[2015_07_04_01]【年表4】原子力発電所建設との闘い―立地反対運動と原発訴訟(富永智津子)(比較ジェンダー史研究会2015年7月4日)
 
参照元
【年表4】原子力発電所建設との闘い―立地反対運動と原発訴訟(富永智津子)

 目次

 年表:原子力発電所建設との闘い―立地反対運動と原発訴訟
  はじめに
  (1) 茨木市阿武山関西研究用原子炉設置計画反対市民運動
  (2) 関西電力 兵庫県御津市(現たつの市)
  (3) 日本原電 福井県川西町(現福井市)三里浜
  (4) 中部電力 三重県紀勢町(錦漁協・現大紀町)・南島町(古和浦漁協・現南伊勢町)にまたがる芦浜
  (5) 東北電力 福島県双葉郡浪江町・小高町
  (6) 関西電力 兵庫県香住町(現香美町)
  (7) 関西電力 和歌山県日高町阿尾(あお)・小浦(おうら)地区(クエの漁場)
  (8) 関西電力 和歌山県古座町(現串本町)
  (9) 関西電力 福井県小浜市(若狭湾)
  (10)四国電力 愛媛県津島町(現宇和島市)
  (11)関西電力 和歌山県那智勝浦
  (12)関西電力 福井県小浜市(若狭湾)
  (13)四国電力 徳島県海南町(現海陽町)
  (14)中国電力 岡山県日生町(現備前市)鹿久居島 
  (15)関西電力 京都府舞鶴市(若狭湾)
  (16)中国電力 山口県豊北町(現下関市)
  (17)東北電力 新潟県巻町(新潟市)
  (18)中部電力 三重県熊野市井内浦
  (19)四国電力 愛媛県窪川町(現四万十町)
  (20)関西電力 京都府久美浜町(現京丹後市)
  (21)中部電力 石川県珠洲(すず)市(北陸電力・中部電力・関西電力)
  (22)関西電力 和歌山県日高町日置川(ひきがわ)町(現白浜町)
  (23)四国電力 徳島県阿南市
  (24)中国電力 山口県祝島―上関原発反対闘争(スナメリなど希少動物の生息地)
  (25)中国電力 山口県萩市
  (26)九州電力 宮崎県串間町
  【まとめ】
  [付録]
   【主な原発訴訟】
   〈行政訴訟〉
   〈民事訴訟〉
   【まとめ】
  参考文献
  参考URL

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年表:原子力発電所建設との闘い―立地反対運動と原発訴訟
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掲載:2015.07.04 執筆:富永智津子

 はじめに

 2011年3月11日(3・11)の福島第一原発事故は、原発の安全神話を崩壊させただけではない。全国に2000か所もあるといわれる活断層との関係、最終的に残る核廃棄物処理問題、その他、本当にクリーンで相対的に安価なエネルギーなのか、といった問題と並び、原発を受け入れた自治体や住民の生活が、交付金と補償金、そして原発関連の仕事なしでは成り立たないいびつな構造に絡め取られている現状を浮き彫りにした。
 日本の原発は、1966年に茨城県東海村(日本原電)が初めて営業運転を開始してから、17か所に54基が建設された。そのほとんどが僻地、かつ過疎、そして財政難に苦しむ自治体が引き受けた。それらの自治体には、原発建設を容認する以外に生き延びる選択肢はなかったのか。受け入れる時点で、環境汚染や安全性への危機感はなかったのか。安全神話はそれほどに浸透していたのか。
 その一方、原発建設との闘いの記録をひもとくと、これらすべてに疑義を呈し、原発立地を断念させた市や町が30以上もあったこと、なかには30年以上にわたって国と電力会社を相手に闘い続け、そして今も闘いを止めない地域もあることが見えてくる。
 今後、何時起こるかもしれない原発事故に怯えながら暮らさざるをえない「30キロ圏」の住民の立場を考えると、何が「明暗」を分けたのかを検証しておくことは、核の脅威から自由な未来を展望する上で重要である。原発訴訟を含め、いくつかの事例を紹介しながら、この論点にせまってみたい。まずは、これまでの主な反対運動と訴訟の歴史を振り返ってみることから始めたい。なお、とりわけ女性が主体的に関わった事例は赤字で示してある。

(中略)
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(21) 中部電力   石川県珠洲(すず)市(北陸電力・中部電力・関西電力)
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1975年
・原発計画の浮上。
・市議会全員協議会において「原子力発電所、原子力船基地等の調査に関する要望書」を議決。
・市議会で議決した要望書を石川県知事の中西陽一に提出。
1983年
・市議会において、珠洲市長の谷又三郎が原発推進を表明。
1984年
・電力三社が原発立地調査を珠洲市に申し入れ。
1985年
・北陸電力珠洲営業所内に「珠洲電源開発協議会」を設置。
1986年 
・市議会で原発誘致を議決。
1987年
・珠洲市議会議員選挙。定数18名の中、反原発の国定正重が初当選して1議席を奪還。
1988年
・北陸・関西両電力が珠洲市に高屋地区での立地可能性調査を申し入れ。
1989年
・関西電力が高屋地区での立地可能性調査に着手。 建設反対派住民が珠洲市役所内で座り込みを開始、その後40日間続けられる・関西電力が立地可能性調査を一時見合わせることを表明。
1991年 
・統一地方選挙で反対派県議会議員1人誕生(その後援会長をつとめたのが、高屋地区の塚本真如(まこと)住職。
1993年
・珠洲原子力発電所1号機・2号機を国が要対策重要電源に指定。
・市議会が電源立地促進を議決。
・珠洲市長選挙で開票作業の混乱から不正選挙裁判へ。
1996年
・93年4月に実施された珠洲市長選挙の無効訴訟で最高裁が上告を棄却。やり直し選挙で当選した市長、誘致に積極的姿勢。
1999年
・電力会社に土地を売った地主の脱税が発覚し、土地買収が明るみに。地主は有罪確定(03年)。
2003年
・電力三社が珠洲市長へ珠洲原子力発電所計画の凍結を申し入れた。事実上の断念。(電力会社側の理由@電力自由化を目前に、建設費の莫大な原発による経営悪化を懸念、@地元の合意が不十分、B電力需要の伸び悩み)

【解説】珠洲市の事例は、北陸・中部・関西という三電力会社が共同で運営を予定していた事例である。91年の統一地方選挙ではじめて反対派の県議がひとり当選するという保守的な土地柄のなか、反対運動は、組織というより何人かの個人がリードする形で進められた。そのひとりに塚本真如住職がいた。反対派の闘いは、市長選挙に敗れたこと、不正選挙訴訟に敗れたことにより手詰まり状況に陥ったが、電力会社が採算を見込めないことと地元の合意が不十分であることを理由に建設計画を断念している。電力会社の計画断念の理由のなかに、地元の合意が不十分だったことが挙げられていることは、少数でも声を上げ続けることの重要性を示している。
 なお、珠洲市の事例はNHKスペシャルや地元のテレビ局で何本もドキュメンタリー化されている。そられはいずれも、反対派と推進派の主要人物が、ともに抱えた苦悩の年月を語るという構成となっている。そこに投影されているのは、原発立地計画に翻弄された地元の姿である。それは、原発の建設によって被るかもしれない環境汚染や放射線被害への不安が建設計画の中止によって取り除かれた安堵感(反対派)や誘致に成功しなかったという挫折感(推進派)を超えた修復不可能な人間関係の破壊である。原発立地反対運動の負の遺産に苦しむ住民の姿が、ここにもあった。

(後略)

KEY_WORD:石川県能登_地震頻発_:珠洲原発_:FUKU1_: