[2015_01_25_01]原子力規制委員会の「高浜原発審査書案」批判 「地震活動期」の真っ只中にある日本列島 大今 歩 生活を脅かす原発事故 大甘の基準地震動 大津波に襲われた歴史もつ若狭湾 関電経営のための再稼働を許すな(人民新聞2015年1月25日)
 昨年12月17日、原子力規制委員会は高浜原発3、4号機について、安全対策が規制基準を満たすことを認める審査書案を了承した。
 今後、高浜原発の再稼動が推進される。次の理由から、私は審査書案に反対する。

 生活を脅かす原発事故

 私は、関西電力高浜原発の南西約35キロの福知山市の山村に暮らしている。25年前、この地の自然の恵みの豊かさにあこがれて、大阪府より引っ越してきた。田畑を耕して、春にはタラノメやタケノコ、秋にはギンナンや柿など山菜や果物などに恵まれて暮らしている。
 2011年3月、福島第一原発事故によってその周辺が放射能汚染に見舞われたことについて私がまず感じたのは、田畑が汚染されて耕せず、山野の山菜やキノコを食することができなくなった福島の人々の無念さである。
 もし、高浜原発で福島第一原発と同規模の大事故が起きれば、私が福島の人々と同じようにこよなく愛してきた山村での生活は、完全に失われる。
 福島第一原発事故について政府や東電は「想定外」を繰り返してきたが、「想定外」の事故は今後も起こりうる。しかも、昨夏は最も原発への依存度が高い関電の管内で1基の原発も稼動しなかったが、電力は十分に足りた。再稼動を急ぐ必要は全くない。にもかかわらず、原子力規制委が再稼動を認めた審査書案について、主に地震対策、津波対策の不備を指摘して反論する。

 大甘の基準地震動

 原子力規制委は、関西電力が基準地震動(想定される最大の揺れ)を申請当初の550ガルから700ガルに、引き上げたことを評価して適合との判断を下した。
 この判断に関してまず、昨年11月27日の大津地裁による大飯・高浜原発差し止め却下の決定(以下、「決定」と略す)にもとづいて反論する。
 「決定」は、住民側が「過去の地震の平均像を算出しただけ」と問題視する基準地震動の策定方法について、「関電からは何ら説明がない」と関電を批判した。
 その上、地元自治体との連携や役割分担、住民の避難計画などが策定されていないことを挙げ、「これら作業が進まなければ再稼動はあり得ず、原子力規制委が早急に再稼動を容認するとは到底考えがたい」とのベ、「再稼動が差し迫っているとはいえない」として、仮処分申請を却下したのである。ところが、原子力規制委は、関電などから何ら追加説明がないのに、「決定」のわずか2週間後に再稼動を認めてしまった。
 また、昨年5月21日、福井地裁は「(基準地震動について)この理論上の数値対策の正当性、正確性について論じるより、現に全国で20カ所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が2005年以後、10年足らずの問に到来しているという事案を重視すベきは当然である」とした。
 例えば、2007年7月16日、新潟県中越沖地震に襲われた柏崎刈羽原発のS2(あり得ないけれども念のために想定する地震動)は450ガルだったのに、1699ガルというS2の4倍近い揺れを観測した。その後、新耐震指針にもとづいて基準地震動が引き上げられたが、2011年の東日本大震災では、基準地震動を超えて福島第一原発事故を引き起こしたのである。原子力規制委は2OO5年以降、5回にわたり、基準地震動を超える地震が到来したことを慎重に考慮して、基準地震動を評価すべきだった。
 原子力規制委は関電が基準地震動を2割程度引き上げたことにより再稼動を容認したが、大いに疑問が残る。基準地震動の策定方法について、関電から説明を求めるべきだった。そして、基準地震動を超えた事例が過去10年足らずの間に5例もあることを踏まえた判断を下すべきだった。

 大津波に襲われた歴史もつ若狭濱

 原子力規制委は、関電が最大の津波想定(基準津波)を2・6mから6・2mに変更し、対策として高さ8mの防潮堤を設置などするため、津波の流入は防げるとして再稼動を容認した。
 しかし、過去に基準津波を超える津波が高浜原発周辺を襲った可能性を否定できない。
 1585年11月29日(旧暦)、近畿・東海地方を地震が襲った。その際、京都の三十三間堂の仏像が600体転倒した(天正地震)。この天正地震は、福井県の若狭湾に津波をもたらした。ヨーロッパ人宣教師のルイス・フロイスは、次のようにのベる。
 「若狭の国には海に沿って、やはり長浜と称する別の大きな町があった。そこには多数の人々が出入りし、盛んに商売が行われていた。人々の大いなる恐怖と驚愕のうちに、その地が数日間揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が、遠くから恐るベき唸りを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。高潮が引き返す時には大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑みこまれてしまった」。
 現在、福井県に長浜という町はない。東大地震研究所が編んだ『新収日本地震史料』は、フロイスのいう「長浜」は「高浜」の誤りではないか、としている(『天災から日本史を読みなおす』磯田道史 中公新書)。天正地震が若狭湾に津波をもたらしたことは、その他の当時の「日記」「記録」にも記載されており、疑いがない。
 2011年3月に起きた福島第一原発事故では、東電が建設時の想定を超える津波が起きる可能性を保安院などから指摘されながら十分な対策を怠り(申請時3・122m→2002年5・7m→2009年6・1mに基準津波を上げたのみ)、地震発生から49分後の15時35分、高さ15・5mの津波に襲われ、全電源を喪失し、苛酷事故につながった。
 原子力規制委は関電が基準津波を6・2mとしたことをもって再稼動を容認したが、東日本大震災に限らず、それをはるかに超える津波が過去から現在に至るまで多く発生している(東日本大震災では岩手県営古市で38・9m、1993年の北海道南西沖地震では奥尻島に30mを超える津波が起きた)。特に若狭湾は、過去に大津波に襲われてきた。そのことを十分に踏まえた判断が必要だった。

 関電経営のための 再稼働許すな

 阪神大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)と、日本列島は大地震の激動期の真っ只中にある。地震に連動して火山噴火も頻発している。昨年9月、戦後最悪の火山災害をもたらした御嶽山の噴火は記憶に新しいし、阿蘇山や桜島も噴火を繰り返している。
 そして、駿河湾ー四国沖で発生する南海トラフ巨大地震が迫っている。若狭湾周辺も地震の危険性が高く、津波が撃う可能性も高い。高浜原発、3・4号機再稼動は、福島第一原発事故に続く「原発震災」(大地震が発生して被害が拡大しているときに原発事故による災害が重なりあう事態)を招きかねない(『原発震災−警鐘の軌跡』石橋克彦 七つ森書館)。原発が稼動しなくても、電力は余っている。関電の経常赤字を減らす目的の再稼動のため、「原発震災」に脅えて暮らすのはゴメンだ。原子力規制委の審査書案を撤回させ、高浜原発の再稼動を阻止しよう。
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