑になるから」であったり、「嫌だといってる人(親であるあたしを含め)がいるから」であったり。
 そして、子どもが悪さを認めて謝ってきても、ほんとに悪いと理解したかを問いただしたはずだ。
 約束は極力守らせる訓練をし(すべてそうしきれないが)、責任というものを持たせようとした。
 子を育てるうえで、それはごくごく普通のことだと思っていた。その考えが揺らぐ日がまさか来るなんて、思ってもいなかった。
 2011年3月の東京電力福島第一原発事故をめぐり、東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判は、全員無罪となった。
 福島第一原発は東日本大震災による巨大津波に見舞われ、原子炉3基がメルトダウン、そのせいで最大時には約16万人(震災全体で47万人)が避難する羽目になった。
 そして、メルトダウンそのものによる死者ではないが、入院していた病院から避難を余儀なくされるなどして、44人が亡くなった。
 このような大きな罪は東電だけではどうにもならず、その上のこの国に責任を負わせたというならまだわかる。けど、違う。逆だ。責任を負う人間を作らないことにしたのだ。
 9月19日の中日新聞の夕刊によると、「公判は、海抜一〇メートルの原発敷地を超える高さの津波を予見し、対策を取ることで事故を防げたかどうかが争点だった」という。「東電の地震・津波対策の担当者らは、原発事故が起きる三年前の二〇〇八年三月、国の地震予測『長期評価』に基づく試算値として、原発を襲う可能性がある津波の高さが『最大一五・七メートル』という情報を得ていた」と。
 しかし、なんら対策を取らなかった。東電の旧経営陣3人は、3人とも地震・津波の担当者の声を無視した。なぜか?
 大津波の襲来は十分予見できたのに、原発の運転停止のリスクや多大な出費を避けるため、そういった指摘に対し、聞こえないふりをしたのだ。
 ここがあたしはわからない。仮に、地震・津波対策の担当者らの意見を聞き、すぐさま対策に動いた、だけど間に合わなかった、ということで無罪というのならまだわかる。
 が、何度もそういう指摘を受けながら、金をかけたくないからといった理由でそれを無視した人たちがなぜ無罪になるんだろう。
 これを許してしまえば、この先この国の企業は、儲けるためには倫理なぞいらない、という企業ばかりにならないか?
 そして、この国の子どもたちには、なんと教えるのか?
 弱肉強食、強い者が正義であると教えるのか? 強い者が弱い者を踏みつけながら生きていくのが定めとでも教えるのか?
 すべてが金だ、と。

※週刊朝日  2019年10月11日号
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