[2019_07_29_05]JAEA、「明治三陸型」大津波を茨城沖で想定していた_添田孝史(Level 7 NEWS2019年7月29日)
 
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JAEA、「明治三陸型」大津波を茨城沖で想定していた_添田孝史

 東日本大震災の前に、明治三陸地震(1896年)と同じタイプの地震を福島沖から茨城沖でも想定して備えておくべきだったのか。それが東電福島原発事故を巡る裁判において争点となっている。国や東京電力は「明治三陸型が福島沖以南で発生するという予測は、客観的かつ合理的根拠がなかった」という趣旨の主張を裁判で続けている。ところが国立研究開発法人「日本原子力研究開発機構」(JAEA)は2008年、明治三陸型の福島〜茨城沖想定を「採用する」とし、茨城県東海村の再処理施設などで対応を進めようとしていたことが、JAEAが開示した資料でわかった。「日本で唯一の原子力に関する総合的研究開発機関」(JAEAのHPから)は、国や東電の主張とは異なり、東電事故の前から明治三陸型の大津波に備えなければならないと判断していたようだ。

2008年6月「推本による検討方針も採用する」

 JAEAが開示した文書は、「地震随伴事象の調査解析業務(津波)報告書」(2009年3月)[1]。JAEAが東電設計に委託し、2007年9月から1年半かけてまとめた。筆者の開示請求に応じ、JAEAが2019年6月5日に開示した。
 この報告書は、茨城県[2]、土木学会[3]、政府の中央防災会議[4]、政府の地震調査研究推進本部(推本、地震本部)[5]の津波予測が、東海村の施設にどのくらいの津波をもたらすか計算している。推本は、明治三陸型の地震(津波地震)が、三陸沖だけでなく、房総沖まで日本海溝寄りのどこでも起こりうると予測していた。
 報告書によれば、もっとも津波が高くなるのは推本予測による津波だった。明治三陸型の地震が、福島〜茨城沖で発生した場合、JAEA東海再処理施設の河口部で津波高さが8.5mになり、再処理施設の建物付近に最大82cmの浸水が予測された(冒頭の浸水予測図)。
 報告書に添付された2008年6月4日のJAEA と東電設計の打ち合わせ議事録に、以下のようにJAEAの判断や対策の方向が書かれている。

「推本による日本海溝寄りの断層モデルでは、主要施設への影響が考えられる。現段階では、推本による検討方針も採用するとしている」
「推本による日本海溝寄りの津波地震を採用すると、津波高さは最大で、津波に対する対策が必要となる。一例として敷地への浸水を防止する防潮壁による対策が挙げられ、新川に沿った防潮壁について予備検討を行う」

 報告書では、浸水対策には海面からの高さ9mの防潮壁が必要と計算していた。
 また、JAEAは、東電、東北電力、日本原電、東電設計と2008年7月23日に開いた打ち合わせで、「推本モデルではバックチェック対象施設まで浸水する。推本モデルの結果に対して、建屋ごとに防潮壁で囲う、防水扉に変更する等の対策を検討している」と説明していた[6]。
 JAEA広報部は「2008年6月4日の打ち合わせ記録には『推本を採用』と書いているが、事故前まで最終的に採否は決まっていなかった」と説明している。ただし2008年8月以降、東電設計とやりとりした議事録、電子メールなどの記録は残っておらず、当時の関係者に聞き取りした結果、そう判断したという。

裁判での国の主張と矛盾

 JAEAは、日本で唯一の原子力に関する総合的研究開発機関[7]で、理事長は文科相が任命し、主に国からの運営交付金で活動している国立研究開発法人である。JAEAには原子力人材育成センターもあり、「50年以上にわたって研修事業に取り組み、国内研修、国際研修、職員技術研修合わせて約12万人の研修修了者を送り出し、原子力行政、研究開発、運転管理等、国内外の幅広い分野の人材の育成に貢献して参りました」と紹介している[8]。原子力規制委員会の初代委員長、現在の第二代委員長もJAEA出身だ。
 推本の長期評価について、国は「客観的かつ合理的根拠を伴うものでない。だから備えていなくてもミスではなく、事故を起こした責任は無い」という趣旨のことを裁判で主張している。しかし、原子力の分野で権威のあるJAEAが、検討の結果[9]、推本の長期評価を2008年6月の段階で「採用する」と判断していたことは、今後の裁判に影響を与えそうだ。

JAEA、バックチェック期限守らず

 JAEAが開示した報告書は、耐震バックチェックを進める作業の一環でまとめられたものだ。
 2006 年9月に、原子力安全委員会は「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」を28年ぶりに全面改訂した[10]。これに伴い、原子力安全・保安院は古い原発や再処理施設なども耐震安全性を新指針に照らして再検討するよう、各電力会社やJAEAなどに指示した[11]。
 JAEAは、この指示にしたがって2006年10月に「耐震安全性評価実施計画書」を提出[12]。再処理施設については、バックチェックを2008年12月までに終える予定としていた。
 その後、新潟県中越沖地震の影響で2009年4月に実施計画を見直し、バックチェック結果の提出は2010年第一四半期めどとし、さらに「可能な限り前倒しで提出するよう努めてまいります」とプレスリリースに書いていた[13]。
 そして2010年6月にバックチェックの一部について結果を提出した[14]。しかしこれは揺れに関する一部の範囲に限られており、津波についてのバックチェック結果は東日本大震災の時点でも提出していなかった。
 JAEA広報部は「津波のバックチェックが遅れた理由はわからない」と話している。

