[2018_08_27_01]東海第2原発の探訪記「歩く見る聞く 37」(2018年8月27日) 東海第2原発は40年制限ルールに則って再稼働せずに廃炉にすべきだ 田中洋一 (埼玉県在住)(たんぽぽ舎2018年8月27日)
 
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東海第2原発の探訪記「歩く見る聞く 37」(2018年8月27日) 東海第2原発は40年制限ルールに則って再稼働せずに廃炉にすべきだ 田中洋一 (埼玉県在住)

◎ 61年前のこの日、初めて日本に原子の火がともる。場所は茨城県東部にある東海村の日本原子力研究所(原研)の研究用原子炉。核分裂が継続して起きる臨界状態がついに生まれた。日本の原子力開発がここに始まり、同時に、一寒村は変貌する。
 かつてクロマツの砂防林が広がっていた村の太平洋岸を、今は国道245号沿いに原子力関係の主な施設が立ち並ぶ。原研の後継に当たる日本原子力科学研究所を真ん中に、その北に東海第2原発(日本原子力発電)、南に核燃料サイクル工学研究所が占める。
 常磐線が通る村の中央から東の原子力施設に至る主な道路に名前がついている。村役場の前を通り、原研の前に出る目抜き通りは原研通り。東海第2原発と廃炉作業中の東海原発に出る原電通り、再処理施設に至るのは動燃通り、と分かり易い。動燃というのは再編前の動力炉・核燃料開発事業団の略称だ。
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◎ 今月中旬に東海村を訪れた。日本原電の東海第2は今年11月に営業運転を始めて40年になる老朽原発なので、3・11後に改められた原子炉等規制法の40年制限ルールに則って再稼働せずに廃炉にすべきだと私は考える。阿部功志・東海村議のご案内で一帯を回った。東海第2の安全性は原発それ自体の問題に加えて、周囲の原子力施設との複合性を併せ考えなければいけない、との印象を強くした。
 東海第2の敷地には展示広報館があり、誰でも入れる。マリンブルーが映える原発建屋の撮影を始めるや、ガードマンが近づいてくる。「発電所を見上げて撮るのは構わないが、街路樹より低いところは撮影しないで」と注意された。狙いがよく分からない。
 国道245号を南下し、原子力科学研究所の正門前で車から降りてカメラを構えたら、またガードマン。「原子力施設だから写真撮影は禁じられています」。そんなばかな。敷地の外から何をどう撮ろうと、ケチをつけられる筋合いはない。なぜか撮影には過敏だ。
 原研の南に核燃料サイクル工学研究所があり、その敷地の北の境界に沿って海岸に向かう。軽車両でもすれ違えないほど狭い道で海岸に近づくと、川幅数mの新川を挟んで建屋が現われる。この中に東海再処理施設がある。「3・11では津波が新川を遡上しました」と阿部さん。
 東海再処理施設は1981年に本格運転を始め、施設廃止の認可を今年受けた。廃炉作業中の新型転換炉ふげんや他の原発の使用済み核燃料を保管している。解体が終わるまでに70年もかかる。
 この再処理施設が特に怖いのは、高レベル放射性物質が廃液として残っている点だ。東海村を訪ねた翌週、東海再処理施設の廃止計画について知る機会があった。茨城県の原子力安全対策委員会があり、再処理施設の責任者が県当局に説明する場面を傍聴した。
 再処理工程の概要は、使用済み核燃料を裁断・溶解し、最終的にウラン酸化物やプルトニウム−ウラン混合酸化物の粉末を取り出す。当面の10年間で最大の課題は、溜まった高レベル放射性廃液を安全に管理しつつ、扱い易いガラス体に固化する作業だ。東海村によれば、貯蔵している高レベル廃液は今年6月現在で約340立方mある。ガラス固化体は309本で、10年後には約880本に増える。
 県安全対策委に提出した工程表には、10数年後に「ガラス固化完了」「固化体搬出」とある。最終処分地に運び出す意味で、センター長は「NUMOが平成40年代の後半で処分地を決める」とあっさり説明した。
 私は、候補地のメドすら立っていないのに、と声を上げそうになった。砂上の楼閣が透けて見えた。

 敷地間の最短距離で2.2kmしか離れていない東海第2原発と東海再処理施設。双方の複合災害について、東海第2の運転差し止めを求める訴訟の原告団はこう想定している。
 まず、再処理施設で事故が起き、それを契機に東海第2が運転不能に陥って過酷事故が起きる場合。
 次に、地震や津波で双方が事故を起こし、甚大な被害をもたらす場合。
 さらに、墜落や爆撃で再処理施設から高レベル放射性廃液が飛散する可能性にも触れている(原告の準備書面より)。

 外から透けて見えるエレベーターで東海村役場の5階に上がる。東を臨む。立ち並ぶ住宅街越しに松林の帯があり、松林の中に原発の建屋や排気口が立ち上がっている。原発まで約3.6km。原発を中心に同じ半径で円を描けば、村の人口(約3万7600)の半数は含まれそうだ。
 原発から最も近い民家は、原電の敷地から国道245号を隔てて約500mしか離れていない。住宅街の迫っていることが、東海第2原発の安全性を考える上でのもう一つの重点だ。
 村の人口は、原子の火がともってから増え続け、3倍以上に膨らんだ。村は村外にも避難する広域避難計画を検討している。
 だが、東海第2がいざ過酷事故を起こせば、交通渋滞や、助けを借りなければ動けない要支援者の移動に課題が残っている。村は、原発から1km程度離れていれば避難ではなく屋内待機も考えている。
 阿部さんに案内して頂いた翌日、私は市民団体「ピースサイクル」の一行に合流した。自転車で走る平和運動を続け、1990年代半ばから原子力に関する質問状を村役場に事前に提出して回答をもらい、それに沿って担当者から直接説明を受けている。
 さらに、日本原電の地元本部とも質問と回答という関係を結んでいる。脱原発を求める側はとかく電力会社を敵と見てしまうだけに、こんな形で信頼をつなぐのは大切なことだ。
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◎ 東海第2原発の廃炉を提案した村上達也・前村長から2013年、山田修・現村長へ村政が移り、東海村は原子力との関わりが不透明になった。
 山田村長は東海第2の再稼働について村議会で、「四つの要因」をあげた(今年3月定例会)。新規制基準の適合性、周辺6市村首長懇談会で求めている権限の確保、広域避難計画の策定、そして「何より住民の意向」だ。
 しかし、意向の判断は難しい。
 水戸市議会をはじめ茨城県の自治体議会は東海第2原発の再稼働に反対し廃炉を求める意見書を次々と国・関係機関に送付している。だが、東海村議会は当面、そんな意見書とは無縁だ。なぜか。
 東海村議会には組織議員が多い。原電系、原研系、動燃系、北隣の日立市に主力工場を抱える日立系……。「村の3分の1が原子力の仕事をしているので、廃炉を提案したら確実につぶされる」と阿部村議。厳しい中で頑張っている地元の人達をどう支えたらよいのか。力のこもった議員ニュースを読みながら、そう考えた。

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