[2017_07_16_01]中越沖地震から10年、原発城下町は今(TBS2017年7月16日)
 
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中越沖地震から10年、原発城下町は今

 15人が死亡した新潟県中越沖地震から16日で10年。これは、世界で初めて原発が被災した地震でもありました。10年が経ち、原発城下町は新たな問題に直面しています。
 地震発生時刻にあわせ、黙祷が捧げられた柏崎市。10年前、震度6強の揺れが襲います。死亡者15人、負傷者2300人は、この年、国内最大の被害でした。
 しかし、注目されたのは原発ばかりでした。世界初の「原発震災」と言われ、稼働中の全原子炉が停止しました。漏れ出した放射性物質は微量でしたが、緊急時対策室のドアが歪み、自治体への連絡が遅れるお粗末な防災体制が露呈しました。教訓に緊急時の拠点、免震棟が作られ、他の原発にも整備されていきます。
 福島第一原発に免震棟がなければ、東日本大震災の被害はもっと甚大だったと言われています。
 「何度もこうした話を・・・。おわびを申し上げて・・・」(東京電力・広瀬直己社長〔当時〕)
 しかしその免震棟をめぐり、今年、東電が耐震性不足を公表していなかったことが明らかになり、再稼働へのハードルを自ら上げました。
 柏崎は海も観光資源です。原発の風評被害により激減した観光客は戻り、地震の爪痕は全くみられなくなりました。ただ、世界最大の原発は福島の事故以降止まったままで、行く末は定まっていません。
 これまで原発と共存してきた柏崎市。市長が再稼働の条件として東電に突きつけたのが・・・。
 「1号機から5号機に関する“廃炉”計画を明確なものにしてもらいたい」(新潟県柏崎市・桜井雅浩市長)
 「廃炉」計画の策定でした。16日の追悼式典には東京電力の小早川社長も参列しました。
(Q.柏崎市長から“廃炉発言”もありましたが・・・。)
 「これから就任のごあいさつにお伺いいたしますので、改めて市長、知事にごあいさつの時に改めてお話をしたいと考えています」(東京電力・小早川智明社長)
 原発城下町の主は10年経っても息をひそめたままです。日本で初めての原発震災は何を遺したのでしょうか。(16日17:41)

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