[2018_11_07_04]東海第二、延長容認 「住宅密集地避けて」死文化(東京新聞2018年11月7日)
 
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東海第二、延長容認 「住宅密集地避けて」死文化

 日本原子力発電(原電)東海第二原発(茨城県東海村)が運転を始めた当時、国の指針では、人口密集地への原発立地を避けるよう求めていた。指針は規制の基礎だったはずなのに死文化し、国は運転開始から四十年で周囲が人口密集地となった東海第二の運転延長を認めた。原電元幹部や識者は「不当だ」などと指摘し、原点を忘れて再稼働に突き進む姿勢を疑問視している。 (越田普之)
 「建設当時、村内は農地と原子力関係の敷地が多い印象だったが、今は大型スーパーもできて、すっかり住宅地になった。芋畑の中の道を歩いて出勤していた頃、ここまでの状況は想像できなかった」
 東海第二の建設当初を知る原電の元幹部は、環境の変化を振り返る。
 原発の立地は、一九六四年に制定された「原子炉立地審査指針」に基づいて判断されてきた。指針では、事故が起きた際の住民の被ばく防止を目的に、立地の条件を「人口密集地帯からある距離だけ離れていること」などと定めていた。
 全域が原発五キロ圏内の東海村では、指針ができる前の六〇年、日本初の商用原発だった東海原発が着工。当時の村民は約一万四千人だった。「2号機」に当たる東海第二の建設が始まる三年前の七〇年には、約一万九千人に増えていた。
 だが、指針が原発と人口密集地の距離を具体的な数値で定めていなかったことから、東海第二は運転を始め、村の人口も四十年で約三万八千人にまで膨れ上がった。原電元幹部は「原発周辺を住宅街が取り囲む現状は、指針の趣旨を逸脱している」と指摘した。
 原子力規制委員会は、福島の原発事故後にできた新規制基準について「放射性物質の閉じ込めに重点を置いており、放出を想定した指針の考え方は取り除いた」と説明。指針が死文化したとの認識を示す。現状では、人口密集地と原発との距離に決まりはない。
 著書「原発都市」(幻冬舎ルネッサンス新書)で、この問題を取り上げた茨城大の乾康代教授(住環境計画)は「指針はあらゆる規制の基礎で、軽く扱われてはならなかったのに、半世紀にわたって骨抜きにされてきた。指針を新基準から外したのは不当だと厳しく指摘したい」と強調する。
 東海第二から三十キロ圏の人口は九十六万人と、日本の原発立地地域では最も多い。「人口密集地帯がこれほど接近している原発は、世界的に見ても、ここだけではないか」と乾教授。そしてこう説く。「指針を厳格に運用すれば日本に原発を建設できる場所はない。せめて、東海第二の再稼働を認めるべきではない」

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