[2018_04_13_02]耐震基準最高の住宅さえ倒壊した熊本地震(島村英紀2018年4月13日)
 
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耐震基準最高の住宅さえ倒壊した熊本地震

 熊本地震から2年たつ。政令指定都市が震度6弱以上の地震に襲われたのは2011年の東日本大震災以来5年ぶりだった。
 私たち地震関係者にとって大きな衝撃だったのは、耐震基準が最高という最新の住宅でさえ壊れてしまったことだ。
 阪神淡路大震災(1995年)以降は、新たに「2000年基準」が適用されることになった。通称「新・新耐震基準」だ。それ以後に建てられた家は、以前のものよりも地震に強いはずだった。
 熊本の被災地では「2000年基準」の住宅が熊本・益城(ましき)町の1割あった。だが、そのうちの3〜4割が倒壊、大破してしまった。
 それよりもっと前、1981年以降で「2000年基準」が導入される前に適用されていた「新耐震基準」の被害はもっと大きかった。約100棟のうち、6〜7割が倒壊したり大破してしまった。これは同じマグニチュード(M)7.3の阪神淡路大震災以上の壊れ方だった。
 熊本地震は震度7の揺れが2回あった。最初の震度7は4月14日の夜でM6.5、二回目は4月16日未明でM7.3だった。震度7は同じだが、あとの地震の方が地震としては大きかった。
 現在の耐震基準は、単発の大きな地震には耐えられる設計でも、繰り返し大きく揺れることは想定されていない。これが最高の基準の住宅でも壊れてしまった最大の原因だ。
 これまでの耐震基準は大きな地震を経験するたびに強化を重ねてきた。
 1972年以前は「震度5強の地震で損傷しない」ことを基準としていた。
 だが、1978年(M7.4)に起きた宮城県沖地震で建物の全半壊7400戸を生んだことから、1981 年には「震度6強から7の揺れでも倒壊や崩壊を防げる」強度を基準に強化された。「新耐震基準」と言われる。
 しかし阪神淡路大震災を受けて、新耐震基準なら大丈夫という安心がもはや通用しなくなってさらに強い「2000年基準」が作られた。
 そして熊本地震。これをきっかけとして現行の2000年基準がさらに見直されるかもしれない。
 じつは、もうひとつの重大な問題があった。それは4月14日の地震の後、気象庁や政府が「家に帰れ」と呼び掛けていたことだ。あとから起きた16日の地震で家が潰れて圧死した人数は14日の地震の圧死者を超えてしまった。
 気象庁は14日の地震発生後の15日に「震度6弱以上の余震が発生する確率は20%」と発表していた。つまり、気象庁は14日の地震より大きな地震が起きることはまったく想定できていなくて、ずっと小さい地震が、それも、20%という低い確率でしか起きない、と発表していたのだ。
 一般人の受取り方からいえば、20%という確率は、同じように%で発表される降雨確率で言えば傘を持たないで家を出る程度の、普通には起こらない数字だ。
 14日の地震に耐えて残った家が、気象庁が予想しているような小さな余震で倒れるはずがない、という判断もあったにちがいない。

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