[2017_03_14_01]東日本大震災の陰で忘れられた“3.12“ 長野北部地震から6年(AbemaTimes2017年3月14日)
 
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東日本大震災の陰で忘れられた“3.12“ 長野北部地震から6年

 東日本大震災の翌日、マグニチュード6.7、震度6強の強い揺れが襲った長野北部の栄村。家屋は大きく傾き、建物の8割にあたる700棟が被害に遭った。路面のいたる所に亀裂が生じ、崩れ落ちた所もある。直接の死者はいなかったものの、避難生活のストレスなどで3人が亡くなった。
 しかし東日本大震災に伴う津波や原発事故に比べて栄村に関する報道は少なく「忘れられた被災地」と呼ばれることもあった。
 長野県のさかえ倶楽部スキー場で18日に始まる「雪ん子まつり」を主催する月岡コンコン会の斎藤文成会長は「下から突き上げられて、自分の体が吹っ飛んだように思うくらい大きく揺れた。家の下敷きになって、命が終わるなという感じがした」と振り返る。ガラスが床一面に飛び散り、2階から1階に降りるのにも苦労したという。さらに「余震が続いたため、家の中にはいられなかった。春先になって雪が消えてから、田んぼや畑の地割れが分かり、その被害の大きさに驚いた」。6年経った今も、室内にひび割れがある家があるという。
 栄村についての報道が少なかったことについて斎藤会長は「直接の死者がいなかったことで東北に(報道が)流れたと思う」と話す。
 あれから6年、復興が進み、落ち着いてきた栄村。しかし当時2311人だった人口は300人以上も減少、高齢化も進んでいる。住民は「復旧復興は形通り進んだかもしれない。これからの復興は栄村らしいものをつくっていく必要がある。それが地域の魅力になる」と話す。
 「全壊が33軒あったので、再建できなくて出ていかざるを得なかった方もいらっしゃいます。お年を召して、息子さん、娘さんのところに身を寄せるという人もいらっしゃった」(斎藤会長)
 ただ、栄村には明るい動きもある。湧水を売るための工場ができ、有名なトマトジュースだけではなく、トマトケチャップの加工場がこれからできるという。ジビエ料理も人気だ。課題を抱えながらも復興に向け着実に動いているのだ。
 各地の被災地に足を運び、災害報道のあり方について発言してきた8bitnews主宰の堀潤氏は「そのものやこの長野の地震が各地に深刻な被害をもたらしていたのにも関わらず、やはり原発事故報道に飲み込まれてしまった。報道はどうしても被害が分かりやすい所、人が潤沢に配置されている所に集中しやすいというジレンマがある」と話す。
 「道路が寸断される。土砂崩れが発生する。そうすると取材に行きたくても、なかなかたどり着けない。ただでさえ支局の人数が限られている。地方は少ない人数でまわさないといけないので、取材が追いつかない」(堀氏)
 さらに堀氏は「今はインターネットのインフラがスマホ経由で発達してきた。東日本大震災でTwitterの力を感じたのは、“自分の地域の報道が少ない“ということだけではなくて、“どうして手話をつけた放送をやってくれないのですか“といった声が上がってきたこと報道局内で緊急報道の訓練をするが、それだけでなく、SNSを使ってみんなを巻き込む、次世代型の緊急報道の訓練のようなことをやったらいいと思う。」として、放送局を“使う“意識が大切ではないかと話した。
 博報堂ブランドデザイン若者研究所の原田曜平氏も「東京に影響があるとすごく飛びつくが、(栄村の地震は)限定的だったからあまり騒がなかった」と、報道に東京中心の意識があるのではないかと指摘する。
 災害、そしてその後の復興の過程をどう報じていくのか。インターネットの活用も含め、模索が必要だろう。(AbemaTV/AbemaPrimeより)

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