「他の電力の動向に合わせて整理。そのため工期延長」

 実は、遅れた理由の手がかりも、開示文書の中にあった。2008年6月4日のJAEA と東電設計の打ち合わせ議事録の「D今後の予定」に以下のように書かれている。

 「当初予定の土木学会手法では、津波による敷地への影響はほとんど見られないが、その後の他電力が採用している茨城県や推本による検討方針を採用すると敷地への影響が発生する。現段階では、これらのまとめ方の方針も不明確であり、他電力の動向に合わせて整理していくこととなる。そのため、工期延長が予定されている」

 「他電力の動向に合わせて整理」と書いているところがカギだ。
 JAEAが推本津波の「採用する」としていた同じころ、東電も同様の位置に津波地震を想定して(地図)、福島第一への津波高さを計算していた。計算は、JAEAも東電も、東電子会社の東電設計に委託していた。
 推本は、日本海溝沿いのどこでも明治三陸型の津波地震が発生すると予測していた。このため、明治三陸型の断層モデルを、日本海溝沿いに南側に何段階もずらして、それぞれが東海再処理施設にもたらす津波高さを計算する。灰色の長方形の位置に断層を想定すると、東海再処理施設では最大の津波(河口部で8.5m)になるとわかった。同様に福島第一原発で計算すると、JAEAより約50キロ北側に断層を想定した時(白い長方形)、最大(敷地南側で15.7m)になる。(東電設計の報告書をもとに添田作成)
 推本の予測にしたがえば、福島第一には15.7mの津波をもたらすことがわかった東電は2008年7月、推本津波の採用を先送りすることを決めた。
 翌8月に東電が各電力会社を招集して開いた打ち合わせにはJAEAも出席。ここで東電は「推本見解を採用した途端に既往評価水位を大幅に上回るため、必要となる対策を短期間に取ることは不可能」と、先送りの理由を説明していた[15]。工期が最低でも4年かかるほどの大規模な工事になり、その間、運転停止を迫られるおそれもあったからと見られている。
 以下は推測だ。JAEAは、津波評価の報告書を2010年度第一四半期には提出する予定だった。ところが東電は、推本予測への対応が困難なため、報告書提出を2016年3月まで先延ばしすることを決めてしまっていた。JAEAが先に提出すれば、東電が推本に備えていないことが露見してしまう。だから、締め切りを過ぎても津波バックチェックの結果を公表できなかったのではないだろうか。浮かび上がってくるのは「原子力ムラの津波先延ばし談合」の疑いである。
 ただし、それを裏付ける証拠はない。
 2007年12月、2008年3、7、8月に、JAEAと東電、東北電力などが津波想定について会合を開いた記録が、東電の刑事裁判で明らかにされた。しかし、8月以降、東日本大震災までは「打ち合わせ記録は残っておらず、担当者に可能な限り聞き取りしたが、開催されたことは確認できなかった」(JAEA広報)。電子メールのやりとりも確認できなかったという。
 2007年から2008年8月にかけては数か月に一度のペースで会合をひらいていながら、その後、東日本大震災まで3年近く情報交換を全くしていないというのは、とても不自然に思える。
 311でのJAEA施設の被害は軽微だったが…
 保安院は、院長自ら耐震バックチェックを3年以内(2009年6月まで)に終えるよう指導していた[16]。ところが、JAEAは2008年には「推本予測を採用する」としておきながら、バックチェック指示から5年後の2011年3月11日まで、具体的な津波対策は何もしなかった[17]。前述したように、東電との調整に時間がかかったため、と推測される。
 東北地方太平洋沖地震の際、再処理施設に隣接する新川で約5.6mの津波が観測され、川沿いのフェンスの一部が津波で壊れた[18]。外部から送られる電気は2系統とも約2日間途絶したので、非常用発電機で電力を供給した[19]。もし、地震が少し南にずれていれば、津波はもっと高くなり、再処理施設も被害を受けたかもしれない。再処理施設には、常に冷却が必要な液体プルトニウムや高レベル放射性廃液が保管されていた。冷却設備や水素除去設備などが動かなくなれば、プルトニウム溶液は23時間で沸騰、11時間で水素爆発する恐れがあった[20]。
 JAEAは東電原発事故後にようやく、建屋への浸水防止扉の設置や、高台への電源確保などの対策をした。東電の都合にあわせてJAEAも津波対策を遅らせた「原子力ムラの津波先延ばし談合」のせいで、予測されていたにもかかわらず東海村でも津波で大事故という事態は、十分あり得たのだ。
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