[2018_08_08_03]大飯判決 福井地裁元裁判長インタビュー 原発差し止め「迷いなし」(東京新聞2018年8月8日)
 
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大飯判決 福井地裁元裁判長インタビュー 原発差し止め「迷いなし」

 関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止め訴訟で、二〇一四年の一審・福井地裁判決で運転差し止めを命じた裁判長の樋口英明氏(65)が本紙のインタビューに応じ、原発訴訟に対する思いを語った。訴訟は今年七月、名古屋高裁金沢支部で住民側の逆転敗訴が確定。樋口元裁判長は「国の問題だから黙っておくわけにはいかない」と述べ、原子力規制委員会の判断とは別に、司法が自ら原発の危険性を見極めて判断すべきだとの考えを強調した。
 差し止め判決を書くのに迷いはなかった。勇気ある判決と言われるが、こんな危険なものを動かす方がものすごい勇気だ。判決理由の最初に書いたが、多数の人格権や生活基盤、命にかかわることには、危険や被害の大きさに見合った安全性は当たり前のことだ。
 福井地裁で原発訴訟の審理に入る前は「あれだけの被害を及ぼすのだから、それなりに丈夫にできているだろう」と思っていた。だが、全く非常識なくらい、弱い。住宅メーカーは四〇〇〇ガル(ガルは揺れの強さを示す単位)に耐えられる家を建てている。大飯原発の想定は当時七〇〇ガルで、東京電力柏崎刈羽原発の三分の一ほど。根拠をただすと「ここでは強い地震はきませんから」とのことだった。
 つまり、唯一の根拠は「今後何十年の間にここには何ガル以上の地震は来ません」という予知。だが、一〇〇〇ガルを超える地震は国内で頻発している。良識と理性があれば簡単に答えが出るはずだ。
 福島第一原発事故前は、原子力行政への強い信頼があったが、事故後はゼロになった。事故を受けた新規制基準が合理的なのか、危険性に着目しないといけない。「合理的」という言葉を「つじつまが合っている」という意味で使っている人は多いが、専門家がやっているから合っているに決まっている。控訴審判決は「つじつまが合っている」というだけで判断しているが、そうした発想では、司法が規制委の判断を権威づけるだけの役割になる。
 もう二度と事故を起こさない内容になっているのか。それを厳しい目で見極め、合理性や科学の意味を自ら考えないといけない。「3・11」は戦後最大の出来事だったのだから、その前後で同じ姿勢では済まされない。国民を守れるか。それを判断するのは裁判所の最も大きな役割だ。

◆「想定外」司法も反省を
 大飯原発の運転差し止め訴訟では、行政判断に追随するか否かという点で、福井地裁と名古屋高裁金沢支部で対照的な判決が出た。
 地裁判決で、樋口氏は「具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象」と、独自に判断する姿勢を表明。国内四原発で電力会社が想定する揺れを上回る地震が起きたとして「自然の前における人間の能力の限界」と指摘。「大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通し」と想定を一蹴した。
 原発訴訟では事故前、行政の判断を尊重する最高裁判例を受けて住民側の敗訴が相次ぎ、大飯の控訴審判決もそれに沿った。
 原子力規制委員会は事故を踏まえて出発した組織だが、地震の揺れを想定する手法は、事故の前と後で大きくは変わっていない。「想定外」との言葉が繰り返された福島事故の反省をどう生かすか、司法も問われ続けている。 (中崎裕)

<ひぐち・ひであき> 1952年、津市生まれ。83年に判事補任官。名古屋地裁や大阪高裁の判事などを経て2012〜15年に福井地裁判事。17年8月、名古屋家裁判事を最後に定年退官した。

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